まめからさん祭り
昨日は宮城県登米市豊里町に鎮座いたします稲荷神社の稲荷神社の例祭に参りました。
この祭りでは神社付属の上町法印神楽が奉納されすがそのリポートのまえに神社について。
宮城県神社庁HPより由来を
稲荷神社はこれまで約二百四十余年の歴史を有します。神社の前身は京都聖護院派配下で天台宗に属し熊野三山で修行を積んだ本山派の修験院であり、安永三年(1774)に本山派寶寿院秀栄(五世)が仙台藩に提出した「安永の風土記御用書出」に「寛文拾歳胎藏院即源開基当年迄百拾四年ニ罷成候事」また「右院赤生津村之内新田と申所ニ御座候事」と明記されている。新田は東藩史稿に記してある甲州、武田勝頼の遺族「武田充信 父貞信」の段に「正保承慶ノ初開田ノ地ヲ桃生郡和淵、登米郡赤生津ニ賜ヒ、」と明記がある、新田開拓の後、領主伊達氏をはじめ地域住民神殿を遷宮、神霊を遷し祀る。明治12年村社列格。同44年供進社に指定される。稲荷神社はまた、いつのころからか、「まめから明神」の愛称で親しまれています、祭りの時期がちょうど豆畑の収穫が盛んなころ行われていて、神社の周辺の豆畑が近郷近在の多くの参拝人に踏み荒らされることからこのような呼び名がついたといわれています。

また、陸前地方では切り紙の伝承がよく残されていて、拝殿内には各神様ごとに独特な幣束が鴨居に並べて飾られています。

ここの奉納神楽の特徴としては湯立てを行うことと大乗飾りを施すこと、それと神楽舞台の組み方にあります。
神楽舞台は、組み立て式の掛け舞台ですが、舞を行う舞台の右手に高舞台(竜宮御殿)があり岩戸隠家や産屋に使われます。また舞台左手には出掛かりの幕があり、そこから舞台まで二間ほどの橋掛かりが作られています、これが花道となっています。詳しくは後日の演目紹介の中で述べることにいたします。
また、湯立については昼神楽が4時半頃に終わると中入りとなり、その後に夜神楽が始まる前に神事として行われるのですが、湯立用に別火を用いて湯を沸かす神事があります、これも後ほど掲載します。

今一つの特徴は大乗飾りを施すことことです。
四方柱を立てて忌竹を立て、天井には角から角へ丸太を渡して忌竹を添えます。その中央に細竹を1本立てて神籬とし黄色の幡を垂らします。その下には扇車、帯鏡、御真鏡、大麻を結び下げます。
四方の柱にはそれぞれ東に青龍図と緑幡、南に朱雀図と赤幡、西に白虎図と白幡、北に玄武図と青幡を垂らし、各柱から中央の神籬に向けて昇り龍と降り龍が描かれた白布と紙垂(千道)が渡され、また各柱の中ほどに隅餅が据えられるとともに各方角には季節の模様を切り抜いた切り子(四節)が飾られております。
舞台の周囲には八重垣として幣束が立てられ神楽が終了すると希望者に分け与えられます。

神楽が始まる前に面や採り物を舞台前に据えて神降ろしが行われました。
神楽の内容については明日以降に記述いたします。
