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2011.12.26 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

虎舞の系譜 2

前日に続いて、虎舞の系譜だなどと大上段に構えたが、所詮生兵法であった。
他の寺社につく芸能等と違って、庶民風流のものなので、確たる書物があまりないようなのだ。というか、そんなもの必要なかったというべきか。ということで、口伝と史書による傍証のみなので、種々の説があるようだ。

で、当初疑問に思っていた和藤内がつくつかないは、おおまかには山田大槌はほぼ全てにつく、釜石は山田大沢系統のものにつく。鵜住居箱崎地区と平田尾崎地区はつかない。大石と根白以南の三陸町にはつく。(大船渡の立根以南の虎舞は別物)
これでいいかどうか諸氏のご教示を願います。

★大槌の虎舞 現在は5団体(吉里吉里、安渡、陸中弁天、向川原、城山)

陸中吉里吉里虎舞  吉里吉里善兵衛が江戸の歌舞伎芝居で演ずる国性爺合戦を見て故郷に帰り、赤土で虎頭を作らせ、振り囃子を付けさせたとのこと。

安渡虎舞 天保年間(1830年~1843年)に大漁万作、商売繁盛を祈願するため 釜石市片岸から伝授されたといわれる。演目には通り舞、露喰み、散らし囃子、大黒舞などがあります。が、一番の特徴は「安渡の虎舞はね虎舞、一杯飲まねば気がすまねぇ」

向川原虎舞 昭和23年(1948年)、郷土芸能を通じて青少年の健全育成を図るため、向川原地域の青年会活動に取り入れたのが始まり。

陸中弁天虎舞 昭和49年(1974年)大槌町赤浜の若者数十人により「赤浜虎舞」が結成された。その後、大槌湾の真ん中に浮かぶ蓬莱島に祀られる弁天神社に、和藤内の大神宮のお札と吉里吉里善兵衛ゆかりの品が納められたことを契機に「陸中弁天虎舞」と改称。

城山虎舞 平成8年(1996年)、町内の若者により組織された団体「城山虎舞」が釜石市尾崎町虎舞の指導を受けて始めた。踊りは遊び虎、跳ね虎、笹ばみの他に豊年俵積み唄、大漁歌いこみ等の手踊がある。

安渡虎舞の動画


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2011.12.26 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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