福岡の鹿踊・剣舞
本日は「れきみん秋祭り2012」より福岡の鹿踊・剣舞について
由来については宮城県HPより
剣舞は慶安2年(1649)に、鹿踊は寛政4年(1792)に旧福岡村に伝えらたとされる。両者は不即不離の関係にあり、1対として伝承された。鹿踊は災いや病害虫を除き、五穀豊饒を祈願する踊りで、9頭の鹿役と2人の笛役で、また剣舞は悪魔退散、天下太平を祈願するもので、扇の舞、剣の舞等の演目がある。もとは、どちらも祖霊供養に戸毎に巡って踊られていた。
本芸能では、複雑な演舞の技法が正確に伝えられており、装束、唯子、踊歌、舞振等の様式や慣行は、修験道の古い信仰の形を残している。
いわゆる仙台鹿踊の八幡堂系で、鹿頭は権現頭風で額に建物という飾りが付き、顎が動くタイプである。
後ろ腰には毛采のついたササラを差し、根元には五行色の布を垂らしている。

前幕には大きく波に兎が描かれ、咽印として九曜紋と三つ巴が入っている。

これは先導役の和尚の面を見せてもらったもの、切り顎の黒尉面である。

慶安二年に剣舞、寛政四年に鹿踊を八幡町の七左エ門弟子勘十郎より福岡村勘左衛門に伝授と有る。
胴太鼓で庭入りして舞い始める。

鹿踊が終わると入れ替わりに剣舞が入場し、和尚の鉦と歌上げの讃念仏に合わせて踊る。
この日に気づいたことだが、念仏とともに唱歌もかけている。

刀剣舞の場面であるが、舞楽の影響が多分に見受けられます。開闢の舞とかの。
格調の高い剣舞である。

最後に和尚が二本刀を取って舞う。
「慶安二年6月中旬、奥州仙台宮城郡之内、国分福岡村、鶇田彌作郎」の奥書ある「釈迦舞流劔拝巻」という巻物に次のような唱言がある。
玉体安全天上無窮心水祈禱冥加正直
光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀仏
正極楽正法蓮台正淪盤塞内経盆内経天神三王経南無八幡之諸之経四千奇妙南無阿弥陀仏
(本田安次著 宮城県の神楽と舞踊 より抜粋)

動画でどうぞ。
