2017.03.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

出店田植踊 新田植之舞@第50回胆沢郷土芸能まつり

さて、本日は第50回胆沢郷土芸能まつりから出店(でだな)田植踊さんの新田植之舞についてです。

その前に出店田植踊さんの由来について

文政7年(1824)旧小正月に堀切(現小山地区)横屋の田植踊の師匠、萬吉氏から若柳村(現若柳地区)出店中西屋敷の五郎七に伝授された。その後、終戦後の一時期(昭和30年代)に女田植として継承を守っていたが一時中断。
その後、再興され現在まで続いている」

現在の代表は谷木幹典さんです。



この日の演目の新田植之舞は「本田植の舞」に対するものということです。
「ほまづ田」といって、昔は大百姓の年寄りたちが自分だけの水田をもっていたが、その「ほまづ田」のための田植踊のことを「新田植之舞」としているようです。更に、さかのぼれば江戸時代本田に対して開墾された水田を新田と呼んで区別していました。この新田のための田植踊のことでもあります。

入り込みから整列が終わると

杁摺りが口上をあげます

〽 やれやれ弥十郎や これよりおわこう様のほまづ田とて五十枚の田を植えてくれや

IMG_2168.jpg

胆沢型田植え踊りの特徴といえるのが、踊り手の羯鼓と奴である。

奴は法被に裁付袴という出で立ちで右手に鳥毛を持つが、これは早苗を表しているという。つまり田植えの早乙女ということらしいが、それよりは大名行列の奴の毛槍振りの所作に近い。こういった構成は、胆沢田植踊の嚆矢といえる都鳥田植踊の祖千田美濃が元葛西氏の臣で上衣川落合舘城主であったことも関わりがありそうだ。

IMG_2164_20170327205035fdc.jpg


羯鼓は、黄色の頬かむりに法被と裁付袴で、左手に羯鼓、右手に撥を持って、軽やかに羯鼓を打ちながら踊る。
昔は少年の役だったというが、正に田楽といった趣がある。

IMG_2171.jpg

動画でどうぞ。


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.03.27 |

2017.01.30 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

白山子ども百姓踊り@ 前沢郷土芸能祭

さて本日は、前沢郷土芸能祭から白山(しらやま)子ども百姓踊りです。座敷田植踊りです。

これは、平成26年3月に学校統合で閉校になった白山小学校において、平成3年から取り組まれていたものです。
水沢農業高校民俗舞踊同好会から指導を受け小学生用にアレンジしたものということです。



現在は、白山地区振興会で活動を引き受け、「白山子ども百姓踊り運営協議会」を設立して白山地区の子供達に伝承を続けているということです。
白山地区の皆さんも実に熱心です。
平成3年から続けているということは、白山地区の30代以下の皆さんは誰でも田植踊ができるということですね。

IMG_0087.jpg

白山子ども百姓踊りの元となった水農田植踊は、花巻市東和町の立石百姓踊からの伝習ということです。

白山子ども百姓踊りは、稲作農事を踊りで再現したもので、演目は次のとおり。

・畔塗り ・田起こし ・肥料振り ・代掻き ・苗運び ・田植 ・草刈り ・かかしと雀 ・稲刈り ・コビル ・脱穀 ・俵運び

かかしと雀が小学生らしくていい感じをだしています。

IMG_0101.jpg

この日は小学3年生10人が頑張って踊ってくれました。
日本の農村風景では既に廃絶(?)となった人力による農作業ですが、こういった形で伝えていくことは大変意義深いことです。


IMG_0103.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.01.30 |

2017.01.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

中野田植踊@ 藤根地区郷土芸能踊り初め会

今日は旧暦の大晦日、明日は旧正月。なれど昼間には雨が降るほどの温暖な日でした。
旧正月と言えば、昔の行事が伝統的に行われる時期ですが、農事の始まりを告げるものであったり、豊作を祈願する予祝芸能が家ごとに囃して歩いたりという日でもありました。

さて、そこで今日は藤根地区郷土芸能踊り初め会から中野田植踊です。



北上地方の田植踊は、多くは庭田植と座敷田植で、それに田楽系統の春田打がある。
わけても、庭田植踊りは形式的には胆沢の羯鼓太鼓を叩きながら田囃子をするものが多く伝承されている。

