2018.05.26 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

根反鹿踊り @ 第38回一戸町郷土芸能祭

さて本日は平成27年開催の第38回一戸町郷土芸能祭からに根反鹿踊りついてです。

由来については岩手日報社刊「いわての郷土芸能」から

「約四百年前、鹿踊りを舞う加賀の国の修験山伏一行が根反を訪れたとき、城主根反弥左衛門が城中に招き、部下とともに自ら先頭に立って伝授を受けた。踊りは戦国時代、敵の大軍に苦戦して敗退した将が、野ジカの大群を見つけ、その角にたいまつを結び付けて敵陣に突入、大勝利を収めたという勇壮なもの。
三戸の宮野城主九戸政実も城中のまつりごとの御前舞として踊らせたと伝えられる」

とあります。県指定の無形民俗文化財となっていますが、北上みちのく芸能祭などでも人気の高い芸能です。

踊りは、鹿頭7人に、太刀、ササラが踊り手で、囃子方は太鼓と笛がつきます。



鹿頭に赤青黄色の紙を付けた角が二本あるのが根反の特徴で、これは戦の時の松明を模しているという。

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頭は金色で、紙のザイをつけている。
腰当て(大口)は最近は北上市から鬼剣舞のものを取り寄せているという。

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鹿とともに踊るのはササラ摺りと太刀振り、最近は女子の役割になってきましたが、これも学校で取り入れる際に、男子は鹿、女子はササラ太刀という別け方をしたからかもしれません。

太刀振り

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ササラ摺り

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踊りは、入り込みで庭入し、続いて輪踊りになる。
歌詞は全部で40節あるということです。

鹿揃いの舞は 〽 まわれまわれと水車 細くまわれや せげにとまれや せげにとまれや

次に中立とササラが出て跳ねます。

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次いで雄鹿二頭が雌鹿一頭を争う三人狂いで、これを役舞と称している。

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白鷺の舞から庭引きの舞で舞い納めます。

また、御花があがった時のお礼として花舞がありますが、そちらは昨年一戸祭りに行った際の当ブログを参照してください。

根反の鹿踊り 八坂神社奉納⇒http://maturinookkake.blog.fc2.com/blog-entry-2087.html


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動画でどうぞ。

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2018.05.26 |

2018.04.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流水戸辺鹿子躍 @ 中尊寺芸能奉演

さて本日は引き続き平泉中尊寺で行われました芸能奉演から行山流水戸辺鹿子躍です。

水戸辺鹿子躍は宮城県南三陸町(旧志津川町)に伝承されている鹿踊で、行山流の祖といわれる団体です。

由来から

「行山流の元祖と言われる伊藤伴内持遠が登米郡の伊達式部に召し使われていた頃、品川様(伊達綱宗)が仙台へ入部した。その際に鹿踊を上覧し「ぎょうさんなる踊り」と褒められ、品川様から九曜星の紋、登米様からは輪違いの紋を拝領し行山鹿子躍と称し、装束にそれらの紋を用いたと有る。」

とありますが、一時期中断したものの一関市の舞川鹿踊から舞の伝承を繋いで今日に至るものです。



持遠が記した「行山鹿子躍之由来」には、七月に鹿踊を躍るのは神道の水無月祓いの如く、秋のはじめの七月の盆に踊り、秋分から極月までの悪事災難を祓う・・・とある

とするならば、この鹿踊の枠割は災厄消除と祖霊鎮魂が主であったということが推察されます。
他の鹿踊を見れば、盂蘭盆に墓獅子を奉ずる団体が多くあるが、中には装束の「ナガシ」に「五穀成就」と染め抜くなど豊作祈願の舞であったりもする。

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ともあれ、東日本大震災から7年がたちましたが震災1年後当時の記事を当ブログで掲載していましたので参照ください。
⇒2012年6月27日 行山流 水戸辺鹿子躍


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ところでこの日はザッツァカの入羽から三人舞でしたが、気合が入っていて見応えありました。

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動画でどうぞ。

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2018.04.15 |

2018.03.24 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

長野獅子踊り @ 大原長泉寺里帰り奉納公演

さて本日は、3月21日彼岸の中日に行われた遠野市小友町長野に伝承される長野獅子踊りがなぜか一関市大東町大原の長泉寺に「里帰り奉納」するということで行った際の模様についてです。

長野獅子踊りは遠野幕踊系のしし踊りですが、ここ大原は太鼓踊系のしし踊り行山流山口派のお膝元です。
それなのに何故里帰りなのか?非常に興味があるテーマだっただけに参観が楽しみでした。
この日は彼岸の中日でもあり、ご先祖様に供養をする日ということでの意味合いもあったことと思います。

春彼岸にしてはかなり寒い日となりましたが、参道には沢山のしし踊りFANが集結して通りを追いかけます。



山門前にて門譽めです。

さて、長野獅子踊りの由来について大正10年書き写しの「獅子踊由来」から抜粋すると

「其の節東山奥玉の生れ、東山奥丸と云う人御所に奉公の時なり。此の御方記念として始めたる踊なり。この聖武天皇より宝山半月踊と云う名称を賜りて、故郷に帰りて再びはじめ、其れより伝えしは、東山大原長泉寺より興庵篤隆と云う和尚、長野西来院を開創せしが、この時東山五書と云う友を一人連れ来たり、慶長二年(一五九七)の歳東山五書長野に教え、子孫繁栄と踊り伝えた
るものなり。」

とあります。つまり慶長2年に東山大原から小友に来た興庵篤隆のお供の東山五書なる踊り名人が長野にしし踊りを伝承したということです。

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境内にて位牌譽めです。

しかしながら、奥玉も大原でも現在伝えられている鹿踊は太鼓踊です。
これは本吉志津川から行山流が伝播した経過が明らかであるので、これを伝承したということであれば小友でも太鼓踊りでなくては合点がいきません。

