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2012.02.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

一ノ矢八坂神社

これは散歩していて参拝した神社、一ノ矢八坂神社である。
神社の由来は一ノ矢八坂神社様のHPより

「大昔九州地方からカラスが飛んできて田畑を荒らすので、これを退治しようと天に向かって矢を放ち、第一の矢で射落とした処に御鎮座したのが、この一ノ矢八坂神社(一ノ矢天王様)だと言われています。
カラスは足が三本あり玉を持っていたので、射落とされた地域を「玉取村」としたとされております。また現在でも矢を射たところは「天矢場」、玉を埋めた処は「玉塚」という地名で呼ばれております。」
ということである。



社殿に向かってご挨拶しようとしたが、鈴緒が見あたらない。
とにかく神名を称えて参拝する。
2012022206580000.jpg

それにしても、何故天王社なのか。
社の由来によれば貞観年間の建立とあるが、
場所柄鹿島神ではないのか。
このあたりに時の為政者の変遷による崇神の摺り替えが窺われる。

ところで、社務所に「ニンニク守授与所」と張り紙がなされていた。
ニンニク? 何だそれ?

こういうことである。
同社のHPによると

「祭りの時に疫病除けに効力のあるニンニクが魔除けとして神社から頒布され、また境内にはニンニクの露店が立ち並ぶので、「ニンニク祭り」と呼ばれ広く一般に知られております。」
ここまではなるほどと得心する。
次に、
「ニンニクは、尊が朝鮮にお渡りになり採鉱・冶金・植林・医薬品等について学ばれた多くの技術や木種と共に、薬用の効力に優れた霊力があるものとしてお持ち帰りになられたもので、その後病気・病難祓除の強精剤として賞用されたと云う遺風が現在まで伝承されているものと信じられております。」
と、八坂=スサノウが朝鮮にお渡りになりとある。
そもそもスサノウ=武塔神は唐土~朝鮮半島経由で日本に伝来したのではなかったか。
私的には 鹿島(武甕)に後で武塔神が習合したものと捉えていたので、スサノウが朝鮮半島に渡るなどということはありえない。
むしろこの祭りの根源は朝鮮半島からの渡来人が関与したと考えたい。
事実天武持統朝には百済男女214名を武蔵に、高麗人56人を常陸へ配するなど、渡来人を関東などの遠隔地に配するようになったともある。

まあ、そんなことはどうでもいいが、ようするにニンニクを持ち込んだ人々がこいつは体に良いばかりでなく悪魔退散になるよと喧伝したことに始まったような気がする。
ニンニク守・・・欲しい!

平成24 年度の大祭日は、7月25日(水曜日)なそうである。お近くの方はどうぞ。

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.02.23 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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