陸中弁天虎舞 大槌稲荷神社 宵宮
本日は大槌稲荷神社の宵宮から陸中弁天虎舞を。
ここの虎舞の由来について「大槌町の郷土芸能」から抜粋
昭和49年秋、郷土芸能の発展の気概に燃え、地元の若者十数人を集め、岡本大作氏(現、陸中弁天虎舞 宗家)によつて「赤浜虎舞」が結成されました。
昭和56年夏、井上ひさし氏が『吉里吉里人』を著し、吉里吉里善兵衛の歴史と虎舞の郷土芸能に光を当てることとなりました。
周年、独立の気概に燃える大槌「吉里吉里国」の若人達によつて、大槌湾の真中にぽっかりと浮かぶ島、蓬来島「ひよっこりひょうたん島」に祭られる弁天神社に、和藤内の大神宮のお礼と吉里吉里善兵衛ゆかりの品が納められ、これを機に、陸中弁天虎舞と改名することとなりました。
蓬来島で踊る虎舞は、岩場から大海原を背景にダイナミックで躍動感にあふれ、まさに勇壮であります。
現在は会員も百人を超え、全国にその名を知られ、陸中弁天虎舞、二代目酔虎会(会長阿部富二男)として地元をはじめ各地で活躍しております。
踊りの種類は、散らし(前奏曲)、矢車(遊び虎)、はね虎、笹喰み、がある。

3月11日の津波で、赤浜集落の住居約300戸の内、200戸が流出、壊滅、焼失という被害をこうむった。住民900名のうち死亡、行方不明者が100名近くになった。震災後他県へ移り住む人も増え、4ヶ月後、赤浜地区の仮設住宅には100名余の赤浜住民が移り住んだが、コミュニティの崩壊は始まっている。
行政に自分達の町の復興すべてを委ねるのではなく、自分達の手で、自然災害に強く、昔ながらの助け合って暮らす漁村の生活を大切にする方法を話し合い、赤浜独自の町を作り出したいと頑張っておられるようです。
豊かな三陸の風景を残す赤浜地区復興再生支援

元は赤浜虎舞と言い気の荒い虎舞っていう印象があった。
威勢のいい囃子と掛け声
虎はどこだ オッセイオッセイ
弁天虎舞跳ね虎舞 一杯飲まねば気がすまね
鍋釜売っても 良い嬶持たんせ
一生の花だよ 大漁萬作商売繁盛で
オーオーオーハー ヨイヤサー
トゥトゥトゥトー 虎はどこだ

動画でどうぞ。
