長下田神楽 一の谷合戦 首取りの場
さて、一時中断していた登米市民俗芸能大会の見聞記事を再開します。
本日は長下田神楽さんの「一の谷合戦 首取りの場」を。
長下田神楽さんの由来について
明治26年(1893)、岩手県西磐井郡花泉町の上油田神楽の南部神楽師 佐藤和三郎を師匠に招き、五穀豊穣を祈願して「橋向神楽」として創設されましたが、その後、二つに分かれ、昭和24年(1949)池田清治を師匠に「長下田神楽」として継承され、現在に至っています。
とあります。
熊谷次郎直実 と 平山判官秀重
平敦盛の首取りの場は、熊谷直実の苦悩と逡巡を表す場面、
敦盛の面と采を持って討ち取ったことを表現している。
ここで多くの神楽では敦盛は幕の陰に退場するのだが、さあにあらず、首のない敦盛が後方に蹲ったままである。
ある意味緊張感が漂う演出である。
動画でどうぞ。
