衣川大平の念仏剣舞
今日は金曜日、明日からも芸能の追っかけで忙しい・・・が今日は稲瀬芸能文化まつりから大平念仏剣舞について
由来については当日のプログラムから
踊られ始めた時期は不明ながら、文政7年の銘の太鼓(現在使用)が伝承されていることから、この時期には踊られていたであろう。
戦後、後継者難に苦しみながらもつづけられ、昭和40年代より北股小学校に、昭和50年代に北股地区全体から後継者を募集。
現在は大平地区の若者で活動を続けている。
大平は衣川の中でも胆沢に通じる道の途上にある。
伝承ルートとしてはやはり平泉発祥の芸能ということがいえる。
そして、舞ぶりの中にやや古態が残っていると言える。

演目について
刀引き
大平念仏剣舞は、千数百年前の垂仁天皇のころ、天皇家の逝去の際に従者が殉死するのを哀れんでこれを禁じ、はにわに変えて子孫の繁栄を図り、剣をもって邪悪の魔人を払い、舞をもつてその道をひら<ことを念願して剣舞が誕生したものです。
その後、仏教の伝来とともに住民が信仰心に燃え釈迦の教えのもとに念仏剣舞として形づ<られ仏教布教の役を担うて踊り継がれて現在に至つております。
踊りは、殉死した人達の亡霊が表れて、だんだんと荒れ狂つていき、やがて一人、二人と釈迦の教えの念仏によって亡魂たちを浄土へ導いていくという筋になつております。

大平地区は衣川と胆沢の中間地点。これより北に行けば若柳地区に至る。
平泉から胆沢への民間信仰の伝播ルート(県道37号線)としての経路が偲ばれます。
そういったことの解明が意外になされていないような気がします。
せっかく奥州市に一緒になったのだから芸能の伝播というものを探求してもいいのではないか。
(そう思うならおまえがやれと言われそうだが・・・)

動画でどうぞ。