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囃子方 ベテランの笛


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囃子方 大太鼓

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役踊りの柱懸

ということで、慶長2年に東山五書がもたらしたしし踊りは、現在行われている豊年踊りも加味した遠野しし踊りとは様相が異なっていたことだろうということが推測される。
なぜなら慶長2年ごろの東磐井地方には既に太鼓踊りの様相が色濃い形式が敷衍していたことが行山流各団体の記録等をみれば明白なので、東山五書なる人物が会得していたしし踊りは、いわゆる仙台踊りのしし踊りではなかったかと思われます。

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投げ草です

伊藤伴内持遠や遠山休右衛門等が創始したであろう行山流とは違って、仙台周辺の鹿踊はかなり古くからあり、本砂金上組鹿躍に至っては慶長年間に遡ることになる。
従って当時敷衍していたであろう鹿踊は、そのまま現在の長野獅子踊りの形態とは異なっていたことだろうと思いますが、踊りを連綿と続いてきたことには間違い無いということです。

ちなみに、長野獅子踊りの装束を見ていたら、獅子頭に流しがついていました。カンナガラがフサフサと垂れているので気が付きませんでしたが、しっかりと流しがあるのです。さらによく考えると、カンナガラの代わりに采が頭に付いていたとすると太鼓踊系と大差ない装束となります。
この辺がキーワードになって東山五書が伝えたしし踊りの解明が進みそうです。

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上演終わってみんなで記念撮影

長野の西来院には獅子供養塔が2基あり、一つは寛保2年(1742) 今一つは弘化3年(1846)の銘がある。

とはいえ、発祥譚はどうあれしし踊りの伝承には幾多の困難がありますがこの小友町長野の皆さんが一生懸命に取り組んでいる姿に感銘を受けました。
いつか西来院での奉納を見に行きたいと思います。

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動画でどうぞ。


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2018.03.24 |

2018.03.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流舞川鹿子躍 三人舞 @第33回一関民俗芸能祭

さて本日は、第33回一関民俗芸能祭から行山流舞川鹿子躍さんの三人舞です。

その前に舞川鹿子躍さんの由来について

「行山流鹿踊の始祖伊東伴内持遠が宮城県本吉郡水戸辺村に勤仕していた折に配下の者の心得として伝えた鹿踊が、次第に周辺集落にも伝承され、今の岩手県内で最初に伝承されたのが六代目相川村馬洗淵の吉田猪太郎だった。その吉田猪太郎を基点として一関地方から胆沢地方に広く伝授され、岩手県南部の太鼓系鹿踊の元祖的位置にある。」

で、現在の代表は橋階敏男さんです。



舞の前半部は儀礼的な「前庭踊」です。

鹿唄は
〽 今年の稲穂は 八穂で八石

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続いて、狂い踊りの「三人舞」です。

〽 春駒は庭の桜につながれて 駒が勇めば 花は散りそろ
  会津中山越しかねて つまを揃え 勇む駒かや


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引き羽の陣立てもかっこいいです
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動画でどうぞ。


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2018.03.18 |

2018.03.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流小沼鹿踊 入羽、水車、三人狂 他 @ 第14回いわい地方民俗芸能祭

さて本日は、第14回いわい地方民俗芸能祭から行山流小沼鹿踊についてです。

この日の会場は平泉文化遺産センターふれあいホールだったのですが、鹿踊の狂いをやるには狭いということで、お天気もよいので外での上演となりましたが、これが功を奏していました。

厳しく長かった冬の終わりを告げるような、まるで春彼岸獅子の如くの鹿踊となりました。


小沼鹿踊は行山流の中でも大原山口屋敷の又助に起源をもつ山口派になります。


その大原山口屋敷が没落して文化14年(1817)に木盃等一切を大東渋民の小崎幸五郎に引き継ぎ、さらに明治中期に大東摺沢の三浦利三郎に伝授されたのが小沼鹿踊の嚆矢となろうか。

この山口派の鹿踊りは山城国の山口城の郷士が大原八幡堂に定住し、仏前供養のために始めたものであろうと。

また、小沼鹿踊りに伝わる文書には

行山をとりの事
一、く屋うの御紋
二、菊の御紋
三、かに牡丹の御紋
四、とりげまいかけ
右の通御紋おはいりやうの事
   東山大原村山口屋敷
        又助
 安永弐巳午年八月八日

とあり、1773年に伊達家より紋章使用の許可を受けたとある。

また、別の文書に

 御詠歌ならひに
 ご紋の儀は中立ちに限るべし
 垣躍は九曜の星を附くべし
 其外伝執心によりて会伝授申候

このことより、流しに御詠歌を入れるのは中立ちと雌鹿のみとなっている。

中立ちの流しには
「陸奥の信夫牡鹿乃牝鹿の里 声を揃ひて遊ぶしかかも」
雌鹿のは
「秋萩をしからみふせて鳴鹿の めにはみへずとおとのさやけさ」
となる。



入羽で庭入りした後、中立を中心に鹿達が廻ります

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さて一人狂い、ササラを大きく前に突き出しての肩入れです。

〽 これのお庭に   で三人狂いに入ります

ササラを大きく左右に振る様が特徴的です。
これは、太鼓系鹿踊のルーツとされる仙台鹿踊にも無く、志津川水戸辺から始まった行山流のみに見られる芸態です。

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そして最後は踊り鹿子で巡りながら踊り、最後は引き羽で舞い納めます。

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動画でどうぞ。

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2018.03.08 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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