秋保の田植え踊り その2
11月5日に秋保・里センターで行われた秋保田植踊についての続き。
今日は長袋の田植踊りについてである。
パンフレットより引用
長袋地区は、かつて平家の落人たちが住みついたと言われる町の中心地です。現在も長袋の田植踊に用いられている大
太鼓の胴裏には元禄2年(1689年)の記年銘があり、少なくともそれ以前から田植踊があつたと考えられます。また、長
袋の町には幕末から昭和初年にかけて地芝居(歌舞伎)があり、長袋など仙台城下周辺の田植踊に歌舞伎の影響が強くみ
られるのは、この地芝居に出た素人役者たちが、正月には田植踊の役割を担つたためと言われています。
とある。
で、弥十郎であるが、片袖を脱いだ形で中の襦袢との色合いが粋である。早乙女の衣装も黒なので非常に荘厳な感じがする。
この日の演目は
・入端 ・鈴田植 ・二本扇 ・銭太鼓 ・二本そぞろ木 ・手拍子 ・褒め言葉~返し言葉 ・はね太鼓 ・あがりはか
で、早乙女の採物なんであるが、下の画像で時計回りに扇、鈴木、綾竹、銭太鼓であり、これら採物の名称が演目の題名になっている。何も持たないのが手拍子となっている。
早乙女について、本来は女装の男性が行なっていたということであるが、またまた菅江真澄の文から引用すると
「紅布鉢纏したるは奴田植といひ、菅笠着て女のさませしは早丁乙女田植といへり」とある。
しかし、住吉大社等での御田植え神事では「植女」とともに「八乙女の田舞」のように、もともと女性であった可能性もある。それと、秋保の早乙女をみていると南須釜の念仏踊を想起するのであるがどうだろうか。
動画は、二本扇~銭太鼓をダイジェストでどうぞ
