2017.05.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

仰山流前田鹿踊 案山子踊り


由来について

今に伝わる伝書及び由来書によると本吉郡入谷村の四郎兵衛の弟子の入谷村善九郎が貞亨年中(1684-1687)日頃市の金山に働きに来ていた際に田茂山内野の七右衛門と、猪川村前田の市兵衛に伝授したものと伝える。その後、市兵衛の弟十右衛門が伝授されて元禄年中(1688-1703)まで踊り、市兵衛の子の市郎兵衛、そのまた子の清右衛門が継承する。
この頃の腰差しは五色の幣であった。
清右衛門の子の市郎次の頃に石巻の五郎兵衛並びに水戸辺の市之助から指南を受けてからは、鹿頭、鹿角、後ろの九曜を背負い柳の指物など装束が改まったと言われる。
前田鹿踊りでは小鹿を入れて九人踊りを守っている。これは古態を残した形と言える。

神輿に供奉して練り歩きます。



長谷堂御旅所での奉納です。
礼舞かと思いきや、きっちり案山子踊りを奉納したのには驚きましたが。

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田圃の中に立つ案山子を見つけた鹿たちが正体を確かめようと相談します。

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そこへ牝鹿が確かめに行きますが、この牝鹿は小学生が演じていました。かなり完成度が高いです。

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最後は中立ちが案山子の正体をつきとめますが、こちらのは案山子というより山立(猟師)との駆け引きといった感じでユーモラスです。

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最後は、安心した中立と牝鹿が鹿歌を掛け合います。

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動画でどうぞ。


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2017.05.23 |

2017.04.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

梁川の種蒔桜と獅子躍と

さて本日は、休日にも関わらず仕事の合間に駆けつけました、奥州市江刺区梁川にある種蒔桜のイベントから獅子躍を。

このイベントは、江刺区の獅子・ほたるの舞う里梁川地域協議会主催の「種蒔桜さくらまつり」といい、4月22日から30日まで開催されているものです。

この桜の木は奥州市指定の天然記念物で、樹齢は400年を超えるとされ、地元の方に伺ったところ、水稲の種を播くのに昔は水苗代だったから、時期を外さないように種蒔桜の蕾が膨らんだら種を播くのだという伝承となっていたということです。

せっかくなので、梁川獅子躍の供養碑と種蒔桜の写真です。


ここは江刺梁川の栗生沢という地区です。
梁川金津獅子躍が伝承された地区そのもので、種蒔桜の側に供養碑があるとおり、
此処は伝承の根拠地です。
ここから数十メートル東には第10代庭元の平野家があります。
10数年前まではそこで毎年7月に始祖菊地太蔵の業績を偲んで「太蔵まつり」が行われていました。

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さて、獅子躍りです。
踊りの冒頭で、庭元さんから紹介がありましたが、盛岡市から梁川に綿羊を飼育しての農業をするために来た若い夫婦が踊り組に入会したということ。
そして今日が踊り披露の最初ということで、庭元のアナウンスでも大目に見てくださいという紹介がありました。

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この日の演目は礼庭です。
現在の中立は十一代目です。

私が梁川に奉職していたのは20年程前ですが、今日は出会う方々から「ご無沙汰してました」と挨拶され種蒔桜を楽しんでってけらいと声をかけられました。  いいな~梁川。人と人の繋がりが優しい。

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さて、獅子躍 
後半は、雌獅子の狂いに続いて中立ちの狂いです。

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最後は観客からご祝儀が上がったので、その返礼に「投げ草」が掛けられます。

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この日は、梁川地区のお祭りなので、獅子躍とともに5月3日に催行される江刺甚句祭りの42歳厄年連の皆さんとともに、地域を盛り上げて行きましょう!ということを熱く語り合う場にもなっていたようです。

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動画でどうぞ。

2017.04.23 |

2017.03.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流都鳥鹿踊 案山子踊 Full @第50回胆沢郷土芸能まつり

さて、本日からは3月12日に行われました第50回胆沢郷土芸能まつりの様子をリポートしていきます。

この公開イベントは前回の祭典あいさつで「胆沢区単独の祭典は、これが最後。来年から出演団体を市内全域に拡大させ、広域的な取り組みをする」ということでしたが、奥州市議会で地域自治区存続の流れになったことにより継続して開催されることになったようです。

まづは由来について、

「伊藤伴内(南三陸町志津川)の門弟のひとり行山清左衛門から伝わり、さらに寛政5年に平泉町の三代行水軒中津川清左衛門義胤から「行山流踊り」として伝授されたといわれ、以来今日までの永い間、多くの先輩達によって踊り継がれて来ました。」

とあります。

胆沢のしし踊りには三つの系統があるといわれ、行山四郎兵衛を元祖とする(胆沢区)徳岡経由と(一関市厳美町)山谷経由のものと、行山清左衛門を元祖とする平泉の達谷窟経由のものとがあるという。
都鳥鹿踊は平泉の達谷窟経由で麓行山躍で、同じく胆沢の供養塚鹿踊とともに水沢栃ノ木や金ケ崎細野・北方・御免等に伝承している。