かつては、正月に門毎に豊作の予祝として娯楽的に行われていたものなので、正確な伝承記録はないものの、次のような由来がある。

「昔、天明、天保の大飢饉の折に農民の世情不穏であったことを憂い、豊作を祈願して踊り始めたのが始まりと伝えられている。その後、弘化年間より踊りに工夫を加えられて今に至る」と。

IMG_0019.jpg

田植踊の形態は、太夫や杁摺りこそないものの、胆沢の田植踊の系譜と見受けられる。
子どもたちが小さな羯鼓太鼓を叩きながら踊ります。
しかしながら、他の踊り手が手に持つ綾棒を時折高く投げ上げるのは春田打ちに代表される田楽の所作のようでもある。


IMG_0029_201701271951459e2.jpg

いずれ、胆沢伝来と思われるこの種の田植踊は、北上市の口内地区から和賀町まで広い地域に伝播継承されていることが大きな意味を持つ。

現今では胆沢地方は田植踊の存続すら危ういのに、これほど多くの田植踊が今なお連綿と演じられているjことに敬服するとともに、より一層の伝承を祈るものである。

IMG_0032_20170127195146208.jpg


動画でどうぞ。


テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2017.01.27 |

2016.11.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

湯元田植踊 @36回金ケ崎町郷土芸能発表大会

さて本日は、36回金ケ崎町郷土芸能発表大会からゲスト出演の仙台市秋保の湯元田植踊です。
これは、ユネスコ無形文化遺産であり、国指定の重要無形民俗文化財となっています。

湯元の田植踊の由来は次のとおり

秋保温泉に祀られている薬師堂に奉納した五穀豊穣祈願の手踊りがはじまりと言われています。その後、湯治場のにぎわいに誘われて全国より集まった東下りの旅芸人や、慈覚大師によって開かれた修験の道場を訪れる法印山伏の太平楽などの影響を受け、今日の12種類の踊りが工夫されたようです。現在は、毎年5月5日に開催されている薬師堂の子育薬師祭において奉納されています。



宮城県内の田植踊は、仙台城下の他に旧宮城郡、黒川郡、名取郡にそれぞれ分布している。
このうち、仙台田植には大沢、芋沢の田植踊、秋保の田植踊そして愛子と大倉の役人田植踊などがある。

湯元田植踊は、馬場および長袋とともに秋保の田植踊として伝承されているが、その中でも古いものとされている。

芸能の構成は、囃子手の他に弥十郎と呼ばれる進行役と少女が演じる早乙女(江戸期には女装の男子だったとも云われる)
である。

弥十郎は本来は2人で、それに鈴振りがつきますが、この日は4人の男子で弥十郎を演じていました。

IMG_8191_20161127183645637.jpg

因みに、弥十郎の上着(ブッツァキ)の背中には蕪紋が入ります。

IMG_8189.jpg

菊池和博のレポート「菅江真澄の江戸期「胆沢郡徳岡田植踊」と豊作祈願芸能」によれば、これは、江戸時代の十返舎一九による「方言修行金草鞋」の中に「本宮宿」という場面があり、そこに「屋ん十郎」の姿が描かれており、蕪紋の前掛けを付けているとのこと。本宮宿は現在の福島県本宮市であり伝播が想起される。

<方言修行金草鞋 六巻 本宮宿>

he13_01346_0006_p0004.jpg

弥十郎の演目口上で進んでいく。
この日の演目は、道中囃子で庭入りし、入羽、一本そぞろぎ、二本そぞろぎ、鈴田植、銭太鼓、はね太鼓dした。

IMG_8201.jpg

この後、中入りのような「褒め言葉、返し言葉」を客席内と踊りの場で応答されます。
以前に秋保で湯元田植踊を見聞した際には、客席の後方から呼びかけるように褒め言葉をかけていました。
先日の当ブログにて金ヶ崎三ヶ尻の田植踊でも褒め言葉と返し言葉にふれましtが、これは喩えて言えば鹿踊における「投げ草」と同様に、褒め言葉を掛けられた時点で踊りを中断し、それが終わると中断した所から踊りを再開するという高度なことをしなければなりません。
これも「粋の技」といったことなのかもしれません。

