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2012.05.31 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

平泉文化と南部神楽 その5

鶯沢神楽さんの最後の演目は弁慶安宅の関

歌舞伎や時代劇でもお馴染みの演目である。
当日のパンフレットから

「一の谷、屋島、壇ノ浦と平家を壊滅した義経は、源氏方の梶原景時のざん言によって、兄頼朝の追手を受ける身となつた。義経の身の潔白を訴える腰越状は有名。
血を分けた兄頼朝の仕打ちに最早西国に居ることができず、懐かしの平泉をさして都をあとにした。

途中、追手に合い頼む佐藤忠信は義経を逃すために吉野山で戦死、愛妻静とは生き別れとなる。義経は弁慶を伴い、山伏姿に身を装い北陸路を東国へと下る。安宅の関所にさしかかり、関守富樫泰家にとがめられる。関守と弁慶の押し間答、弁慶機転の「勧進帳」。
そして主君への強打となる。関守は義経と知りながら武士の情けでこれを見逃す。
弁慶は主君に詫びて自害しようとするが、これを止め逆に感涙し礼を申し、更に平泉まで頼むと言う主従信頼の場面である。」

義経さん



山伏姿に身を変えて安宅の関を越えようとするが役人に呼び止められ

そこへ関守の冨樫が登場。
しかし安宅に関所があったかどうかは不明という。
もっとも世を忍んで奥州へ逃れようとしていた義経主従が関所などという中央突破に踏み切ることもおかしな話だ。

DSC09816.jpg

ここで山伏問答や白紙の勧進帳を読み上げるクライマックスとなる。

が、しかし歌舞伎などでの初期の頃の冨樫の描かれ方は義経主従に丸め込まれて逃がしてしまう間抜けな役柄だったらしい。

DSC09821.jpg

そして南部神楽での冨樫の役所はガラリと変わって、義経主従と見抜いた上で、讒言によって都落ちをする勇将を惜しみ、敢えて見て見ぬふりをする侠気のある名役人として持ち上げている。
この辺は南部神楽が人気を誇った理由が窺える部分である。
つまり、神楽を見る農民は常日頃から役人の酷政に恨みがあり、そんな状況を救ってくれる人情味のある名奉行を待ち望んでいたに違いない。
だから、、関守富樫に肩入れをする。。
事実、義経主従の正体を見破りながらも気づかぬふりをする冨樫のセリフはこうだ。
「奥州平泉をめざして早々通られよ弁慶殿~」 そして観客の拍手が湧き起こる。

DSC09827.jpg

動画でどうぞ。



テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.05.31 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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