現在の代表は高橋勇人さんで、メンバー18人の中には胆沢区以外の出身者や女性も加入しているという。



さて、演目の案山子踊ですが、今回は50分にも及ぶ完全フルバージョンということである。
「本来の伝承活動は、原形を崩さないこと」と踊り組メンバーが言うように、通常のイベントステージでは限られた時間設定なので、伝承されている本来の形を省略化して上演するのが常となっているが、今回は全部通しで行うということでした。
さぞかし稽古も骨の折れる苦労があったことと推察するとともに敬服の至りです。

案山子踊は、鹿踊の演目の中でも鹿の獣性を表現した演目ですが、この時の上演では、鹿同士が案山子を怪しんで、「何だろう?どうしたものか?」と評定する場面が何度も繰り返して表現されます。
これがコミカルでもありドラマティックでもあり、長丁場の演目を飽きさせずに見せる要素となっている。

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そして、ついに意を決した親鹿が案山子に挑みかかり、笠を咥えて引き剥がします。
この時、獅子頭の口が開くことに着目していただきたい。
鹿頭の歯の部分は、通常は一枚板で作られていて開くことは無い。
がしかし、仙台の八幡堂系の鹿踊では上顎と下顎がカタカタ鳴るように分かれている。
これは鹿頭も獅子舞の頭から派生したものであることなのかもしれない。

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兎にも角にも、咥えて笠を地面に叩きつけて、自分の勇気と力を誇示する親鹿が勇壮に舞い跳ねる。

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都鳥鹿踊さんは、他にも演目復活にと頑張っておられます。
これからも楽しみです。

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動画でどうぞ。

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2017.03.23 |

2017.03.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流大木鹿踊 くるい踊り@第13回いわい地方民俗芸能祭

さて本日は、第13回いわい地方民俗芸能祭から行山流大木鹿踊さんで、くるい踊りです。

由来については及川宏幸著「行山流鹿踊」等から

「文化7年(1810年)に大東町大原山口の喜左衛門から、(東山町長坂)大木の鈴木善太郎に伝承された。
戦時中もまた戦後も復員した人々によって踊り継がれ、現在に至る」

とあり、行山流山口派の経脈をひく踊り組としている。
踊りの種類は「門ほめ」「庭ほめ」「屋敷ほめ」といった儀礼の踊りを中心に「牝鹿かくし」「案山子踊り」「墓踊り」など三十種ほどを伝承しているという。
「墓踊り」は、家々から持ち寄った位牌を中央に置き、祖先の供養のために踊るという。

この日は、真ん中にかわいい子鹿が混じっています。
練習会に熱心に通ってくるので舞台に出したということなそうです。今から続けたら将来が楽しみですね。



中立のナガシは中「陸奥の信夫牡鹿乃牝鹿の里 声を揃えて遊ぶ鹿かも」と紅葉に鹿の絵が描いてあります。

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牝鹿は「秋萩をしからみふせて鳴鹿の めにはみえずとおとのさやけさ」の和歌と金太郎の絵がはいる。

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くるいは最初中立の一人、次いで側鹿の二人狂いとなる。
最後は鹿の子で巡って舞納めます。

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2017.03.18 |

2017.03.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

小沼鹿踊 @第13回いわい地方民俗芸能祭

さて本日は、第13回いわい地方民俗芸能祭から小沼鹿踊さんで、入羽、大入羽、水車、一人狂、三人狂です。

小沼鹿踊は行山流の中でも大原山口屋敷の又助に起源をもつ山口派になります。
その大原山口屋敷が没落して文化14年(1817)に木盃等一切を大東渋民の小崎幸五郎に引き継ぎ、さらに明治中期に大東摺沢の三浦利三郎に伝授されたのが小沼鹿踊の嚆矢となろうか。
この山口派の鹿踊りは山城国の山口城の郷士が大原八幡堂に定住し、仏前供養のために始めたものであろうと。
また、小沼鹿踊りに伝わる文書には

行山をとりの事
一、く屋うの御紋
二、菊の御紋
三、かに牡丹の御紋
四、とりげまいかけ
右の通御紋おはいりやうの事
   東山大原村山口屋敷
        又助
 安永弐巳午年八月八日

とあり、1773年に伊達家より紋章使用の許可を受けたとある。

また、別の文書に

 御詠歌ならひに
 ご紋の儀は中立ちに限るべし
 垣躍は九曜の星を附くべし
 其外伝執心によりて会伝授申候

このことより、流しに御詠歌を入れるのは中立ちと雌鹿のみとなっている。

中立ちの流しには
「陸奥の信夫牡鹿乃牝鹿の里 声を揃ひて遊ぶしかかも」
雌鹿のは
「秋萩をしからみふせて鳴鹿の めにはみへずとおとのさやけさ」
とある。



入羽で庭入りした後、中立を中心に鹿達が舞い、次いで一人狂になります。
抜き撥を打ちつつササラを回しては燕返し、そしてササラを大きく前に突き出しての肩入れです。

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次いで、側鹿の三人狂。

〽 これのお庭に   で三人狂いに入ります

ササラを大きく左右に振る様が特徴的です。
これは、太鼓系鹿踊のルーツとされる仙台鹿踊にも無く、志津川水戸辺から始まった行山流のみに見られる芸態です。

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そして、廻り鹿の子になります。

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最後は引っ張り鹿の子風になって一列に並び引き羽で舞い納めます。

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動画でどうぞ。

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2017.03.16 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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