狼ケ志田神楽 南部神楽シンポジウム
さて、本日は狼ケ志田神楽の三番叟である。
胴は本日も青沼松男翁です。
狼ケ志田神楽の由来は「南部神楽調査報告書」より
「狼ヶ志田神楽は、文久元年(1862年)神楽の祖、菅原甚太郎、菅原新右エ門、菅原今朝吉、小野寺長蔵等が、小山、中沢神楽の本庄板太郎より山伏神楽を伝授された。
明治25年11月、菅原甚太郎が上昼沢佐藤家を通して達古袋と縁組をしたことから、西磐井郡萩荘村達古袋阿部徳太郎、小岩彦三郎両師匠より達古袋神楽を伝授された。
達古袋神楽は、達古袋に永住した羽黒山系山伏一七代元道常学院相模坊が指導したと言われる。
大正5年二の台、菱ヶ森、大正8年恩俗、衣川雲南田等に狼ヶ志田神楽を伝授している。
明治25年初代庭元菅原甚太郎より昭和44年九代庭元青沼松男に引継がれている。
昭和35年11月胆沢町民俗無形文化財に指定されている。」
今年になって25年ぶりに天の岩戸開きを復活させたということで、8月に行われた胆江神楽大会で上演されたのを見ている。非常に格調高い仕上がりであったし、崩しに入る前に青沼氏の撥車も拝見できた。
また、平成24年には創始から120年を迎えるので準備をしているとのこと。楽しみである。
三番叟と言えば、胴取との掛け合いの中で「どうなりとも打ってみるがよい」と太鼓を三番叟に預ける場面がある。通常、三番叟はそのまま転がして返すのであるが、この時は両手にもった扇と錫杖で太鼓を二三度打ってから返していた。初めて見た。
狼ケ志田の演出なのか山伏神楽本来の所作なのか、今一度他の神楽組の三番叟を見直すことにする。
今回のシンポジウムでも話題になったが、近年は見る側にも問題があるのではないかということだ。
南部神楽の場合、コワの決まった時に拍手が起こるが、すぐれた舞が繰り出されたときに喝采が起こることは少ない。これが南部神楽の変節の原因とも考えたくなる。
宮城県北地方で神楽を見ていると舞振りに対して拍手が起こることがあるが、岩手での見ていてそういうことはほとんどない。
下のように三番叟がしっかりと反り身を決めた時ぐらいは拍手してもよいのではないか。(そういう自分から拍手したらいいだろう・・・自分にツッコミ)
では、動画でどうぞ。
