大槌稲荷神社 訪問記②
9月21日22日は大槌稲荷神社の祭典です。
3.11の震災大津波により神社そのものは高台に位置しているので被災を免れました。
しかし、氏子地域である安渡地区は大槌湾に面した漁業の町で、被災前の人口は796戸、1957人だったが震災で壊滅的な打撃を受けた。
神社は住民の避難所となり宮司の十王舘勲さんは避難所運営に奔走されました。
その様子は宮司さんのブログに掲載されております。⇒「僕の避難所長日記」
そのような中で、例年秋に行われている神社の祭典も昨年は実施を見送ったが、今年内容を変更して行われることになった。
以下は9月18日に大槌稲荷神社に十王舘宮司さんを訪ねた際にお聞きしたことです。
宵宮 通例は、各地区の郷土芸能と山車が安渡町内を門付けしながら神社の坂を登ってきて、順次境内で奉納していました。
今回は、門付けする民家自体がほとんど残っていないため、夜7時頃から神社にのみ奉納に来る。
それらの奉納が9時ぐらいまで続いた後、神事を執り行う。
その後は参籠となる、昔は夜通し行ったとのことだが今は10時ぐらいで人が引けていくとのこと。
神輿渡御 22日9時に例祭の神事が行われたのち、神輿が出御する。
普通ならここで仕丁が神輿を担いで氏子地区へ降りていくのだが、今年は祭りの賑わい自体を旧大槌北小学校の福幸きらり商店街で行うため、そこまでは軽トラに載せて安渡地区内を巡幸しながら進む。
その後1時ぐらいにきらり商店街の御旅所を出て、源水付近から大ヶ口までは人手で担いで仮設住宅を巡幸する。
曳き船 例年は、漁船の御座船に神輿を乗せて大槌湾を船を連ねて曳き船をしたが、ことしは行わないとのこと。
【昔の曳き船】私が訪問した際に氏子総代の石井氏がみえられて、昔の曳き船の話になった。
昔(昭和50年代頃まで)はスルメ漁が盛んで、サッパ船が60隻もあったころは、神輿を乗せた御座船が大槌湾から外海にまで出て曳き船をした。なにしろお供の船が多くて一列に巡幸するためには外海まで出ないと並べなかったくらいだ。
巡幸から戻ってくると、船を陸に付ける前に惣川のあたりで船を止めて、神輿の御幣(宮司はオンベエと言っていた)を海中に投げ入れる。すると各船の若い衆で威勢のいい者たちが我先にと海に飛び込んで御幣を奪い合った。
その後、神輿を海に入れて仕丁たちは神輿を泳いで岸まで担いで行ったということ。
福幸きらり商店街での芸能奉納は次のとおり
