柿内沢鹿踊 住田町文化産業まつり
今日から10月28日に開催された住田町文化産業まつりでの「芸能まつり」について
その中から柿内沢鹿踊の松島狂いをお伝えします。
踊り組の由来について「おらほの街・住田町散策」から引用
寛永年間(1627年)旧世田米村の肝入(村長)に登戸屋敷弥市が古文書に見えている旗の頃、登戸屋敷加蔵の代、寛政の初め(1789年)矢作村馬越より伝授され地区に帰り人々に伝習させたのが始まりだと言われています。
加蔵は若くして妻を失い、愛児一人と馬一匹が残されました。途方に暮れていましたが馬を売って矢作村に行き、鹿踊りを習い、皆伝を受けて帰宅し、妻の霊前で踊りました。行山流山口派に属し当町では活発で勇壮な動きをする踊りとして藩政中期より伝承されています。
とあります。
また、天明あるいは寛政年間に大原山口から直接伝えられたともある。

頭はつり上がった目に少し開いた口。
前幕は咽印が井桁に九曜紋。幕裾が九曜紋に日の丸扇や蟹紋。
袴の前紋は中立ちのみ合わせ熨斗紋であとは地車や牡丹で裾に二引が入る。
流しは頭の部分に九曜紋が入り、後ろは山姥金時に鯉の滝登り、末端の左右に小さな房が付いている。

踊りは行山流山口派ということだが、松島の演目は仙台市より東沿岸部に沿って岩手の沿岸部周辺に伝わるもののようである。

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