IMG_8226_20161127183729811.jpg

最後に跳ね太鼓です。

これは、それまで大太鼓役が叩いていた太鼓を持ち上げ、早乙女が綾棒を手に踊りながら太鼓を順に叩くというものである。
何度も言いますが、これを見るたびに伊勢神楽の花太鼓を想起させられ混ます。
なれど、この田植踊が田楽由来なのか神楽由来の要素があるのか、諸説にはいろいろとるようです。
湯元田植踊は例年5月5日の湯元泉明寺 「子育薬師祭」で上演されます。いつか見に行きたいと思います。

IMG_8232.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.11.27 |

2016.11.24 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ田植踊り

三ヶ尻座敷田植踊@第36回金ケ崎町郷土芸能発表大会

さて本日は、第36回金ケ崎町郷土芸能発表大会から三ヶ尻座敷田植踊りです。

金ケ崎町内には庭田植と座敷田植の双方ありますが、金ケ崎での座敷田植のルーツは三ヶ尻とされています。
文政三年生まれの菊地伝三郎が何処から踊りを習得して広めたかは不明であるが、その踊りの構成などから仙台市周辺かと推量される。

昭和44年に三ヶ尻芸能保存会が発足し、現代表は鈴木美登里さんです。



三ヶ尻座敷田植の特長は、踊りの構成が二段階に分かれていて、前段は種蒔き舞という田植作業の物真似となっていて、後半は早乙女の手踊となっている。

最初に下座と呼ばれる農作業の所作を苗代掘りが道化役として口上を述べながら演じる。
この日は一人でしたが、本来は男女二人で苗代掘りから苗取りまでを大黒舞の囃子に乗せて踊ります。

IMG_8151.jpg

苗代ができると稲の種蒔きとなるので、嫁御を呼び寄せます。
種蒔きなので、予祝の意味合いもこめて孕女が登場し、種の代わりに会場に餅撒きをします。

IMG_8153.jpg

目出度く苗ができたところで、いよいよ田植になるので、田囃子として早乙女の優雅な舞になります。
これを本踊りと呼んでいますが、踊りの演目は手振り、一本木、二本木、仙台田植、銭太鼓、代洗いと、やはり仙台方面の流れであることがわかります。

この振り袖の女の子が扇や銭太鼓を持って踊る形式はこの日ゲスト出演した秋保の湯元田植踊との近似性があるばかりでなく、かつては三ヶ尻田植踊でも褒め言葉に返し言葉があったという驚くべきことがわかりました。

褒め言葉

東西東西シン暫くの間鳴りを鎮めて穏やかに穏やかに
東の果ての小野郎娘がヒョヒョラヒョット出まして
褒める様とて知らねども 三杯酒に浮かされて チョットばかり誉め申す
一に頭取 ニに笛太鼓 三に三味線 小拍子までも誉め申す
中に立ちたるおん早乙女花にたとえて申すなら
牡丹 芍薬 ケシの花 枝垂れ桜か八重桜 いずれ劣らぬ杜若と敬って誉め申す

返し言葉

誰彼様やら誰彼様やら おん大勢の中よりも 我らようなるやつがれ共
ごひいきとあってお褒め言葉 下しおかれまする段 庭元 頭取は申すに及ばず
総座中こぞりまして誠に有り難き仕合せに存じ奉り候
就きましては御膝元までまかり出 色々御礼申し上ぐべきの所
ごらんのとおり 田植多忙の折なれば 御礼の儀はこれにてお許し願います。
                                      (金ヶ崎の民俗芸能 より)

IMG_8156_20161124212840400.jpg

またこの日は無かった演目に「けまし」というものがあり、その歌詞に
〽 どこよりも おもしろや 豊間殿が在所
という部分があるが、これは登米のことではないか。

また三ケ尻から伝授されたと推量される北方座敷田植の扇踊りの歌詞には
〽 吉岡の七つが森に さても見よい森かな このや森に 蕨を折るのは 人の娘か
という部分がある。こちらは黒川郡大和町の吉岡のことと思われる。


創始したと伝えられる菊地伝三郎が何処から習得したかは分からないが、今後も秋保の方との交流する中で明らかになってくることもあるのかもしれない。

IMG_8162.jpg

動画でどうぞ。

テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2016.11.24 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -