雁舞堂七福神 大槌稲荷神社 宵宮
明日は仲秋の名月であり、各地で観月会等が行われるであろうが台風なそうである。
さて、明日はどうしようか・・・
といったところで、本日は大槌稲荷神社宵宮から雁舞堂七福神を。
雁舞堂(がんまいどう)は国道45号線から安渡方面へ降りてすぐの住宅地区で、埋め立てる前は干潟であったろうと思われる。(干潟で雁が遊んでいたからこの名前が出たのか?)
で、この地区の小学生(安渡小学校)の子供たちが躍るわけだが、三陸沿岸には同様のものが広く分布していて、七福神に扮した踊り手が囃子舞を繰り出すものである。
由来は「大槌町の郷土芸能」より
『アーなに舞か出そうだ。なに舞か出そうだ。なに舞、かに舞と囃しやれもうすもおしようす―』の唄い文句で始まる七福神舞は、明治の頃、大船渡市で踊り伝えられていたものを、大正の初め同市の師匠二人によつて気仙郡三陸町の佐々本長左衛門氏(当時8歳)宅を宿にして踊られていた。
この踊りはめでたい座敷踊りとして旧の小正月に、浜は大漁、陸は満作、そして家内安全を祈願して一戸一戸を門付けをして歩いた。
昭和14年、仕事の都合で釜石市に移り住んだ佐々木長左衛門氏は、東前青年会の依頼で子供たちに教えたのが東前七福神の始まりと言われている。
私ども雁舞道の七福神は、昭和28年当地区の青年連中のたつての希望により、発起人佐藤清太郎氏、小国仁右衛門氏、田代金三郎氏、野田得三氏(共に故人)の働きかけで同年9月に釜石市東前の師匠畠山隆男氏を招いて指導されたのが始まりで、踊りは座敷踊りであつたものを、テンポの速い囃子にアレンジし、雁舞道七福神として毎年9月の大槌稲荷神社や小鎚神社の例大祭、又結婚式等で男子小学生を主体として踊り継がれている。

動画でどうぞ。
