青笹しし踊り
今日は昨晩から強烈な猛吹雪だった。朝のうちはまだフードを被ってウォーキングすることもできたが、通勤する時間帯から吹雪!あー冬だなー。
というところで本日は気仙郷土芸能まつりから、ゲスト出演した青笹しし踊りについて。
由来について当日プログラムから
青笹しし踊りは、1700年代はじめの頃、「踊り嘉兵ヱ」という人物によって伝えられたといわれています。(「踊り嘉兵ヱ」の墓は、遠野市土淵町飯豊地区にあり、現在では毎年11月23日に墓前で踊り供養をし、その年の踊り納めとしております。)
昭和39年に、青笹地区の「糠前(ぬかまえ)」「中下(なかしも)」「中沢(なかざわ)」の三集落で継承されていた3つのしし踊りが統合し、現在の「青笹しし踊り」となり、昭和39年に当保存会が結成されました。統合された昭和39年に遠野市指定無形文化財となり、昭和49年には岩手県から無形文化財の指定を受け、昭和53年には文化庁から「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として選択されました。
とあります。

当日演目について同プログラムから
現在保存会で演じられている演目は≪庭褒め~膝立入端~山神人端~廻り入端~ケショウ踊り~柱懸り~小切~大切~引端≫の一連の流れとなっており、訪れた場所を祝福する踊りである『庭褒め』から始まり、『膝立入端・山神人端・廻り入端』では「しし」と「刀掛け」が組になり、戦うさまを表しながら踊ります。
次に「しし」以外の踊り手による躍動感あふれる『ケショウ踊り』の後、踊りの目玉ともいえる「種ふくべ」と「しし」による『柱懸り』が行われ、作物を荒らす「しし」を人間が追い払う様が表現され、五穀豊穣を祈願する踊りとなっています。
続いて、豊年踊りの変形とみられる華やかな『小切』、感謝の気持を表す『大切』のあと、退場の踊りである『引端』を「しし」が勇壮に踊ります。


ケショウ踊り

柱懸りの一本がかり

~この庭に にほひ柱の立つときは 角をみがき 若くならむや 若くならむや

動画でどうぞ。
