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2023.12.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

上幅庭田植踊保存会「入りこみ、朝はか他」@2023奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2023年11月26日に行なわれた奥州市郷土芸能祭から上幅庭田植踊保存会で入りこみ、朝はか他です。

由来について水沢市教育委員会篇「無形文化財保存記録集 2 」から抜粋

「松本市治氏からの間き取りによれば、「語り伝えでは、今から七三〇年前(弘長二年)この庭田植踊を掃部長者に見せたところが、ここの『田植っこ』は他所の田植っこと違って、「めでためでた」で踊って入って来るのが大変良いということで、一番の折紙をつけられ、それを誇りにして今迄踊り伝え、継承されてきたということです。ただ、どこから入ってきて、誰が始めたかなどということはわからない。「高山掃部長者は、何せここの地元だから、それにくっ付けてるんでしょう」ということで、伝書、文書類は一切残っていない。」ということです。
伝承は昭和16年に男性だけの踊組が一度絶えて、昭和31年に上幅の女性たちが松本初太郎氏と渡辺勝治郎氏の指導で復活し、その後しばらく続いたが平成18年から3年の間途絶えた。
そして、平成21年に現代表の松本寛章さんが20~30代の同級生ら十数人に参加を呼び掛け、再度復活させたということです。



この日の演目は、朝はか、ひるしひき、つんばくら、米搗き、お蔵納め、入れ違い、夕暮れでしたが、他に門付けで庭入りする時に門口での寄せ囃、おかんざき等があり、他の胆沢の田植踊組と同様のものがある。

田植踊の進行役は杁摺と弥十郎の二人

杁摺の口上に従って弥十郎が次の踊りの曲目を知らせる

杁摺   〽 植えてくれまいかや弥十郎
弥十郎 〽 朝はかソーリャー

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踊り手 羯鼓(太鼓)

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踊り手 奴

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この踊り組は正月以降に「つりはり」といって踊組の親戚(いどし)宅を回って歩くのだが、踊り組は総勢20名ほどになり、招いた家では踊組の人々に餅や酒やご祝儀を出さねばならなかったため「庭田植はいどし(親戚)泣かせ」と言われた。
また、小正月になれば「餅の晩」といって15,16,17日の3日続けて部落内をカセドリをして歩いたともいうが今は行われていない。

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2023.12.20 |

2023.12.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

白山子ども百姓踊り運営協議会「白山子ども百姓踊り」@2023奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2023年11月26日に行なわれた奥州市郷土芸能祭から白山子ども百姓踊りです。

平成26年3月に学校統合で閉校になった奥州市立白山小学校において、平成3年から取り組まれていたものです。
水沢農業高校民俗舞踊同好会から指導を受け小学生用にアレンジしたものということです。

現在は、白山地区振興会で活動を引き受け、「白山子ども百姓踊り運営協議会」を設立して白山地区の子供達に伝承を続けているということです。
白山地区の皆さんも実に熱心です。
平成3年から続けているということは、白山地区の30代以下の皆さんは誰でも田植踊ができるということですね。

白山子ども百姓踊りの元となった水農田植踊は、花巻市東和町の立石百姓踊からの伝習ということです。

白山子ども百姓踊りは、稲作農事を踊りで再現したものです。

畔塗りから始まり、肥料振り、代掻き、苗運び そして田植え

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草刈りが済むと季節は秋になり田んぼには案山子と雀が

案山子と雀が小学生らしくていい感じをだしています

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稲刈りが始まると、途中で休憩のコビル 

いよいよ収穫して籾に脱穀

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俵運びで豊年満作の旗を掲げてめでたく踊り納めます
これからも頑張って続けてください

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2023.12.12 |

2023.12.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

上鹿合百姓踊り「百姓踊り」@2023第18回奥州市郷土芸能の祭典

さて本日は、2023年11月19日に行なわれた第18回奥州市郷土芸能の祭典から上鹿合百姓踊り保存会で百姓踊りです。

上鹿合百姓踊り保存会について当日パンフレットより

「戦前はもちろんの事、 昭和30年代までの農作業は全て手作業であった。一人や二人 だけの労働力では捗らず、 隣近所の人が互いに結いっこで共同で取り組んだ。 重労働な がらも、コビルを挟みながら、 よもやま話や作業唄で楽しいものであった。 私たち百姓踊りは平成に入ってから、 田打ちから収穫までの一連の作業をある場面では真剣に、ある場面では面白おかしく演じて慰労し合おうと言う思いから地域おこしを兼ねた活動を続けています。」ということです。

上鹿合百姓踊り保存会は、集落一丸となった活動で様々な芸能に取り組んでおり、2018年のステージでは壁塗り甚句という珍しい踊りも披露しています。 ⇒「上鹿合百姓踊「壁塗り甚句」@第13回奥州市郷土芸能の祭典」



