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2024.01.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

朴ノ木沢念仏剣舞「本剣舞」@2023奥州秋まつり「芸能の祭典」

さて本日は、2023年9月16日に行なわれた奥州秋まつり「芸能の祭典」から朴ノ木沢念仏剣舞で本剣舞です。

その前に朴ノ木沢念仏剣舞の由来について

「伝承では、平泉高舘の駄一郎が都鳥村(現南都田地区)に伝承。その後、寛政8年(1796年)都鳥村の長八より小山堀切、伊勢堂の平助に伝承されて始まったとされています。
(文久3年の石碑が残っている)
平成5年12月、「鬼剣舞」として、北上市と旧衣川村の3団体と共に、国指定重要無形民俗文化財の指定となりました。
兄頼朝と藤原泰衡の裏切りにより、奥州平泉で無念の最期をとげた、義経主従の亡霊が毎夜高舘に現れ、泰衡が亡霊退散を願い祈祷させたところ、釈迦の化身である一匹の猿が現れ、荒れ狂う亡霊達の中に交じり念仏を唱えながら踊る、亡霊達の心も安らぎ成仏したこという由来に基づく踊りです。」

ということなそうです。現在の代表は三田一男さんです。

胴取の太鼓で後生楽から始まります。



朴ノ木沢念仏剣舞の伝承演目は、大念仏(胴取り)、一番庭、一番庭の狂い、三人怒物、八人怒物、一人怒物、引き剣舞としていて、一人怒物には猖則、切り払い太刀、熊払い太刀、新猖則、オッコミ、魔王、魔王くずし、オッコミくずしがあるという。
本剣舞は一番庭とも称されて七人の鬼とカッカタ一人で舞う。
真ん中のカッカタ役は、猿面をつけて釈迦如来の化身として鬼を折伏するというものです。

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本剣舞は高館物怪とも阿修羅踊りとも呼ばれ、全ての踊りの基本となる。

奥州平泉に源頼朝の差し向けで藤原泰衡が源義経主従を討ち果たした後に、、無念の最後を遂げた義経主従が亡霊となって夜ごとに平泉を跋扈して人民を悩ませていた。そこで平泉中尊寺の僧侶に祈祷させたところ一匹の猿が現れて、荒れ狂う亡霊たちの中に混じり念仏を唱えながら踊ると亡霊たちの心も和らぎ成仏したという由来を念仏踊りに表したものである。

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2024.01.23 |

2024.01.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

川西大念佛剣舞「三人怒物」@2023奥州秋まつり「芸能の祭典」

さて本日は、2023年9月16日に行なわれた奥州秋まつり「芸能の祭典」から川西大念佛剣舞で三人怒物です。

その前に、川西大念佛剣舞の由来についてです。

「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」

ということです。

現在の代表は伊藤敏男さんです。



川西大念佛剣舞が保持する演目は大念仏剣舞、怒物として八人、六人、三人、二人。一人怒物としてオッコミ、魔王、猖足などがある。

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三人怒物は、一度念仏の効力で済度された亡者が再び現れて荒れ狂う様を表している。
それと同時に三人で刀くぐりをするなど見ている者を楽しませる風流芸能の側面も合わせ持っている。

こういった軽業的な所作を繰り出すのは、神楽が端緒なのか雑芸がそうなのかは研究の余地があるというものです。

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2024.01.21 |

2023.12.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

相去鬼剣舞保存会「一番庭、刀剣舞の狂い、二人加護、宙返り膳舞」@2023奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2023年11月26日に行なわれた奥州市郷土芸能祭から相去鬼剣舞保存会で一番庭、刀剣舞の狂い、二人加護、宙返り膳舞です。

その前に、相去鬼剣舞(三十人町)の由来について

「明治23年頃より岩崎鬼剣舞の指導を受け、現存の踊組では最も古い明治29年に秘伝書を伝授されています。
その一方で、年代不明の南都田剣舞の秘伝書(奥州市胆沢 南下幅念仏剣舞)が伝わっていて、岩崎鬼剣舞と南都田剣舞と双方から同一踊組が伝承されたものなのか、別な踊組があつて別々に伝承され、後に一つになったものなのか不詳です。
昭和10年頃まで継承されてきましたが一時中断。昭和38年、相去公民館が母体となり、青年会に呼び掛けて地元の援助によって復活し、現在に至っています。」とあります。



一番庭は礼舞で、念仏がつき、格調が高く、全般的に穏やかな踊り。全種目の基本踊りとされます。
引き念仏で踊りだし、掃き念仏、早念仏、せんや念仏、扇の輪踊りと続きます。
一番庭は儀礼の舞としてばかりでなく最も鬼剣舞らしい演目として鑑賞できる演目です。

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刀剣舞の狂いは、刀剣舞の踊りに対して8人踊りの制約が無いということなようです。
振り込みの念仏がなく、初めから刀を抜いて持ち、2人ずつ組んで刀舞をする。

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次の二人加護は普段はあまり演ぜられることの少ない演目。
二人イカモノ とも呼ばれ、二人の勇者による仏恩に:感謝する踊りで、拍子も踊リも「八人加護」と同じですが、刀くぐりに入って独特な太刀さばきがある。

