皆白行山流三ケ尻鹿踊 案山子踊
慶安2年に駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山と流行山そして源行山であり、その源から皆代行山に伝わったと。
といことで、今日は皆白行山流三ケ尻鹿踊についてです。
由来について、
伊藤伴内持遠の弟子・入谷村の四郎兵衛から六代目の師匠である胆沢郡八幡村(水沢区佐倉河)の万之助によって文政9年に三ケ尻田中屋敷の卯兵衛に伝授された。

装束は、前幕の咽印が中立・雌鹿が朱の九曜紋で他は井桁に白抜きの九曜紋。
横幕は中立・雌鹿が朱の九曜紋に鶴丸・三つ巴・扇と幕裾には波に兎が入る。
袴は中立ち・雌鹿が五色の総市松で他は御所車。
ナガシは中立が皆代行山の文字の下に五穀成就、その下に水瓶と童子の絵が入り、雌鹿は鹿に紅葉。他は大蛇と戦う武者絵になる。
特徴としてはササラの根本に五行色の布と紺地に白抜きの九曜紋を染めた布を巻いて下げること。

伝承する演目は礼舞(先庭と後庭がある)役踊り(牝鹿かくし、案山子踊、鉄砲踊、君川の三人狂等)がある。
この日は案山子踊であった。
文字通り、鹿の八ツ連れが田んぼの案山子に驚くが、中立鹿が勇気を奮って案山子に挑みかかり笠をとばしてしまう。やがて皆が無事であることを確認して喜ぶ様が表現される。
数ある鹿踊の演目の中でも具象的な劇舞の形態で鉄砲踊りとともに人気のある演目である。

笠を奪った瞬間。同じく会場で写真を撮っていたAさんのストロボのおかげでくっきりと撮れました。

ひと安心した鹿たちが歌を二回繰り返す。
~ つれづれは 山田の案山子と見受けた、心静かに遊べともだち

動画でどうぞ。
