川原鎧剣舞
今日は、「気仙郷土芸能まつり」から川原鎧剣舞の薙刀の踊りについて。
由来については当日プログラムから
川原鎧剣舞は、江戸時代末期から地域の青年有志により踊り継がれてきましたが、一度途絶え、明治時代に復活しました。昭和11年には立根町川原地域と立根町久保地域の住民が協力して保存会を結成し、現在はお盆の回向(安養寺での奉納、初盆の家を訪問し供養)地元の児童生徒への伝承などをおこなっている。
とあります。

こちらの組のササラは本ササラを使っています。
これは割り木を紅白の紐で束ねて、一枚一枚が経文を表しているといいます。

この日の演目「薙刀の踊り」は、薙刀をもった踊り手が「打ち込み」「念仏」「中踊り」をおどり、

最後の「引き刃」で平家の亡者7人が一列になってササラを持つ弁慶に襲いかかります。
これに対して弁慶の打つササラが経文を響かせると、亡者が成仏されて一人また一人と退散してゆき、

最後に残った主殿に対しては、ササラを宙高く放り投げて刀を抜いてねじ伏せます。
ここが最高の見せ場になります。

形は勇壮な源平の戦いを模していますが、念仏剣舞だけに亡くなった人々の鎮魂慰霊の芸能です。
気仙地方の念仏剣舞は太鼓と念仏和讃が独特の間をもって切々と唱謡されるため、時には涙を誘います。
動画でどうぞ。
