加茂流舘神楽 鞍馬破り
今日は真夏並みの暑さだった。暦の上では芒種となる。
さて、本日は加茂流舘神楽さんについて。
初見なので由来から。
「明治三九年、五穀豊穣、疫病退散と併せて日露戦争後の青年の心の融和を目標に、及川徳蔵が庭元となり、栗原郡藤里村藤里(現在瀬峯町)より南部神楽の細川勇三郎師匠を招き神楽の指導を受け、舘青年神楽を創設した。
その後明治45年に解散したが大正元年9月に及川徳蔵、佐々木次郎右エ門が師匠になり再編され、再び新羅神社の附属神楽となりました。この時、上沼加茂流法印神楽の流派からその名を冠し、「加茂流舘神楽」と命名されました。
昭和四五年、保存会を結成現在一五名を数え、瀬峰町よりの要謂で神楽の復活のため指導に当った。」
とある。流神楽の中でも古い形が舞に残っているような感じであった。
牛若丸さん。
常磐御前が牛若丸を連れて鞍馬山へと向かう場面で渡り拍子となるが、ここで崩し舞の形になっている。
すごく古雅な舞い方である。鄙びたともいえるかもしれないし、旧態を残しているともいえる。
常磐御前の鞍馬破りの禁制にうろたえる別当東光坊阿闍梨と智学坊
マイクの加減か、神台があまりよく聞こえなかったが問答の内容はこうである。
源氏再興を我が子の牛若丸に託すため女人禁制の鞍馬山に預けることにした。
入山しようとする別当どもが太刀を構えて下山せよと迫る。
ここで問答になり、常盤御前はかく言う。
女人禁制というがその方たち男とて女の身から生まれしもの、それに着ている服は不浄な女たちが作りしもの、さすればその方等男供も今すぐ下山すべしと。
ここで別当はすかさず
如何に者共よ 弁舌を鮮やかに言葉に花咲するとも叶うまじ 早々下山せよと
ここにいたって常磐御前は我が身の上と源氏再興のために我が子を別当に預けたいと告げる。
別当は感激し牛若を預かることにし、千代の御神楽となる。
この演目は奥浄瑠璃から神楽に編み出されたものとのこと。
動画でどうぞ。
