岩手県南宮城県北神楽大会 その3
岩手県南宮城県北神楽大会から今日は鶯沢神楽(栗駒市)さんの小袖曾我を紹介いたします。
その前に鶯沢神楽さんについて南部神楽の系譜から引用
「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世詰人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創股した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者養成識習会を開催した。識師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。」
そして小袖曽我についてパンフレットから
あらすじ
「建久4年、兄一万丸は曾我太郎祐信に、弟箱王丸は密かに北条時政殿を烏帽子親として、それぞれ兄は十郎祐成、弟は五郎時致と元服を済ませた兄弟は、鎌倉殿の富士の裾野のまき狩りを機に仇討ちせんと、母上に決心の程を打ち明け、形見に小袖を依頼する。
しかし、弟は勘当の身であるが、兄と心を合わせ母上に対面し勘当の許しを得んと同道する。母は、「勘当した者はわが子ではない、重ねて勘当する。」と激怒する。
兄十郎は不憫な弟を見て刀に掛けようとする、母は慌ててこれを止め兄弟に諌めを成し、五郎時致の勘当を許すと共に形見の小袖を与える。
兄弟は歌を詠み、名残を惜しみながら富士の裾野に向かう場面である。」
この演目の出典は能の小袖曽我と思うが、これがどういう経過で神楽の演目に取り入れられていったのか興味深い。
《見どころ》 人間関係や親子関係が希薄な現在、子を思う親の情愛。 兄一万丸
兄十郎が弟を刀害にかけようとするが
母は勘当こそすれ命を果ててなるものかと兄十郎を咎める。
この後、母君の山の葉が入る。
個人演技女舞の部で受賞している。
動画でどうぞ。
