2017.08.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

臼澤鹿子踊@第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆から臼澤鹿子踊です。

由来について「大槌の郷土芸能」より引用

「臼澤鹿子踊りの発祥は、現在の茨城、千葉近辺とされ、古くから農漁民によつて豊作豊漁、子孫繁栄、神仏礼拝など、生活に根ざした崇拝や娯楽として舞われていたものが原形とされている。
大槌への伝来は、1600年代、寛永の頃、当時は俵物と呼ばれた海産物の交易のため房州方面から出入りしていた船乗り達により伝えられたものである。
そのために当時は「房州踊り」と呼ばれ、主に時々の娯楽に庭踊りとして数十年にわたり継承された後、元禄14年1日8月14日、一の渡に鎮座していた小鎚神社への鰐口奉納を祝い、境内で儀式を正して舞つたのが小鎚神社での舞初めであつたとされている。この鰐口は現在も、小鎚神社の分社として祀られている臼澤の社に現存している。
この頃から発祥地と同様に神前での祈願、礼拝踊りが定着していったが踊り手法はまだ完成されたものではなく、更に後年、天明の頃、小鎚在の住人が諸国遍歴のおり、鹿島地方で偶然「房州踊り」に出会い、見覚えのある所作に加え、勇壮にして野趣豊かな踊りに魅せられ、そのまま長期間逗留し、舞、笛、太鼓を習い覚えて帰郷し未完成であつた鹿子踊りを完成させたと伝えられている。
また「しし踊り」と呼称されるようになつたのもこの時期以降であり、親子兄弟友達が仲良く踊るという意味から「鹿子踊り」と称し現在に継承されている。」

ということです。



思えば三陸海の盆も第1回はこの臼澤鹿子踊さんの伝承館のそばにある避難所の広場がスタートでした。

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ところで、幕踊系の獅子踊りの頭には、様々な種類の「たてもの」と呼ぶ飾りがあり、これにはそれぞれの地名や屋号、あるいは呪術的な象徴等が付けられます。

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また、三陸沿岸や遠野の獅子踊では、獅子に相対するものとして刀振り(刀掛け)がつく。
これはかつては少年の役ということでしたが、これが伝承元の房州(千葉県)周辺の羯鼓舞では女の子がササラや長刀、鈴等を持って獅子とともに踊るようです。
刀を振るほうが邪気を祓う感じがするし、神楽との習合も想起されます。

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見せ場の雌獅子狂い 激しいです

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動画でどうぞ。


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2017.08.16 |

2017.08.11 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流口内鹿踊 如意輪寺奉讃 @ 第56回北上みちのく芸能まつり

さて本日は、第56回北上みちのく芸能まつりから、行山流口内鹿踊さんで礼庭についてです。

口内鹿踊の伝書によれば
「文化11年(1814)に江刺郡稲瀬村上門岡杉沢屋敷(現 北上市稲瀬町上門岡)の六郎治から、上口内村草刈場の市太郎に伝授」したとあります。その後、一時中断したものの昭和47年から熊谷保等の指導により、昭和51年に免許相伝を受けているということですが、この上門岡鹿踊は相去から伝承した金津流でした。

ところが、口内は安永二年(1773)に行山流大原山口系から行山流を伝授(東北民俗P81H29.8刊)されている。
鹿頭の後ろに行山の文字が入っています。されど、やはり金津流も混じっているような。



さて、演目に入る前に、中立が三光を踏みます。

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口内は現在では北上市になっていますが、昔は江刺郡福岡村といい現江刺の生活圏にあります。
なので、生活様式や民俗芸能も江刺圏内という解釈になります。
また、このエリアでは「三つ踊り」と称して、鹿踊、剣舞、奴踊りが各集落に伝承されてきた経過があり、地域の紐帯の基となる重要な役割を担ってきました。

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伝書によると口内鹿踊に伝承される演目は、一番庭(礼庭)、二番庭(中庭)、三番庭(鉄砲踊り)、女鹿子狂い、案山子、岩崩、露ばみ、中山狂、春駒狂、土佐 となっている。

ここ最近、太鼓系鹿踊の系譜について再検証する取り組みが活発になってきています。
その中で、従来口伝されてきた系譜とは違う姿が浮かび上がってきています。
このことは、鹿踊を伝承する踊り手たちのみなさんが自分のルーツを真摯に求めている結果のような気がします。
この姿を今後も追いかけようと思います。

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動画でどうぞ。

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2017.08.11 |

2017.07.14 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

大槌鹿子踊 @ 大槌町郷土芸能祭

さて本日は、大槌町郷土芸能祭から大槌鹿子踊です。

と言っても、大槌鹿子踊という団体は存在しません。
これは、2011年の東日本大震災以降に各団体の継承を堅固にする目的で、大槌町内にあった鹿踊5団体が継承を含めて協力し合うということで合従したものです。
その構成は徳並、臼澤、上亰、金澤、吉里吉里の五団体です。



その象徴が、鹿の頭から背中にかけて下げている「カンナガラ」の保存継承です。

カンナガラとは、ドロノ木を鉋で薄く削って帯状にしたものだが、近年このドロノ木が減少されて来ていることに危機感を感じていた。
そこへ、長野県上田市の信濃国分寺ではドロノキからお守りを作るために20年前から植樹を行って成功していると聞き、国分寺から助言をもらい、大槌自生のドロノキの種から200本の苗を育てたという。
そして平成26年4月27日に大槌町の新山に苗木を鹿子踊り団体が協力して植樹したことがきっかけで、それなら踊りも合同でやろうということで発足したということです。

