黒石寺蘇民祭に寄せて 4
さて、蘇民袋の争奪であるが袋の取り口について誰が取ったかということは私も関心がないし、古来よりあまり重要ではなかったのではないか。
それよりも大切なのは、今年の作柄は吉なのか凶なのかということだったと思う。
黒石寺の蘇民祭でも蘇民袋を揉みあった若衆が薬師堂を出て、石段を降り道路にあたる。
その道路の左に行けば磐井郡であり、右に行けば胆沢から花巻にいたる。
つまりどちらの方が取り方になるかで豊作の行方が決まるから、見ている側(農民)も切実な御託宣になる。
だから、かつては黒石寺の蘇民祭の取り口がどちらの方角だったかはその日のうちに隣の北上地方まで伝令が届いたと言う話すらある。
やはり、黒石寺の蘇民祭は薬師寺の厄除け祈願と同時に、妙見様の五穀豊穣の祈願祭であることが浮かび上がってくる。正月行事が色濃く残る祭事なのである。
