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2023.05.28 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

只越虎舞@2022第12回虎舞フェスティバル

さて本日は、2022年6月5日に行なわれた第12回虎舞フェスティバルから只越虎舞です。

只越虎舞の由来について

「只越虎舞は昭和20年代に坂本軍治氏の呼びかけで錦町虎舞の分家として始まった。
新日鉄野球部が都市対抗野球大会に出る際に応援団として出ることを錦町に相談したが「虎舞は神聖なもので見世物でない。」と断られたが昭和29年に後楽園球場で舞い名声を得たと」いうことです。



只越虎舞では白虎があることが特長です。
陰陽道では白虎は西に位置して大道を司るということです。虎は千里行って千里帰るということでしょうか。

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只越虎舞は釜石製鉄所山神社の例大祭では年行事露払いの役目を持っており、山神社では必ず奉納し、神輿渡御にも供奉しています。

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白虎の喰み 迫力あります

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動画でどうぞ


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2023.05.28 |

2023.05.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

白浜虎舞@2022第12回虎舞フェスティバル

さて本日は、2022年6月5日に行なわれた第12回虎舞フェスティバルから白浜虎舞です。

白濱虎舞好友會の由来について

「昭和55年(1980年)頃、鵜住居虎舞の指導をうけて発足しました。
踊の特徴演目には矢車、跳ね虎、笹喰みなどがあります。
航海の安全と操業の無事安全、大漁を祈願し奉納されますが、神輿渡御や曳船の船上での威勢の囃子も勇壮です。」

とあります。

白浜地区は釜石市東部の鵜住居町から箱崎地区を過ぎて箱崎半島の先にあります。



演目は矢車

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跳ね虎

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そして笹喰みです。

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最後は甚句で舞納めます。

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2023.05.27 |

2023.05.26 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

尾崎町虎舞@2022第12回虎舞フェスティバル

さて本日は、2022年6月5日に行なわれた第12回虎舞フェスティバルから尾崎町虎舞です。

尾崎町虎舞の由来について

「尾崎町虎舞の尾崎町は、 昔は臺村と言われる地名で、現在の浜町2丁目だそうです。
尾崎町の虎舞は、江戸時代の元禄14年頃、山田町の大沢虎舞から伝えられた松倉虎舞に始まるとされていて、漁師達の海上安全と大漁を祈願して奉納されてきました。
踊りは、南部藩寿松院支配年行司太神楽より譲り受け、その特徴は、 虎に願いを託して、漁師町らしい浜っ子気質の威勢の良い独特の囃子と、 虎の猛々しい生態を表した舞で、 演目には矢車、跳ね虎、笹喰みの他に、龍虎舞や刺鳥舞なども受け継がれています。
平成10年7月に「釜石虎舞」 として、市の無形文化財に指定された虎舞の一つです。」

ということです。



尾崎町とは文字通り尾崎神社の門前町ということで、錦町とともに浜の活気に溢れた地域で伝承されてきたものです。
尾崎町虎舞は旧町名から臺(台)村虎舞ともいい、主に尾崎神社の祭礼に付随して行われ、神輿の先払い及び青出浜の尾崎神社沖の宮までの曳船の随行を担っています。

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祭りの賑わいの場で笛太鼓鉦の激しいリズムとともに虎頭と幌が縦横無尽に街を駆け巡り、囃子手の若衆も肩を組んで威勢よく掛け声をかける。
そこにいるだけで祭りという高揚感と一体感にドップリと浸れる、いや浸っていた記憶が呼び覚まされる。
浜の虎舞にはそんな魅力がある。

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とはいえ、尾崎町の景色は震災前とは大分変貌しましたが、祭りにかける意気込みは変わらない。
今年の釜石祭りはコロナ以前の姿に戻ることと期待して楽しみにしよう。

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2023.05.26 |

2023.05.25 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

鵜住居虎舞@2022第12回虎舞フェスティバル

さて本日は、2022年6月5日に行なわれた第12回虎舞フェスティバルから鵜住居虎舞です。

鵜住居虎舞の由来について

鵜住居虎舞に伝わる銅板が巻かれた笛には「巳之松」と記されてあり、これは江戸末期のものと推測されている。
さらに地元の鵜住居神社祭礼の先払いとして神輿の船頭で踊られてきたとから江戸中期の創始とも言われている。
明治29年の三陸津波により被災して地元で踊ることができなかった時期には、沼崎宇兵、弟子両川六郎等が近年まで門前虎(錦町虎舞)へ応援に出かけていたという。
現存する太鼓には明治11年の年号が記録されているが年代不詳とのこと。



鵜住居虎舞は山田の大沢の系統とも盛岡からのものともいわれていて、囃子が太神楽の影響を受けているともいわれているそうです。
演目は矢車、跳ね虎、

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笹喰み

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最後は傘甚句。
鵜住居虎舞の特徴として手踊が豊富だということですが、これは昔から虎舞とは別に、予祝や祝の席での余興芸が、やがて祭礼や正月の門付け芸になり、さらに虎舞とともに賑やかに行われるようになったものと推察する。

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2023.05.25 |

2023.05.24 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ虎舞

火伏せの虎舞「宮城県加美町中新田」@2022第12回虎舞フェスティバル

さて本日は、2022年6月5日に行なわれた第12回虎舞フェスティバルから火伏せの虎舞です。

この虎舞は、宮城県加美町中新田において毎年4月29日に行われています。
本来は、毎年初午の稲荷明神の祭典日に火伏せを祈願して行われていたが、現在は4月29日に固定して斎行されるようになった。



この虎舞の起源は文和3(1354)年に斯波家兼が三河から奥州管領として中新田城を築いた際、城内に八幡神社と稲荷明神を祀り、初午に稲荷明神の祭礼で奉納したのが始まりということだ。

その後、度重なる火災を鎮めるため、屋根の上に乗り「雲は竜に従い、風は虎に従う」という中国の故事に倣って火伏せ祈願の祭りとなった。

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山車につく囃子は「通り」、虎舞を踊る際は「本調子」「岡崎」が奏される。

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祭りの中核は消防団が担っているが、虎舞の中心は中高生で商家の屋根の上で踊ったり、町中を縦走しては門付けでは屋敷の庭などで火伏せを祈願して踊る。
虎舞をするということは、中新田の子どもたちの通過儀礼であるかもしれない。

火伏せの虎舞の祭りについては拙ブログにて参照されたい ⇒ 火伏せの虎舞 宮城県加美町中新田

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2023.05.24 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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