瀬台野神楽
今日は奥州市水沢区にある増長寺というお寺さんの境内での小さな祭りについて。
ここは臨済宗妙心寺派のお寺さんであるが、境内に和光稲荷の小社があり、そこの例祭に地元の瀬台野神楽が奉納された。
瀬台野神楽さんは地元であり一番身近であるはずなのに今まで見聞したことがなかったので、足元の宝を見つけたような気分で感激しました。
ということで、神楽組の由来を
元禄一二年(一六九九)羽黒山より免許を得て、修験道場を開いた、日光院清延氏が祈祷に神楽を奏したのが始めとされている。
明治初年、太政官布告により修験道の廃止とともに、神楽も衰退したが、後、神楽は千葉常右エ門に伝えられ、宮城県築舘で神楽を習得した千葉栄左エ門が庭元となり中興し、その間出雲流科白(せりふ)神楽を習得し、隆盛を極めた。
明治二八年一○月、神道神楽会長小川原房松、菅原金之丞の両名により神楽本を製作し後世に伝えた。
その後、西磐井郡萩荘村、黒沢神楽、水沢市五千刈、下幅神楽とも交流を深めた。
戦後中断していたが、昭和五一年一月、瀬台野神楽の巻物を伝える江刺市田原の川内神楽より師匠を招き、指導を受け復興し、現在に至る。
とあり、古くから水沢神楽とか言われた神楽系統の根本になる神楽団体である。

ここの神楽団体には「瀬台野神楽口唱歌誌」という大冊の神楽資料があり胆江地方の神楽を知る上で非常に貴重な資料となっている。

また、「語り伝えみずさわ 下巻」に神楽の話という項目で瀬台野神楽の明治期の姿を聞き取りの形式でまとめられており、当時の様子がよくわかるが、これについてはまた後日ブログで掲載します。

いづれ、日頃はなかなかお目にかかれない瀬台野神楽を間近でみることができ、感激の日ではありました。

動画でどうぞ。
