水沢のくくり雛
本日はひな祭りの日である。
上巳の節供・雛節供・桃の節供などともいう。
ひな祭りというと女児の初節供の家を中心に、菱餅、白酒、あられなどを用意し、雛人形を飾って女児の成長を祝う
雛祭りが最もよく知られているが、古くは災厄除去の願いを背景にした行事や、磯遊びや近くの山に登って馳走を食べながら皆で遊び暮らすことも行なれていた。
三省堂の年中行事事典より抜粋すると
「その起源は、平安時代に祓いの道具である贖物として人形を用いたことと、幼女がそれらでひいな遊び(雛遊び)をしていたことに求められる。人形に息を吹きかけたり肌身に押しあて、これに心身の械れを移して水辺に流し棄てる風習は古くからあり、『源氏物語』須磨の巻にも二月上巳の日に光源氏が陰陽師を召して祓いをさせたあと、その人形を船に乗せて海に流したことがみえる。当時すでにこうした呪具としての人形が中国伝来の行事と習合し、三月二日や上巳の行事の中に定着していたことを示すものである。幼児の身の機れを祓うために、あまがつ(天児)、ほうこ(這子)と呼ばれる人形も用いられていた。」 と
水沢のくくり雛については、2月24日の記述にあるとおりであるが、本日は我が家に残るくくり雛を紹介する。
本当はもっとたくさんあったと記憶しているが、幼少の頃の私が持ちだして振り回したり鼠に食われたりと、今はこのような状態である。
<三番叟 と 大黒様>
<歌舞伎役者>
<歌舞伎役者 と 恵比寿様>
<市女 と くくり雛の裏側>
くくり雛の裏側は反物の畳紙などの厚紙で補強し、竹串を貼りつけている。
これは型紙らしい。左隅に「石沢まつ」とある。私の祖母である。
