fc2ブログ
2012.12.03 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大原神楽 田村二代

本日は南部神楽シンポジウムin南股201から大原神楽さんの田村二代について。

が、その前に当日シンポジウムの本旨である奥浄瑠璃について。
午前中の講演で岩手民俗の会の千葉信胤氏が解説したように江戸期から昭和初頭にかけて宮城岩手で根強い人気のあった門付芸である。また、幕末の南部神楽成立期には劇舞の脚本制作に大きく影響したと言われている。
演目及び筋書きをみれば継承経過がみてとれる。

また、奥浄瑠璃の成立について盛岡短期大学研究報告第21号の中で伊藤博夫氏が「奥浄瑠璃本 大日本振袖由来」で比定している文章を抜粋して参考とする。
「・・・この資料の題名(大日本振袖由来)は近松門左衛門の時代浄瑠璃「日本振袖始」を直ちに連想させるものである。(中略)ともあれ、(近松の浄瑠璃と奥浄瑠璃は)同種の題材を扱いながらも都市の町人を対象とする人形劇の詞章としての近松物が、義理人情や男女の色模様などを交えて世話にくだける傾向を示すのに対して、地方の農民を対象とする語り物としての本資料が神の本地を語り鬼神征服の活劇を描くというような古浄瑠璃的な方面に重点を置くという、両者の対照的は性格の相違点は藩政時代における都市文化と地方文化の特徴や、相互の交流の経過等の問題を考える材料を提供するものとして興味が深い。



と述べている。

この日本振袖始は岩手県南・宮城県北の多くの南部神楽団体で伝承している神台本(詠儀本)に取り入れられ、天神地祇の由来から三熊退治、宝剣納め、蘇民将来、八岐大蛇退治等を網羅した本である。

したがって、藩政時代に琵琶から三味線に楽器を変えて、盲法師から職業としての浄瑠璃語りに受け継がれた民衆の娯楽が幕末の頃から農民神楽に取り入れられて大輪の花と咲いたわけである。

  胴取は高橋末夫代表
DSC02020.jpg

さて、そこで田村二代であるが、これも奥浄瑠璃「田村将軍三代記」から題材をとったであろう演目で、二代利光が朝廷から預かった宝剣素早丸を携えて、今瀬が淵に出没する悪鬼退治を命ぜられた。田村利光は忠太、源八を伴って悪鬼退治に向かい、神通の鏑矢で討ち取ったというストーリー。

DSC02027.jpg

大原神楽の由来は、西磐井郡厳美村山谷入道の佐藤辛氏が衣川村大原に入婿した。(高橋)辛氏は三輪流山谷神楽の舞人であったので、高橋寿七が庭元となり高橋辛師匠の指導で大正一○年大原神楽を創設した。
戦前、戦後中断していたが、昭和四二年高橋辛、小坂盛雄両師匠の指導で大原神楽が再興したが辛氏の逝去にともなって中断し、昭和60年になって再び復活した。

DSC02030.jpg

悪龍と田村将軍の戦

DSC02035.jpg

討ち取った場面の仮面のあしらい

DSC02049.jpg

動画でどうぞ。


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.12.03 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

11 | 2012/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

月別アーカイブ