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大槌町の鹿子踊は、金澤が旧川井村経由で伝承されたことを除けば、並べて釜石市鵜住居川地域から伝承されたもので、囃子の曲調に多少の違いはあるものの、概して同様の芸態を伝えています。

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この日の上演は、子供たちが中心で、継承をしっかりとやっているという意味合いがよく感じ取ることができました。

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カンナガラを作るためのドロノキが成長するまで50年かかるということですが、その50年後までこの芸能が継承されていくことを目標として取り組んでいる面もあります。

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何よりも、震災を契機として町内団体が大同団結し、統一して踊れる演目を創作して横の連携を強化しようとしている取り組みに頭が下がります。

秋には小鎚神社や大槌稲荷神社の祭礼がありますが、復興からさらに前に一歩進んで持続可能な継承へと取り組んでいく大槌の鹿子踊にも応援していきたいと思います。

秋祭での奉納、門打ちが待ち遠しい。

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動画でどうぞ。


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2017.07.14 |

2017.05.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

仰山流前田鹿踊 案山子踊り

さて本日は、大船渡市猪川町鎮座の天照御祖神社式年祭で、長谷堂御旅所において奉納した仰山流前田鹿踊の案山子踊りです。

仰山流前田鹿踊の由来について

今に伝わる伝書及び由来書によると本吉郡入谷村の四郎兵衛の弟子の入谷村善九郎が貞亨年中(1684-1687)日頃市の金山に働きに来ていた際に田茂山内野の七右衛門と、猪川村前田の市兵衛に伝授したものと伝える。その後、市兵衛の弟十右衛門が伝授されて元禄年中(1688-1703)まで踊り、市兵衛の子の市郎兵衛、そのまた子の清右衛門が継承する。
この頃の腰差しは五色の幣であった。
清右衛門の子の市郎次の頃に石巻の五郎兵衛並びに水戸辺の市之助から指南を受けてからは、鹿頭、鹿角、後ろの九曜を背負い柳の指物など装束が改まったと言われる。
前田鹿踊りでは小鹿を入れて九人踊りを守っている。これは古態を残した形と言える。

神輿に供奉して練り歩きます。



長谷堂御旅所での奉納です。
礼舞かと思いきや、きっちり案山子踊りを奉納したのには驚きましたが。

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田圃の中に立つ案山子を見つけた鹿たちが正体を確かめようと相談します。

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そこへ牝鹿が確かめに行きますが、この牝鹿は小学生が演じていました。かなり完成度が高いです。

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最後は中立ちが案山子の正体をつきとめますが、こちらのは案山子というより山立(猟師)との駆け引きといった感じでユーモラスです。

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最後は、安心した中立と牝鹿が鹿歌を掛け合います。

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動画でどうぞ。


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2017.05.23 |

2017.04.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

梁川の種蒔桜と獅子躍と

さて本日は、休日にも関わらず仕事の合間に駆けつけました、奥州市江刺区梁川にある種蒔桜のイベントから獅子躍を。

このイベントは、江刺区の獅子・ほたるの舞う里梁川地域協議会主催の「種蒔桜さくらまつり」といい、4月22日から30日まで開催されているものです。

この桜の木は奥州市指定の天然記念物で、樹齢は400年を超えるとされ、地元の方に伺ったところ、水稲の種を播くのに昔は水苗代だったから、時期を外さないように種蒔桜の蕾が膨らんだら種を播くのだという伝承となっていたということです。

せっかくなので、梁川獅子躍の供養碑と種蒔桜の写真です。


ここは江刺梁川の栗生沢という地区です。
梁川金津獅子躍が伝承された地区そのもので、種蒔桜の側に供養碑があるとおり、
此処は伝承の根拠地です。
ここから数十メートル東には第10代庭元の平野家があります。
10数年前まではそこで毎年7月に始祖菊地太蔵の業績を偲んで「太蔵まつり」が行われていました。

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さて、獅子躍りです。
踊りの冒頭で、庭元さんから紹介がありましたが、盛岡市から梁川に綿羊を飼育しての農業をするために来た若い夫婦が踊り組に入会したということ。
そして今日が踊り披露の最初ということで、庭元のアナウンスでも大目に見てくださいという紹介がありました。

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この日の演目は礼庭です。
現在の中立は十一代目です。

私が梁川に奉職していたのは20年程前ですが、今日は出会う方々から「ご無沙汰してました」と挨拶され種蒔桜を楽しんでってけらいと声をかけられました。  いいな~梁川。人と人の繋がりが優しい。

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さて、獅子躍 
後半は、雌獅子の狂いに続いて中立ちの狂いです。

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最後は観客からご祝儀が上がったので、その返礼に「投げ草」が掛けられます。

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この日は、梁川地区のお祭りなので、獅子躍とともに5月3日に催行される江刺甚句祭りの42歳厄年連の皆さんとともに、地域を盛り上げて行きましょう!ということを熱く語り合う場にもなっていたようです。

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動画でどうぞ。

2017.04.23 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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