只越虎舞 山神社宵宮祭
本日は霜降でしたが、明日の朝は急に冷え込むとのこと、皆さん暖かくしてお休みください。
というわけで、本日は20日の夕刻に行われた釜石まつりの中の 山神社宵宮祭の様子について、今日は虎舞、明日は鹿踊を紹介します。
その前に、この山神社について。
この神社はもともと安政年間に大橋の高炉に鎮座していたのを度々遷座して昭和38年に現在の小川町の市民体育館(旧製鉄所体育館)地内に落ち着いたというもの。従って、製鉄所の守護神的な神社ですが、鉄の町であったので一般市民にも親しまれた神社でした。
そして企業記念日の10月16日に併せて例大祭を行い、それが尾崎神社の例大祭とともに盛大な釜石まつりとなっていた。鉄の男たちは鉱山(ヤマ)の男たちでもあったのである。
5時ごろから神事が始まり、拝殿には製鉄所の重役と祭典関係者が、境内には工場関係者や町内の皆さんが祭事に参加です。
扁額も鉄製ですが、実はこの神社は鳥居から燈籠、奉納剣に至るまで全て鉄製です。
さて、神事が終わり神賑わいとなりますが、最初は小川町内の皆さんによる手踊です。本祭では神輿について道中踊りをすると思います。
そして、只越虎舞の奉納です。
曳船の虎舞もいいですが、夜陰に跳梁する虎の姿もまた幻想的でよいです。
ところで、只越虎舞と新日鉄の関係について、こんなエピソードがあります。
只越虎舞は戦後に錦町の分家として始まりましたが、新日鉄野球部が都市対抗野球大会に出る際に応援団として出ることを錦町に相談したが「虎舞は神聖なもので見世物でない。」と断られたが昭和29年より後楽園球場で舞い名声を得たということだ。
そんなこともあって、山神さんに只越が奉納するのだろうと思っているが、どうでしょうか?
ここでの奉納の後、町(只越町内)まで門付をしながら流していきました。
動画でどうぞ。
