外舘鹿踊 住田町文化産業まつり
ということで、明日は11月3日文化の日であるが、戦前は天長節といって明治天皇の遺徳を偲ぶ日であった。
まあそういうことはさておいて、今日は外舘鹿踊について。
由来について
当初は中上踊りと言われていたもの。口伝では宝暦年ごろに字二反田、中村屋敷の甚内に伝授され、その後天明年間に字十文字の平治、幾松、宇作、藤吉と伝授される。明治42年に中断し、昭和34年に再興する。昭和39年に中上集落と十文字集落の中間にある外舘城址にちなんで外舘鹿踊と改称する。
主な演目は、礼庭、長引き、メジシ取り、かかし踊り、回向廻り、鉄砲踊り、引き端など。
(行山流鹿踊 及川宏幸氏著 抜粋)
とある。

装束について、前幕は井桁に九曜紋で、側には日の丸扇に九曜紋と竹に雀、前袴は地車に二引きだが中立ちと雌鹿は地車に波模様となる。流しは山姥金時である。

この日、側鹿子だったと思うが、鹿子かなにかで巡っている時に他の鹿と接触してササラを1本折ってしまった。
にも関わらず、かれは狂いを見事に踊った。
唯でさえ空気抵抗のあるササラを、片側1本だけ失うと、いかにもバランスが取り難い。
よくぞ踊ったものと、会場からは声援やら拍手やらが起こった。
この辺が、芸の真髄と言えるものだろう。
無いからできません・・・ではなくて、あるものを使って神仏に捧げることをしよう。それが民俗芸能の始原ではないのか。

と、余計な能書きを垂れましたが、昨日の柿内沢といい、今日の外舘といい、内陸部と気仙浜を結ぶ街道の中間地点にあり、芸能のクロスロードとして重要な役割を果たしてきたことは容易に想像できます。
これからも、できる限り見聞していこうと思う。

動画でどうぞ。