太鼓笛鉦の囃子にのせて、庭田植え踊りが繰り広げられます。

田打ち

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肥料振り

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代掻き

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えん振り

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枠転がし

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苗打ち

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田植え

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コビル

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稲刈り

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稲扱き

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お蔵納めで めでたしめでたし

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2023.12.06 |

2023.11.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

出店田植踊「新田植之舞」@2023第57回胆沢郷土芸能まつり

さて本日は、2023年11月5日に行なわれた第57回胆沢郷土芸能まつりから出店田植踊で新田植之舞です。

その前に出店田植踊さんの由来について

文政7年(1824)旧小正月に堀切(現奥州市胆沢小山地区)横屋の田植踊の師匠、萬吉氏から若柳村(現奥州市胆沢若柳地区)出店中西屋敷の五郎七に伝授された。その後、終戦後の一時期(昭和30年代)に女田植として継承を守っていたが一時中断。
その後、再興され現在まで続いている」

ということで、現在の代表は谷木幹典さんです。

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新田植之舞は「本田植の舞」に対するものということです。
「ほまづ田」といって、昔は大百姓の年寄りたちが自分だけの水田をもっていたが、その「ほまづ田」のための田植踊のことを「新田植之舞」としているようです。更に、さかのぼれば江戸時代本田に対して開墾された水田を新田と呼んで区別していました。この新田のための田植踊のことでもあります。

入り込みから整列が終わると

出店田植踊では、杁摺りのことを「歌読(えんぶり)」と呼んでいます
杁摺りが口上をあげます

〽 やれやれ弥十郎や これよりおわこう様のほまづ田とて五十枚の田を植えてくれや

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族子(やっこ)は毛槍を振りつつ踊る 大名行列の奴の例えです
胆沢型田植え踊りの特徴といえるのが、踊り手の羯鼓と奴である。

羯鼓は、黄色の頬かむりに法被と裁付袴で、左手に羯鼓、右手に撥を持って、軽やかに羯鼓を打ちながら踊る。
昔は少年の役だったというが、正に田楽といった趣がある。

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2023.11.21 |

2023.03.26 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

上幅庭田植踊「彼岸供養奉納」@2023奥州市水沢佐倉河梅泉寺

さて本日は、2023年3月21日に奥州市水沢佐倉河の梅泉寺にて行なわれた上幅庭田植踊保存会の彼岸供養奉納です。

こちらのお寺さんは水沢流通センターに近い佐倉河北部に位置する曹洞宗寺院です。

上幅庭田植踊の地元でもあり、多くの構成員が檀家さんであることから、代々踊り手の先祖供養の意味もこめて8年ほど前から彼岸奉納を行っているとのこと。

午後3時から法要が始まりました。



続いて境内にて庭田植踊りの奉納です。

その前に、上幅庭田植踊りの由来を水沢市教育委員会篇「無形文化財保存記録集 2 」から抜粋

「松本市治氏からの間き取りによれば、「語り伝えでは、今から七三〇年前(弘長二年)この庭田植踊を掃部長者に見せたところが、ここの『田植つこ』は他所の田植っこと違って、『めでためでた」で踊って入って来るのが大変良いということで、一番の折紙をつけられ、それを誇りにして今迄踊り伝え、継承されてきたということです。ただ、どこから入ってきて、誰が始めたかなどということはわからない。高山掃部長者は何せここの地元だから、それにくっ付けてるんでしょう」ということで、伝書、文書類は一切残っていない。」
いわゆる胆沢型の庭田植えである。踊り手は奴及び羯鼓と進行役に杁摺・弥十郎が入り、囃子方は太鼓に歌揚げの構成である。
この踊り組は正月以降に「つりはり」といって踊組の親戚(いどし)宅を回って歩くのだが、踊り組は総勢20名ほどになり、招いた家では踊組の人々に餅や酒やご祝儀を出さねばならなかったため「庭田植はいどし(親戚)泣かせ」と言われた。
また、小正月になれば「餅の晩」といって15,16,17日の3日続けて部落内をカセドリをして歩いたともいうが今は行われていない。

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さて、奉納です。
〽 目出た目出たー の歌とともに庭入りして田植踊が始まります。

踊りの進行役の杁摺と弥十郎が次の演目などを口上する。

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さて、胆沢型の田植踊といえば、菅江真澄がかすむ駒形の中で、胆沢の徳岡で投宿した際、正月18日の朝に田植踊りの一団が来るのを記述している。

「笛と鼓を打ち鳴らし、銭太鼓(檜曲に糸を十文字に引き渡して、銭を貫いたもの)という楽器を振っている。赤い鉢巻をしたのが「奴田植え」と言い、菅笠(すげがさ)と女の格好をしたのを「早乙女田植え」と言う。一団の宰領役をやん十郎と呼び、竿鳴子を杖につき、口上を言う。」

この当時のとおりとは違い、現在の胆沢では羯鼓踊りと奴踊りに弥十郎と杁摺りがついた形で、むしろこの記述にあるような銭太鼓や早乙女を伴うものは一関~仙台方面の田植踊りがこれに近い。

奴踊りの袢纏の背中に入梅の紋が入っています。入梅は暦の上では芒種の後の最初の壬〔みずのえ〕の日であり、陰陽五行説で「壬は水の気の強い性格」とされており、水と縁がある日ということで稲作にとって大事な水の恵を祈願しているしるしといえます。


上幅庭田植踊は2012年の全国青年大会で優秀賞に選ばれました。
今後の活動も期待します。

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2023.03.26 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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