川内神楽 南部神楽シンポジウムin南股2011
さて、今日は心待ちにしておりました南部神楽シンポジウムin南股2011「南部神楽の中の式神楽」に行って参りました。
内容は、基調講演あり、神楽実演あり、神楽団体代表面々によるディスカッションありと、とても濃い内容で「どうしてもっとみんな来ないの?」というくらいの充実した内容でした。
多分、これから1週間は当ブログで毎日掲載することになると思いますので、お付き合いください(途中で千葉県に出張するが大丈夫か?)
ということで、神楽上演のトップバッターは、衣川の川内神楽さんの三神楽です。
川内神楽さんについて(南部神楽系譜調査報告書より)
「明治三九年頃伊藤捨七、佐藤善左エ門の十一人が世話人となり、胆沢郡瀬台野神楽より伝承された羽田鴬沢神楽の金野忠三郎、菅原常之助両師匠を招請し、伊藤金蔵、菊地庄左エ門、伊藤喜兵衛、伊藤庄蔵、伊藤千百治、菊地用作等が指導を受けて、川内神楽を創設した。
大正二年、藤里横瀬愛宕下神楽、大正五年、田原原体神楽、大正六年、東磐井郡興田市之通神楽、昭和七年、玉里樋茂井野和田神楽の指導をした。
昭和五十一年、水沢市瀬台野神楽の復興に当り指導伝授し交流を深めている。
初代座元伊藤捨吉、二代伊藤長蔵、三代伊藤博である。
昭和四十九年、川内神楽創立七十周年を記念し、神楽記念碑を建立した。
昭和四十八年十一月三日、江刺市民俗芸能無形文化財の指定を受けた。」
とあります。
演目は、三神楽と書いて「みかぐら」なのですが、通常みかぐらと言った場合は四人舞で、二人舞の場合は鳥舞と呼ぶことが多い。
本日は式舞ということで、ほとんどの演目で幕出しの際に雲張りが行われました。
この部分は早池峰系山伏神楽の残影が色濃く残っている部分で、陸前浜の法印神楽には無い部分です。
(そもそも法印神楽は舞人が幕裏から出てくるのではなく、花道や橋掛かりから出てくるので)
御神楽の扇の手ですが、南部神楽の場合は山伏神楽に比べて非常に流麗で鋭く弧を描いて舞い刺す感じがします。
(女舞の場合は特に)
この辺は、神楽の中に舞踊の所作等が取り入れられたためと個人的に思っています。(松づくしの扇の手等も近い感じが・・・)
最初は一人舞から三人舞になり、最後は二人舞になって幕入りとなる。
動画でどうぞ。
