立若手踊り会 大原水かけ祭り
今日は立町の踊り組の紹介なのですが、あらためて大原水掛け祭りのことについて。
祭りの由来について「変遷の記録、大原水かけ祭り」から引用する。
はじまりは江戸期の明暦の大火後に幕府が発した火防令を受けて当時の八幡寺(現八幡神社)の僧が京都の密教のみそぎ祈願を取り入れて、寺の前を流れる払川で身を清めて祈願したことに始まるのではないかと言われている。
安政年間の古文書に「今年も恒例の水かけ祭りが近くなったので、準備をよろしくお願いする」という八幡寺から町方の年賀会にあてたものがあるとのこと。
また、水かけをする「水」であるが、明治の初め頃まで大原の街道の真ん中を防火用水路が通っていて、祭りの時は水かけ役はその水路に入って水を手桶で掬ってはかけ、厄男はその両側を走りぬけたということだ。
昭和初期になって祭りが盛んになってくると参加できない女子の代わりに若者男子が女装して手踊り会を作り歳祝いの家を回ったということだ。
その後、祭りは一時衰退をみるが保存会の尽力もあり、様々な趣向を編み出して今日のような活況を見るに至ったのである。
「祭りは誰のものか」ということはどの祭りにも言えることだが、伝統を守ろうとすれば観光の役には立たず、観客に迎合すれば祭りの本質が瓦解するという矛盾をはらんでいる。
<変遷の記録、大原水かけ祭り 亀卦川敬之 著>
さて、立若会のようすです。この日は天気はよかったのですがとても寒い一日でした。
手踊りの衣装ですが、女性の代参としての踊りなので襦袢を着ています。
が、何組かの踊り組では帯を前で結んでいます。男結びの意なのでしょうか。
門付けの流し撮りです。動画でどうぞ。