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次は余興舞の膳舞と宙返り

神楽や田植踊その他の芸能一般にもあることですが、通常の演目が続いた後に、小休止的な余興芸を出すことが多く見られます。

それは、緊迫した演目が続いて演者も観客も一服入れたくなった時に、場を和ませたり、珍しい所作や唄などによって趣向を変えたりして飽きないようにというくふうでもあります。
しかしながら、この余興余芸の部分で、演者の芸の幅が見て取れたりもして楽しい。

鬼剣舞でのそういった演目に宙返り、膳舞、カニムクリなどがあり、これらはおそらくは山伏神楽から引いた芸といえる。

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宙返りは、刀を1本から8本まで増やしながら持ち宙返りしながら踊る1人舞。
最後の八本の刀の組み方は五芒星のようにも見えます。修験山伏の呪法につながるのでしょうか。

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2023.12.15 |

2023.12.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

川西大念佛剣舞子ども同好会「入剣舞、矢車、三人怒者」@2023奥州市郷土芸能祭

さて本日は、2023年11月26日に行なわれた奥州市郷土芸能祭から川西大念佛剣舞子ども同好会で入剣舞、矢車、三人怒者です。

先に子どもたちに剣舞を指導している川西念仏剣舞の由来について

「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」

ということです。現在の代表は伊藤敏男さんです。

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川西大念佛剣舞こども同好会については

「(川西大念佛剣舞)子ども同好会は、平成5年に川西大念佛剣舞が国の重要無形文化財に指定されたことにより後継者育成が望まれ、学校教育の一環として行っていた伝承活動を発展させ平成6年度に設立されました。会員は全学年からの希望者からなり、毎週金曜日に保存会の指導を受けて練習しています。中尊寺の藤原まつりや大施餓鬼会、ころもがわ祭り、芸術文化祭等に発表し、地域と関わ りを深める活動を行っています。」
ということです。同好会のメンバーは地元の衣里小学校のこどもたちです。

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最初の演目「入剣舞」では、神の化身とされる猿役の6年生の踊りは大人以上にキレがあり、他の亡魂たちを威圧するに十分な貫禄を備えていた。

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「矢車」は、一人怒者で、阿面に毛采をかぶり激しく舞う。
演目後半で刀二本を振り回す所作が矢車の様相であることからその名があるが、修験者が諸々の災厄に立ち向かう様がよく表現されている。

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三人怒者は、一度念仏の効力で済度された亡者が再び現れて荒れ狂う様を表している。

山伏神楽の勢剣や三宝荒神のように三人で刀潜りをします。
これも亡魂が荒れ狂い、跳ね踊るさまを表しているという。

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2023.12.13 |

2023.12.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ剣舞

川西大念佛剣舞「入剣舞・押込」@2023第18回奥州市郷土芸能の祭典

さて本日は、2023年11月19日に行なわれた第18回奥州市郷土芸能の祭典から川西大念佛剣舞で入剣舞・押込です。

川西念仏剣舞の由来についてです。

「藤原清衡公が江刺の豊田館から衣川を越えて平泉に入り柳の御所造営していたころ、夜な夜な亡魂が物の怪となって世の中を荒しまわり、人々を恐れおののかせ惑わせました。清衡公は、これはどういうことかと、中尊寺のお坊様に相談しました。お坊様は「これは、過ぐる前九年・後三年の合戦において非業の最後を遂げた人たちが、成仏しきれずこの世をさまよっているものです。刀や弓で収められるものではなく、お釈迦様のお力で鎮めるしかありません」と語りました。清衡公は早速、山王権現に七日七夜のおこもりをしました。満願の日に一匹の猿公が現れ、荒れ狂う亡魂の中に混じり、猫間が淵(柳の御所と無量光院の間)に沈めていきました。御仏が猿の姿に身を変えて亡魂たちを浄土へと導いたのだと気づいた清衡公は、このことに感激し、家来の佐野弥左衛門に命じて、この様子を模し、創らせたのが川西大念仏剣舞です。なお、剣舞を創った佐野弥左衛門は、金色堂前の一角に葬られ、その墓は現在も剣舞塚として語り継がれています。」

ということです。

現在の代表は伊藤敏男さんです。

なお、上記の由来は、川西大念仏剣舞に伝わる年代不詳の「剣舞由来」に記された内容のものですが、平泉の佐野弥左衛門が念佛剣舞を中興したのは永徳三年(1383)であり、それは「高舘モウケ」と称されるもので、おそらくは念佛踊のようなものではなかったかとされている。
今日踊られている念佛剣舞は、後世に修験山伏が神仏習合の踊りとして構成し、さらに風流踊りとして組み直されたものではなかったか。



保持する演目は大念仏剣舞、怒物として八人、六人、三人、二人。一人怒物として押込、魔王、猖足などがある。

最初の演目は入剣舞

大念仏剣舞には入剣舞、中剣舞、引き剣舞がある

入剣舞は、庭入りして最初に踊る曲で、回向念佛に続いて扇で踊る。
終盤には扇引きで踊りながらサルコがイカモノを済度していく様を演じる。

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次の「押込(オッコミ)」は山伏の祈祷舞のようなである。
押込の所作には、野獣のような少し道化けた所作が観られるが、これについて小形信夫は「念仏剣舞」の中で壬生大念仏狂言の人形振りに相似しているという。

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最後は刀で四方を切り払い荒れ狂うという勇壮な舞です。

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2023.12.07 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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