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2024.02.10 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

神ノ沢鹿踊@2024第26回釜石郷土芸能祭

さて本日は、2024年2月4日に行なわれた第26回釜石郷土芸能祭から神ノ沢鹿踊です。

由来について当日パンフレットより

「今からおよそ330年前、 南部藩政時代の中頃に房州生まれの唯善伝治と称するものが、 神の沢の萬蔵という人に教えたと伝えられています。

神ノ沢の太鼓打ちでいつも気になるのはあの山高帽子。
調べると明治時代から青年男子の正装時の帽子だったとか。
つまり、神ノ沢鹿踊が明治時代から連綿と繫がわれていたことの証とも言えます。



神ノ沢鹿踊創始者の萬蔵という人は、人に優れて頭がよく、笛・太鼓・唄・踊りの極意を納め、鹿踊の天 オでありました。
初代太夫となるその名前は後々まで伝えられ、20代本内澤友ニに伝承されています。 旧鵜住居村では最も古い芸能で、各神社の丁印として祭典の時には神ノ沢鹿踊だけで 踊りを奉納し、祭りを盛らせたと言われています。」

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鹿には刀振りが付くが、ここの刀振りは躍動的で決め所でピシッとするので実に格好いい。

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続いて鹿踊では、役踊りにと展開する。
一般的な鹿踊では雌獅子隠しとか言う演目名にしていますが、浜の方の一部ではこれを「突き合い」と呼んでるようです。

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雌獅子を巡って、太夫鹿と側鹿が争奪を繰り広げる訳ですが、そこへ太鼓打ちが割って入り、太鼓の音でけしかける。
本当に山獣と里人が身近に暮らしている様を表現していると思います。

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神ノ沢鹿踊の突合では、最期には仲直りしてるのが成る程と思わせられます。

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神ノ沢鹿踊の演目としては、神社参拝、お寺参り参道の礼歌、門打ち(庭踊り)、入羽十二様、小切り十七様、役踊り、向返し、返し切り、柱がかり、女鹿狂い、綱がかり、花合せ、ねり、引き羽。

鵜住居の神社の祭りでは、常に丁印の芸能として神輿に供奉している。
来年も鵜住神社祭典に行きたいと思います。

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動画でどうぞ

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2024.02.10 |

2024.02.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

小川しし踊り@2024第26回釜石郷土芸能祭

さて本日は、2024年2月4日に行なわれた第26回釜石郷土芸能祭から小川しし踊りです。

小川しし踊りの由来について当日パンフレットより

「明治15年から16年に代々小川集落の肝人をしていた 「下小川家」 佐々木忠平氏が 甲子村社(洞泉神社)の祭典に奉納するため、以前から交流のあった遠野郷上郷村火尻 ( 森の下)集落に伝えられている鹿踊を習得しようと3名の若者(佐々木亀松、佐々木三吉、 佐々木丑吉)を派遣しました。
6か月間農作業を手伝う傍ら、それぞれ笛、太鼓、踊の習得に励み小川に持ち帰り、 小川集落の若者達が集落ぐるみで練習に取り組み、現在ま で継承されています。 昭和52年から地域の小学校に出向き、 小学生の指導にあたっており現在も続いています。
小川しし踊りは優雅な中に野に遊ぶ鹿達の姿が表現され、当時この集落にも多く生息 していたという鹿と住民との結びつきを伺うことができます。 平成24年 11月に釜石市指定文化財として登録されました。」ということです。



演目の入り羽は、全5種からなり、通り踊りや、 民家、寺社仏閣等の場によって踊り分けられます。



誉め上げは、踊りの場によって庭、家、蔵、仏、 馬屋などを5・7・5・7・7の唄かけによって誉めを上げながら踊る。

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小切りは、全12種からなり、 全員が輪になって群舞します。太夫の5・7・5・7・7の唄かけによって踊りが変化し、 囃子が早い踊りです。

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引き羽は踊り場、庭から引き下がるときの踊りで、 儀礼的な踊りでもある。

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最後に中立ちのみ残って勇壮に礼舞で舞い納める。

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2024.02.06 |

2024.01.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

南部流成島鹿踊「一番庭」@2022更木夏祭り

さて本日は、2022年7月17日に行なわれた更木夏祭りから南部流成島鹿踊で一番庭です。
成島鹿踊は花巻市東和町ですが、流派のよしみで更木に出演となったのでしょうか。

南部流成島鹿踊は太鼓踊系の鹿踊ですが、その伝承系譜は隣接する現在の北上市更木地区から伝承されたものと思われます。
南部流更木神楽では南部藩の高貴な方に踊りを披露した際、幕に「向い鶴」の紋をつけることを許されたとされる。北上市内でも一番古い歴史があり、石碑には文政年代の文字が刻まれているという。



