諸霊安寧の祈り 浦浜念仏剣舞
浦浜念仏剣舞である。
概略について「浦浜念仏剣舞オフィシャルページ」から抜粋
発祥等は不詳だが、江戸時代中期またはその後に始まったものと推測されている。地元では「けんばい」ではなく「けんべぇ」といわれている。
念仏剣舞は「反門(へんまい)の呪術的性格と浄土信仰とが結合したもの」といわれている。
浦浜剣舞は胴取り(太鼓)、笛、踊り手と構成される。踊り手は八人構成を基本とし、全員仮面をつけ、踊りの中心ささらは赤地の三番叟、主剣舞から四剣舞の五人は毛ザイ男山と女山は鳥兜をかぶる。
衣装の両袖を脱ぎ背中に付け、両肩を赤い縁取りで高く盛り上げていることから、「脱ぎ垂れ剣舞」または「肩怒り剣舞」の異称をもつ独特のスタイル。
踊りの演目は七つ、念仏踊・一本扇子・二本扇子・綾踊・十五・長刀・高館(タカダチ)が伝えられている。
毎年八月、地元「円満寺」の施餓鬼法要を踊り初めとし初茶者(新盆)供養、先祖供養で地区内の家々を訪ね縁側に出された位牌を前にし踊る。
とあります。

胴取り(太鼓)が歌う念仏和讃にのせ、ささらが香炉を高く持ち上げ庭をめぐり、踊り手一人一人に焼香させる

先の震災での状況について同HPより
東日本大震災の津波により合同詰所は無くなり多くの道具が流失。
刀数本と面数枚、シカ数枚だけしか発見することができませんでした。
獅子躍の方は、大体が会長宅で保管していたため難を逃れましたが、合同詰所に置いてあったものや、個人で保管していた衣装や太鼓が流失しました。
合同詰所が無いことで、最も不便なのは…。道具の保管場所。芸能団体には、仮設住宅的なものは対象外らしく、自前で設置。仮設保管庫として、会長宅敷地内にトラックの荷台を設置しました。

三陸の念仏剣舞は昔は面を用いていなかったそうである。(森口本P834)
主役のササラが亡者の一人一人を念仏により折伏していく所作は衣川の川西念仏剣舞からの伝来と考えられる。
シカ(腰に付ける大口)に刀を通す孔を開けるのも衣川とここだけである。
してみると、ここのササラの役回りは川西(や胆沢)念仏剣舞におけるカッカタと同じではないのか。(それで真っ赤な烏帽子なのかも)
とまあ比較はともかくとして、この日の演目は七つ子。
全ての観客の目を奪ったのはササラではなく、3才のかわいい鬼コでした。
こうして芸能が伝承されていくのだなと、越喜来の未来に明かりが見えたような気がしました。

では、これから北上で飲み会なので終わりにします。
動画でどうぞ。
