東磐井の伊勢神楽
さて、猿沢神社の祭礼の続きであるが、ここには伊勢神楽と称して花太鼓を打つ神事芸能がある。
これは東磐井郡の一部のみに伝承され、不思議と他の隣接地域(胆沢や気仙地方、宮城の登米地方など)には見られない芸能である。
そして、幾多の民俗芸能研究者が取り上げていながらほとんど知られていないのも事実だ。
例えば、森口多里は「岩手の民俗芸能 山伏神楽篇」で巻頭の2ページ目で珍しく2枚も写真入りで紹介している。
引用すると「猿沢の秋祭りに伊勢神楽と称するものが出、・・・これらははっきりと伊勢系統のカグラであり獅子舞である。
また、村上護朗の「南部神楽」の29ページには
「岩手県東磐井郡大東町の猿沢・丑石・興田にイセ神楽といわれるものが残っていて、春秋の祭りににぎわいをそえている。文政八年、大東町より西国八十八箇所回りに行った三人の男たちが伊勢の津でこの神楽を見て稽古して帰りこれを伝えたものといわれ・・・これらは、名称のとおり明らかに伊勢系統の神楽であり獅子神楽である。もともとは獅子神楽であったろうものが獅子舞は獅子舞として抜けて独立したり、退化してなくなったりして、曳き屋台に從う賑やかな踊りの方だけが残ったものであろう。
と、取り上げている。
「大東町の民俗芸能」に採録されているだけでも「下猿沢伊勢神楽」「内野伊勢神楽」「上大原伊勢神楽」「渋民伊勢神楽」「曽慶伊勢神楽」がある。
伝承の発端は丑石の青年たちが西国巡礼の途上で習い覚えたものを近在の村々に伝わったとされるものである。
「伊勢に行きたや伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と歌われるほどに伊勢神宮参拝が一世を風靡した時代に、その神楽囃子を見聞きしただけでお伊勢参りをした気分になれる代参神楽はどれほど民衆の信仰を獲得したことか。そして華やかな花バチの響きに二見ヶ浦の旭日を垣間見るのである。
そして、一山越えた太平洋岸の気仙地区には伊勢神楽としての権現舞が広く伝播されている。
こちらは権現頭を奉斎した三人立ちの獅子舞であるがその囃子拍子は同じく伊勢神楽である。
形こそ違えど同じ流れの要素のある民俗芸能が隣り合わせに伝承されている。
明治維新前は近くて遠い、そんな磐井と気仙だったのだろうか。
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