角館の火振りかまくら
今日は祈年祭である。
祈念祭とは、としごいのまつりのことであり、神祇官及び国司が五穀の豊穣を祈って全国各地の神社に幣帛を奉る祭儀で、伊勢神宮を始め全国の神社では2月17日を中心に大祭として執り行っているものである。これは秋の大嘗祭と対になった春の祈願祭でもある。
さて、秋田の風俗問状答から一月十五日の記述を引きながら角館の火振りかまくらについて書いてみる。
「十四日 道祖神祭の事
この事は十五日を用う。是を俗には歳の神と申すなり。この日には左義長をし侍る。これを鎌倉と申すなり。
鎌倉の祝の體は、二日三日ばかり前より門外に雪にて四壁を造り、厚さ一尺二尺にし、水そそぎ氷かためて、それへその日には茅を積み門松、飾り藁なんどみな積みて、四壁には紙の旗、さまざまの四手切りかけし柳などかざり、わらはべ打群れ、ほたき棒てんでに提げて、ゆきかふ女あらば尻うたんと用意す。」
この中のほたき棒の習俗は、平安時代の宮中では、正月15日の望粥を煮た燃えさしや、粥を付着させて占う粥棒で、女の尻や新婚の若い男の尻をたたいて大騒ぎしたことが枕草紙などにも記されていて、近世には民間でもこの風俗が全国的に行われたとある。
また、
「やや暮れゆく頃に餅と神酒を供し、火きりて焚き付けるなり。火の熾んに燃え上がるを待ち待ちて、四壁に立たる米の俵結付し標を引き抜き、火を移して振りまわる。-中略- よね俵は二百三百用意し、付け替え付け替え振らするなり。」
これが、秋田県内で行われていた鎌倉行事の記述であるが、左義長の火を米俵に移して振り回したという記述が見られる。
角館地方の火振りかまくらはこの祭りを忠実に継承しているもので五穀豊穣と鳥追いの行事が現れている。
「この事は家継ぐべきをのここを産たる家にて、其の子十五になるまではする事に候へば、一町には三四五六は必ず有る也。」とあり、火振りを行うのは家督の少年の役目であったらしい。
確かに角館では子供であれば誰でも俵を回しているようであるが、中には親戚などが見守る中で少年が火俵を回している情景にも出会わす。一種の通過儀礼ともなっているのかもしれない。