前幕の喉印は井桁に九曜紋、幕横には日の丸扇に波紋、袴の紋は源氏車で裾に玉垣の二線が入る。

ササラの根元の貝しらべが大きいポンポンのようになっているのが特徴か。
流し絵は富士麓の曽我兄弟仇討ちかと思われる。

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一番庭は入り込みから庭まわりになり、次いで中立の狂い、二人狂いとスピーディーに進みます。

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南部流成島鹿踊は活動を中断していたものの7年前に2年ぶりに復活したといい、地元の人々の懸命な努力が感じられます。

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2024.01.27 |

2024.01.26 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

金津流軽石獅子躍「礼庭」@2022えさし藤原の郷定期公演

さて本日は、2022年6月19日に行なわれたえさし藤原の郷定期公演から金津流軽石獅子躍で礼庭です。

結構前のネタになりますが民俗芸能の上演記録として残しておこうかということでハードディスクに残しているものを掘り起こしてみます。


金津流軽石獅子躍さんの由来については、江刺の芸能などより抜粋

「享保年間(1716)に宮城県志田郡金津村(現大崎市松山町)の犬飼清蔵から石関村(現奥州市江刺稲瀬石関)の小原伊右衛門が伝習し、そこから文政11年(1828)に栗生沢村(現奥州市江刺梁川)の及川新蔵に獅子躍が伝えられた。
明治23年(1889)に広瀬村軽石(現奥州市江刺広瀬)へと伝授された。」

ということです。



「江刺の芸能」によれば初代躍り組は次のとおりとしている。
獅子躍の役割や位置関係など参考になるので掲載してみます。

初代

中立 菊池 音蔵
大脇 菊池 幸八
小脇 菊池 喜代松
中加勢 佐々木 安吉
打立 菊池 常右衛門
大加勢 後藤 辰太郎
小加勢 菊池 喜之助
雌獅子 安部 隆雄


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軽石獅子躍は、昭和40年代に中断を余儀なくされたが、成9年に梁川獅子躍より再伝授を受けて第三代目躍り組として伝承再開したということ。

三人狂い

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雌獅子の狂い躍り 

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雌獅子の位取り 威厳を他の鹿たちに示す

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獅子躍の儀礼的な所作として、獅子躍本来の目的とは違っても祖霊供養の依頼があれば、その地で祈祷を行っていた。


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動画でどうぞ                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           ................................................................................................................................................................................................................................................................

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2024.01.26 |

2024.01.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

伊藤流行山鹿踊「女鹿隠し」@2023奥州秋まつり「芸能の祭典」

さて本日は、2023年9月16日に行なわれた奥州秋まつり「芸能の祭典」から伊藤流行山鹿踊で女鹿隠しです。

由来については、「水沢市史6」より

「宮城県本吉郡水戸辺村の伊藤伴内持遠の創始、元禄13年7月より始めて、東山相川村に伝えられ、それが昭和5年に田河津村の松山満五郎から江刺郡羽田村芦ケ沢(現奥州市水沢羽田)に伝えられたもので伊藤流という。」
とあります。東山相川村というのは現在の一関市相川の鹿踊組(現舞川鹿踊)で、そこを基点に田河津を経由して伝承されたということです。



鹿頭はいかめしく目はきつく切立ち、口は少し開き、装束に伊達家拝領の紋を染め抜き、袖紋は三巴、流しは九曜星に火竜、仲立だけは倶梨伽羅、牝鹿は山姥金時、咽印は一同輪つなぎ。
袴は萌黄色の沢潟の紋、後面は牡丹に唐獅子。
奥野流と違って幕の垂袖を背後に廻して流しの上で結んでいる。

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女鹿隠しの内容は次の如し

「とある山中で、鹿の群れが遊んでいました。その群れは、威厳に満ちた親鹿と元気に飛び跳ねる若い鹿で、その中に一頭のかわいい女鹿も戯れ遊んでいました。すると、突然女鹿がいなくなり、いなくなった女鹿をさがして「思わぬほかのやきりぎりす、 ここで女鹿隠し取られた隠しとられた」 と唄いながら、いなくなった女鹿を探すと、またどこかに隠し取られたことに気づき 若くて元気の良い鹿(役鹿)が探しあてて奪い返すと、またもやどこかに隠されていなくなり、また次の鹿が探して見つけると また奪われ、何度か奪い合っていると親鹿 (中立)に見つかり、悪戯をするなと諫め られ、最後はみんなで楽しくあそぶ場面を演じるものです。かわいらしい女鹿を隠す場面、探し出して奪い合う場面などが見どころです。」ということです。

スクリーンショット 2024-01-22 200300

動画でどうぞ


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2024.01.22 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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