水沢のケライ神信仰
水沢では古くより「家来神」「ケレェ神」と称して、生まれ年に因む守護神を信仰する風習があった。
南部領では「御一代様」といい、天台宗の言葉で人の一代限りの守り神ということらしい。
で、水沢での家来神は次のとおり
子 千手観音( 縁日十七日 現在は七月第三土曜日) 三本木 三十三観音堂(現在は大林寺境内に移転)
丑寅 虚空蔵菩薩( 十三日 現在は六月十三日) 上町 虚空蔵堂(水沢小学校西隣)
卯 文殊菩薩( 二十五日 現在は八月第四土曜日) 東中通 雲峰神社(明治以前は寺小路にあった)
辰巳 普賢菩薩( 二十四日) 〃
午 勢至菩薩(二十三日) 〃
未申 大日如来(八日) 不断町 大日堂(樋口医院南隣)
酉 不動明王(二十八日 現六月二十八日) 宮下町 不動明王堂(旧大内美容院敷地内)、成田不動尊
戌亥 八幡大菩薩(十五日 現九月十五日 ) 高麗八幡(新小路) 八幡(勝手町) 等
「語り伝え水沢」の中で、ある天台宗の僧侶にケダイ神について質問し、その答えが紹介されているので、抜粋すると。
「(ケダイ)それはカリ、假という字。それからダイは諦。だから天台語と日本語の合まぜが假諦神さん。人生観と言うような、いわゆる止観という天台哲学。天台では人生を三つに分けて、過去、現在、未来ですね。真諦、假諦、中諦と三つに分けるんだそうですよ。過去が真諦、現在が假諦、未来が中識と。だから人生即天台で言う假諦、仮りの諦め。まあ姿と言ったふうにみればいいかもしれない。(中略)天台で言うその三観の概略を。そう言われれば、ケダイを守って下さる現世の幸福を守って下さる神様と言うことになる。」
と、つまりこれは天台の考え方であるらしいのだ。がしかし、上にあげた家来神さんたちはお寺さんなのに表に鳥居があったり、または神社だったりと、要するに両部なのである。
で、ご利益を得るために明治期まではそれぞれの縁日にお賽銭を握ってお参りしていたらしいが、その後は元朝参りは一年間の幸福を願いに行くのだということで元朝の恵方参りに家来神を参拝するようになってきたと言うわけである。
私の祖母は、この家来神をいたく信仰していて、酉年だったから近所の成田不動尊を大事に思ったのか石灯籠まで寄進している。(今も祠の前に立っているが、高価なものだったろうに)
もっとも、今では家来神だろうがケライ神だろうが知っている者はどれだけいるのか。
という訳で、私は今年も元朝参りは「ケライ神めぐりウォーキング」をしようと思っている。
これは、私の家来神である高麗八幡神社。
この社の由来は、
「文禄二年(一五九二)伊達政宗が、豊臣秀吉の命で高麗に出陣するに際し、水沢城主の留守政景もこれに従った。その時、京都の僧智学を伴い、護身のため崇信する近江八幡から分霊を奉持し、任を終えて無事帰国することが出来た。
留守家では、その後ますます崇敬を強め、高麗八幡と尊称し、政景の後継ぎである初代水沢城主宗利が、寛永六年(一六二九)に社祠を建立し、高麗八幡宮と称した。」
とある。
私の子どものころはここでの縁日には夜店が立ち並び、神楽もかかったものですが、今は衰退しております。
因みに仙台では「けたいがみ」「けでーがみ」というそうである。
各干支の守り本尊と参拝社は次のとおり
子 千手観音( 縁日七日) 元寺小路 観音堂
丑寅 虚空蔵菩薩( 十三日) 向山 虚空蔵堂
卯 文殊菩薩( 二十五日) 茶屋町 文殊堂
辰巳 普賢菩薩( 二十四日) 向山 愛宕神社
午 勢至菩薩(二十三日) 北目町 二十三夜さん
未申 大日如来(八日) 柳町 大日堂
酉 不動明王(二十八日) 三滝―新伝馬町 不動堂(明治四年新伝馬町に移す)
戌亥 阿弥陀如来(十五日 ) 八幡町 大崎八幡
〔中略〕阿弥陀は八幡の本地仏なる故同じとされた。
これらの神仏には真言宗・天台宗の寺院か修験が別当をしており、祭礼にはその生年に当る者がよく参詣した。』
以上「宮城県仏教史」より抜粋
