富士麓行山流細野鹿躍 一番
本日は金ケ崎町郷土芸能発表大会から細野鹿躍さんについて。
細野地区と言うのは金ケ崎町の中でも西部地区にあたり、胆沢町から県道37号線に沿って北進した位置にある。
さらに北に行くと千貫石堤があるが、この千貫石は金ケ崎地方の鹿踊の大元になる。
由来について「行山流鹿踊」(及川宏幸氏著)より抜粋
細野鹿踊の系譜は不明とするが、明治末頃に上永沢から伝授された。
系統は衣川古洞⇒胆沢町小山笹間⇒上永沢⇒細野と伝わったと想定される。
昭和32年頃から復活し、昭和54年に再び復活した。
とあります。

系譜が不明ということで、当日始まる前に楽屋にお邪魔して庭元さんにこのへんのことを聞きました。
すると、
「伝書では平泉から伝わったと言われている。
金ケ崎の他の踊りとは若干違うような気がして、方々尋ね歩いては話を聞いているが、どうも舞川なのではないかと思っている。伝書の中にも舞川という文言も出てくるし。」
大体こんなようなことを話しておられました。

装束に関しては、現在金ケ崎町には鹿踊組が細野、三ケ尻、北方の3つがあるが皆同じような(揃えた)装束になっている。
前幕の咽印の九曜紋が中立・雌鹿のみ朱色で他は白。横幕の九曜紋他も同様で裾に波に兎が入る。
袴の模様も中立・雌鹿のみ五色の総市松模様で他は御所車となっている。
特徴的なのは前幕の中央に横に二本線が入ることか。

舞い方の勇壮さでは確かに大原系に近いような気もする。

ちなみに、この日は側鹿に一人、小学生の男子が入っていました。(下の写真の右から二番目)
しつらえたらしい頭と衣装に意気込みを感じましたが、それ以上に彼の踊りの素晴らしさに感心しました。

将来が楽しみです。

動画でどうぞ。
