第27回みちのく鹿踊大会のトリを務めたのは地元の真坂組
当日のリーフレットより
「真坂の鹿踊は、伊達家御一門の家格をもつ白河家の御抱鹿踊組として邑主の庇護を受け、毎年の城中の盆の行事や関の明神の縁日に踊られ、真坂の家々の盆の供養にも巡って、土地の人々にも愛されてきました。
真坂組より伝授を受けていた清水目組とは相互に親しく交流を続け、技価を磨いてきた結果伝承は確かでどちらも甲乙
つけ難い評価を貰っています。
演目も多く、特に導入部に踊る「入掛舞」や劇風な「案山子舞」「三つ狂い」「女鹿かくし」など、観衆の喝采も一段と大きく、踊手も気を良くして盛り上がります。」
とあります。
ここの中立ちの装束は袴の色が他の鹿と異なる。
こういう出で立ちは他の踊り組にはないものである。
また、流しの縁取りに白い布のタンポ状のものがついているが、これは山伏の鈴懸の意味ではないかと思う(裏付けはありません)
そして頭の華鬘結びからは端布がザイの間に垂れていて、まるで権現様の頭のような感じである。
・・・と、適当な能書きを垂れたが、この真坂組の踊りで最も感動的なのは側鹿の精神である。
何のことかというと、通常中立ちが一人踊りに入ると側鹿はバックグラウンド的な役割(静かに細かく太鼓を打つみたいな)である。
しかし、ここの側鹿は全く違う!
中立ちが一人踊りしている間も手を抜くことなく太鼓を叩き、膝立ちで踊り囃している。
しかも、時折中立ちに対して合いの手を入れ、かつ、中立ち以上に太鼓を打つのである。
他の組のことであるが、かつて澤田定三氏が側鹿が手を抜いているさまをみて情けないと評したことがあるが、それと全く反対でここの組の側鹿太鼓は中立ち同等の重鎮である。
白河家お抱えの八鹿踊りとして名誉を重んじているのである
シシ歌には次のものがある
天竺の白山お山のその竹を 日本へくだしてささらと読み候
動画でどうぞ。
