原体神楽 鞍馬山 道化付き
本日は胆江神楽大会から原体神楽さんの鞍馬山を。
原体神楽さんの由来については次のとおり
大正四年旧正月、菊地伊勢吉が庭元になり世話人菊地正、菊地順一、菊地三五郎等が奔走し、田原、川内神楽の菊地庄右エ門師匠の指導により、11人の舞手が中心となって、原体神楽を創設した。
大正10年、昭和4年、戦後の昭和22年、昭和49年それぞれ神楽道場を開設し、後継者の義成につとめ、原体神楽の保存に当った。
昭和52年、田谷神楽伝承復活に当り、当神楽の菊地正美、菊地幸寿、菊地啓一の三人が指導に当った。
初代庭元菊地伊勢吉、二代菊地市右エ門、三代菊地金平、四代菊地清吾、菊地貢は五代目である。
とある。
原体神楽といえば菊啓さん、菊敬さんと言えば太鼓というように切っても切れないもの。
その辺の紹介は過去ログ参照ください。http://maturinookkake.blog.fc2.com/blog-date-20111017.html

さて、舞の方は牛若丸の鞍馬山兵法修行の内容である。
平氏との戦で討ち死にした父親義朝の仇を討たんとして兵法を磨くべく鞍馬山へ参ると大天狗小天狗が待ち受けている。

ここで特筆すべきは、敵方の小天狗が道化役になっていることである。
神戦を道化との戦いで争うことは山伏神楽にはよく表現されている様式である。(早池峰系の天王舞など)
その様式を投影したかのような牛若と小天狗の戦ぶりである。

このようにシリアスな劇の最中に道化た表現をおこすのは、観客の中の子供たちへ向けたサービスでもあるなと思うことがある。
神楽の番組ではここへくるまでは式舞が中心で緊張感があり子供には難解な言葉で詞章が語られるのみ。
いかにかっこいい神楽舞でも、そろそろつかれる頃であるが、そこに子供たちでも痛快に笑える舞台が繰り広げられるのである。今日でいえば一発芸を繰り出すテレビ芸人のようであろうか。

こういったあたりにも南部神楽のエンターティメントとしての面目躍如といった感じがする。
神楽の根本は大切にしつつも、旧来の常識にとらわれずに、常に観衆と対話しニーズを掘り起こして観衆に寄り添ってきたからこそ明治初期に他の神楽を駆逐する勢いで岩手宮城に勢力拡大していったことと推察できる。

動画でどうぞ。
