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2012.12.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

川内神楽 牛若丸東下り

本日は川内神楽 牛若丸東下りについて。


その前に、奥浄瑠璃シンポジウムということで、今日は森口多里が北峯一之進にインタビューしている内容から抜粋で「ヌキ」書きしてみる。

北峯一之進(芸名 北峯精悦)は明治22年2月23日に平泉町毛越寺で生まれ。母は毛越寺生まれで代々祈祷をなす家系であった。14歳で父が16歳で母が亡くなり、お寺(梅本坊)で世話になって成長したが、14歳の時に失明し、一関の中里の祈祷・占い・浄瑠璃をする家に弟子入りした。
師匠高橋玄明のもとで18歳まで弟子修行を行い、師匠が亡くなったあと兄弟子についた。
高橋師匠は奥浄瑠璃の系統では水沢の名人の秀之一の流れ(秀之一節ともいった)であった。
修行の中身は揉療治もあったが祈祷や占いが主であった。
師匠が北峯の筋の良さを見ぬいて奥浄瑠璃に力を入れるよう指導した。

村人は浄瑠璃語りのことを浄瑠璃さん、太夫さんと呼んだ。
師匠に習った曲は東下り、屋島合戦、那須与一、中道忠臣記、田村三代記、葛の葉子別れ、和藤内、天神記、掃部長者、高館落城記、木幡落ち、そして在を廻るものだからお笑いに餅合戦等もやった。
私が好きなのは東下りの中の熊坂長範が討たれる場面で、一番難しかったのは愁嘆でした。荒向きは好きだった。
農村に行った時も東下りが一番人気があった、所(ご当地)の事だったので人気があった。
毎年同じ物を語っても、馴染みの筋立てので人気があった。
そういうわけなので、田村三代記、屋島合戦、東下り、用明天皇の草刈山路の4演目を覚えていれば全部で24段もあるから十分だった。



ということで、農家での浄瑠璃語りの様子は昨日書いたとおりであるが、やはり所の東下りは南部神楽になっても絶大な人気を誇り、常盤御前からはじまり屋島の合戦そして高舘落城まで夥しい程の演目が並ぶ。

大原神楽さんの演目は藤原秀衡対面の場。

DSC02151.jpg

         牛若丸                   秀衡

DSC02140.jpg   DSC02143.jpg

牛若丸が父義朝の最後を聞くため秀衡を訪ねる。
秀衡は戦の様子を語るとともに源氏再興のために兵法の巻物が必要であるとし、その巻物は四国の熊山城主である鬼一法眼が所持しているので奪還せよと伝える。
そして、この次の演目である宝蔵破りへとつながる。

DSC02153.jpg



動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.12.05 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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