生出鹿踊 礼庭
本日は「気仙郷土芸能まつり」より生出鹿踊さんの礼庭について。
岩手日報11/24付けの記事によると、生出鹿踊では震災で家族をなくしたメンバーもおり、今回が震災後初の舞台。同保存会は先月から地元の祭りに向けて練習を再開。佐藤会長は「支えていただいた方々に感謝の思いでいっぱい。まちの復興を願い、これからも踊っていきたい」と力をこめた。とありました。
由来については当日のプログラムから
生出鹿踊りは、寛政12年(1800年)東磐井郡大原村(現在の一関市大東町大原)山口の喜左衛門吉利を師匠として、的場の隠居(屋号)の家を道場として習ったものが始まりとされ、行山流山口派の流れをくんだものとして、仙台公から直接賜った名誉ある九曜紋と竹に雀の紋所が装束に染めぬかれています。
当地にはこれより以前にも鹿踊があったとされ、その頃の鹿頭が梅木に残されているといわれています。
また、現在の鹿頭は前角地家の名工熊吉の作と伝えられています。
現在は地区集落40戸全戸で保存会を組織し、地区内をお盆に供養して回るほか、地区の「おいで木炭祭」、立教大学林業体験企画での披露、また地区外の福祉施設の慰問等、伝統芸能の伝承と育成に努めており、平成8年に陸前高田市無形文化財の指定を受けております。
ということですが、隣の横田地区にある舞出鹿踊所有の「鹿踊始之事」と同じ口伝があるそうなので兄弟弟子なのかもしれない。


装束は藍色の幕に中立のみ行山の文字、他は九曜紋の咽印、袖幕には竹に雀・九曜紋・丸鶴・鶴に亀・蟹。
前袴は牡丹紋で、大口は唐獅子牡丹。
流しには和歌が2首
「秋萩のしがらみ深くなりにけり 鹿の目に見ゆ声のさやけき」
「陸奥乃信夫於志加能乃里 声遠呂比天遊不鹿耳毛 (みちのくのしのぶおじかの女鹿の里 声をそろえて遊ぶ鹿かも)」

この日の演目は礼庭。「ぶっこみ」から「入り羽」ではじまり、「ひっぱりかのこ」「庭回し」、そして「狂い」「鹿の子」と躍動的な踊りが続き、最後に「引き羽」で中立が全員を引き連れて帰ります。
三人狂いでは激しくササラをぶつけあうたびに千切れた紙片が雪のように舞うのが美しい。


動画でどうぞ。
