小正月のやや祭り
小正月の真っ盛りであるが、今日は岩手を離れて山形の祭りについて書く。
これは平成20年1月14日に訪れた際のものである。
「余目のやや祭り」について(庄内町のHPより)
寒風吹きすさむ中、ワラで作った腰みのをつけただけの少年たちが、次々と冷水を浴び、安産と健康を祈願します。
元々、やや祭りは千河原の八幡神社の年越祭りで、従来は1月16日に行われていましたが、子どもたちが参加しやすいようにと、近年では1月15日の成人の日に行われていました。
現在では、成人の日が変更になったために1月15日に一番近い日曜日に行われています。
昔は、数日間かけて行われていましたが、今では簡素化され、祭事のすべてを1日で終わらせています。
やや祭りの由来
その昔、第15代応神天皇の皇子・大山守命が、悪臣の謀反にあって千河原に逃がれ、村の草分け弥左エ門宅の産部屋に隠れました。
皇子は、自分の身の苦しみも忘れてかくまってくれた産婦に対して「私はたとえ死んでも神となり、お前の身を守ってやろう。また世の産女の安産を祈ってやるが、もし難産の場合は私の名を唱えよ。必ず助けてつかわす」
と申された。
この物語がやや祭りの由来となっています。
と、つまり安産と子守の祈願のまつりであるが、それに小正月の寒中禊が集合した祭りのようである。
紛れも無く奇祭である。庄内弁でいえば「おがすげな祭り」なそうである。
15歳以上の青年たちは腰ミノと鉢巻き姿で鳥居と拝殿の間を走って往復し、冷水をかぶりながら、お百度参りをする。(手に持っているのはロウソク)
頭上にワラとモミの木で作った冠がかかげられ、子供たちが両手を掲げ静止すると、前夜から汲み置きしておいた冷水を浴びせる。(ここはシャッターチャンスであるが何ともむぜえぇ場面ではある)
やや祭りは300年以上前から続いているとされる冬の伝統行事。水をかけられた子供たちは集落を駆け回った後、拝殿で参拝する。
場所はここです↓
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