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2012.08.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ祭り

第37回胆江神楽大会

本日は奥州市水沢区鎮座の日高神社の例祭があり、奉納行事として第37回胆江神楽大会が行われた。

神楽大会リポートに入る前に日高神社の由来について(岩手県神道青年会HPより)

人皇五十二代嵯峨帝引仁元年(810)に勧請。創建される。奥州三ヵ所の一(日本国内二十四ヵ所ありという)、後冷泉帝康平四年(1062)鎮守府将軍源頼義・義家が、安倍貞任と闘う。この地に大雨頻りに降り雌雄を決せんとして、妙見宮に祈願し、未の刻に大雨止みて戦勝せり。依って神鏡一面を献じ、未の妙見堂と尊号す。社地黒印地たり、社堂・源頼義筆という請願主社存す。
 留守家景公(加灘寺殿瑞山祥雲大居士)代々の留守家の祖霊並びに初代宗利公、追腹八士を祀る。保栄堂とも号す。嘉永六年(1853)九月宮城郡志波社境内より遷す。宗利公は(四十九歳)寛永十五年(1638)八月十五日卒す。殉死者は八月二十六日追腹、乱世の歌あり。



宮司さんは今年になって先代の千葉正美氏から千田仁志氏に変わったばかり。
私事ですが、千田宮司さんには胆江神楽大会の経緯調査の際には大変お世話になりました。

この日高神社は火防祭の方が有名であるが、境内には初代水沢藩主の伊達(留守)宗利以来の留守家祖廟である瑞山神社があり藩主の崇敬を受けていたものである。



この神楽大会は昭和51年が第1回であるが、その創始について当時の宮司である千葉正美氏と小学校の同級生であった胆江地方神楽振興協議会々長の樋口豊文氏が日高神社の祭礼にふさわしい行事をということで発案して始めたとのこと。
はじめは仮設の神楽舞台で行ったが、昭和55年に神楽殿竣工をみている。

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寄せ太鼓は笹森神楽の村上幸吉氏。
観客のご年配の方が「寄せ太鼓聞くのは久しぶりだ」という声が聞こえました。
最近は旧水沢町内で神楽を見ることはごく稀になったせいか。

DSC04136.jpg

御神楽は水沢南小学校神楽クラブの児童のみなさん。
平成18年度から笹森神楽さんが神楽指導しているとのこと。

DSC04131_20120822231221.jpg

この神楽大会の特徴として後継者育成の観点で小学校の神楽クラブを招待していることがあげられ、その中から長生して神楽師になることを期待している。

DSC04143.jpg

ダイジェストですが動画でどうぞ。


2012.08.22 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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