彼岸かた道ということ
暖かい日があったかと思えば急に冷え込み雪が吹雪く、まさに三寒四温である。
彼岸の入りが17日となっている。
秋田県の大館地方では春彼岸でも雪深く花が咲くには程遠いことからドロノキを削って彩色し造花を作って墓に供えた。
ヒガンバナ作りについてのブログを参照してください。
http://akitapref.exblog.jp/15794475/
角館地方ではキョウギと言うらしい。
こちらには秋田の画人勝平得之が描いた「彼岸花」という絵が掲載されています。
http://www.akanegarou.com/works_j/etc14/77/a.html
さて、本題の彼岸であるが、「秋田風俗問状答」の二月の項に「ひがんの事」とあるので抜粋する(ところどころ口語訳している)
「団子を作り、又寺々説法なんどの事、別に異なること候わず。この時より口寄せと申すこと候。梓巫女のことを”えち子”と言う、みな盲女なり。これが梓弓をたたき、口寄せということをする。老婆なんどは多く往きて亡き人の便りを聞こうと口寄せを頼む。田植える頃にはこのこと終わる。 中略
彼岸かた道と申して、去年より降り積もった雪もこの頃には溶けて消え、馬にやる草も所々にみえるようになる也。」
三寒四温でゆきつもどりつであった天候も彼岸を境に春へと進むと言っている。
彼岸片道 後ろを振り返らずに進むことにしよう。
