岩手県南宮城県北選抜神楽大会 その2
昨日に引き続き今日は3位入賞となりました南沢神楽の屋島合戦から。
内容は屋島合戦の中の源義経配下の佐藤兄弟についての物語。
あらすじについて当日のパンフレットから
「源氏の大将、義経に対し、弓を取つては日本一と言われた平家の武将、能登守教経とが、大将同志の戦いとなった。義経公の臣武洛高き、佐藤二郎兵衛継信、忠信兄弟が力I勢し、継信が、主君の身代わりとなつて、能登守の矢先に立
って奮戦するが、能登守の笛竹ほどの管矢に胸を射貫かれ、勇士は最後をとげる。弟の忠信は、兄継信の敵、能登守と戦い、ついに討ち取る。戦いすんで忠信は、負傷し行方知れずになつた兄を探す。日は暮れ、暗闇の中手探りしなが
ら、やつと探しあて、負傷した兄を抱き上げ、背負つて義経公の待つ高松ケ峰陣屋に行く。そこで、息を引き取つた継信を、義経公と忠信は、ねんごろに弔い、都に帰ります。」
そして”見どころ”として
「瀕死の状態の兄を思う弟忠信の心情。」とある。情話である。
義経
義経vs能登守教経
忠信、兄の行方を思案。大変素晴らしいコワでした。会場から沢山の拍手でした。
若人の部で個人賞を取りました。
継信殉死の場。
大会講評の中に「ひとつ残念なことは、観衆に背を向けての演技がありました。」
という部分があった。
段物(劇舞)を上演する際の留意事項とは思うが、そもそも神楽というものは神事芸能である。
神様に奉納するわけなので、客(人間)に対して後を向こうが横を向こうが関係ないはずである。
しかるに南部神楽大会の講評としてこういう評価をするということは、南部神楽が神事芸能プラス大衆演劇の役割を果たしているということの証明といえる。
この辺に南部神楽発祥の根源がありそうだ。
動画でどうぞ。
