平泉文化と南部神楽 その3
今日は鶯沢神楽さんの一の谷合戦より敦盛、玉織姫別れの場を。
ここの段は敦盛が最後の戦場(八嶋)に赴く前に妻の玉織姫を呼び寄せて、身ごもっている子が男の子なら黄金の太刀を授けるので立派な武士に育てよと、女の子なら十一面観音菩薩を肌身離さず亡き父の菩提を弔うようにと言い残して別れる場面である。
他の神楽組では比較的短く演ぜられる場面だが神台本が長く構成されているようです。48分あります。(もっとも敦盛関係だけでも全部演じるには一昼夜かかったとか)
敦盛と 玉織姫
当たり前の事なのであるが、間近で玉織姫をみて初めて気がついた。
装束の腹部が妙にでこぼこしているなと思ったら、身ごもった体を表現しているのである。
玉織姫のセリフにも「・・・然るに我が胎内に宿らせ給う七月半の緑子あり・・・」と。
歌舞伎の一谷嫩軍記では、玉織姫は源氏方の平山武者の刀にかかり瀕死の状態で敦盛と対面するのであるが、南部神楽ではここで玉織姫は死なずに法童丸を生みそして・・・という運びとなっている。
ここは軍記ものの中ではあるが情話の色濃い部分で、昔は女性観客の人気が高かったことと思う。
そしてこの跡は熊谷直実と敦盛の須磨の浦の段になり、荒事と武士の侠気の見せ場となる。
動画でどうぞ。
