2017.10.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流口内鹿踊 回向、礼庭 浮牛城祭り

さて本日は、北上市の口内鹿踊についてです。

といっても、この口内町の祭礼行事の写真は平成22年のものです。
浮牛城祭りは、ここ口内が江戸時代は伊達藩の領地最北の要害で、5代藩主伊達吉村獅山公が、享保12年(1728)奥郡巡視で、口内に来訪した。その時の様子が 古絵図にあり「獅山様御成の頃浮牛館ト呼玉フ」とあることから浮牛城の故事を再現するイベントということです。



今でこそ岩手日報の広告記事にもなるような祭典になりましたが、この当時は本当にマイナーなイベントで見に行くのも苦労した次第です(すみません)

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さて、口内鹿踊さんが入り込むと状況は一変します。
祈願所樹、五穀豊穣等の起請文が唱えられます。


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先日口内鹿踊の中立さんが鬼籍に入いられました。
謹んで追悼の意を表する次第でブログ掲載いたします。

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動画でどうぞ。


2017.10.13 |

2017.10.08 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

臼澤鹿子踊 役場前御旅所にて 平成29年小鎚神社例大祭

さて本日は、小鎚神社例大祭から臼澤鹿子踊さんです。

由来について「大槌の郷土芸能」より引用

「臼澤鹿子踊りの発祥は、現在の茨城、千葉近辺とされ、古くから農漁民によつて豊作豊漁、子孫繁栄、神仏礼拝など、生活に根ざした崇拝や娯楽として舞われていたものが原形とされている。
大槌への伝来は、1600年代、寛永の頃、当時は俵物と呼ばれた海産物の交易のため房州方面から出入りしていた船乗り達により伝えられたものである。
そのために当時は「房州踊り」と呼ばれ、主に時々の娯楽に庭踊りとして数十年にわたり継承された後、元禄14年1日8月14日、一の渡に鎮座していた小鎚神社への鰐口奉納を祝い、境内で儀式を正して舞つたのが小鎚神社での舞初めであつたとされている。この鰐口は現在も、小鎚神社の分社として祀られている臼澤の社に現存している。
この頃から発祥地と同様に神前での祈願、礼拝踊りが定着していったが踊り手法はまだ完成されたものではなく、更に後年、天明の頃、小鎚在の住人が諸国遍歴のおり、鹿島地方で偶然「房州踊り」に出会い、見覚えのある所作に加え、勇壮にして野趣豊かな踊りに魅せられ、そのまま長期間逗留し、舞、笛、太鼓を習い覚えて帰郷し未完成であつた鹿子踊りを完成させたと伝えられている。
また「しし踊り」と呼称されるようになつたのもこの時期以降であり、親子兄弟友達が仲良く踊るという意味から「鹿子踊り」と称し現在に継承されている。」

ということです。



さて、この御旅所は大槌町役場前のお祭り広場です。
この役場庁舎は、元々大槌小学校の校舎でしたが、震災による津波と火災により校舎としては使用できなくなりました。
また、震災後は大槌小学校、赤浜小学校、安渡小学校、大槌北小学校の4校が統合して大槌学園となり、大槌高校の隣に新校舎ができたため、ここを役場庁舎としているものです。

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雌獅子狂い 激しいです

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動画でどうぞ。

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2017.10.08 |

2017.10.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

金沢鹿子踊 駅前御旅所

さて本日は、小鎚神社例大祭から金澤鹿子踊さんです。

金澤鹿子踊さんの由来については大槌町郷土芸能保存団体誌ほかより参照

「江戸中期中頃(300年前)に、現在の戸保野の佐々木兵十郎氏宅に下閉伊郡茂市村(現宮古市)から嫁いで来た人によってもたらされた。この嫁いで来た人には子が無く、自分の形見に何か後世に伝えたいと思い、自分の生まれ故郷の鹿子踊りの師匠達を呼び、部落の若者たちに教えたのが始まりで、この間、早池峰で踊りを披露し宮司より賞賛のしるしを拝受したという記録もある。
踊りの種類は12種類からなり、主として念仏踊りなので、御霊仰などの字句も使われている」ということです。



茂市には、現在も茂市鹿子踊が伝承されていて、笛や舞方は同様の感じがしますが、茂市の装束は鍬形角に紙ザイを使用しています。年月を経る中で、大槌の他の鹿子踊りの影響を受けて枝角にカンナガラに変化していったのかもしれません。

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ところで、.この金澤鹿子踊りさんの旗には「金山流」と書いてあります。
茂市には中世から江戸中期にかけて腹帯金山等があったとされるので、そのことでしょうか。
また、明治後半から大正にかけて対間地区にも伝承し、昭和45年に保存会が結成された。金沢稲荷神社祭典での奉納舞や新盆宅の供養の舞の他大槌まつりにも参加しているということです。

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動画でどうぞ。

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2017.10.07 |

2017.09.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

行山流都鳥鹿踊 唐金 FULL @ 第51回胆沢郷土芸能まつり

さて本日は、第51回胆沢郷土芸能まつりから行山流都鳥鹿踊さんで、唐金です。なんと省略なしのフルバージョンです。

行山流都鳥鹿踊の由来について、

「伊藤伴内(南三陸町志津川)の門弟のひとり行山清左衛門から伝わり、さらに寛政5年に平泉町の三代行水軒中津川清左衛門義胤から「行山流踊り」として伝授されたといわれ、以来今日までの永い間、多くの先輩達によって踊り継がれて来ました。」

とあります。

胆沢のしし踊りには三つの系統があるといわれ、行山四郎兵衛を元祖とする(胆沢区)徳岡経由と(一関市厳美町)山谷経由のものと、行山清左衛門を元祖とする平泉の達谷窟経由のものとがあるという。
都鳥鹿踊は平泉の達谷窟経由の麓行山躍で、同じく胆沢の供養塚鹿踊とともに水沢栃ノ木や金ケ崎細野・北方・御免等に伝承している。

現在の代表は高橋勇人さんで、メンバー17人の中には胆沢区以外の出身者や女性も加入しているということです。

まずは入込から



唐金(からかね)は、一頭の狂い鹿から牝鹿を守ろうとする二匹の側鹿との三つ巴の戦いの勇壮な踊りで、悪魔退散の踊りとも言われています。

しかも、この演目を省略すること無く45分間のフルバージンを29年ぶりに復活させたということでした。
都鳥鹿踊さんは、先にも八人踊りのフルバージンを演じましたが、会員の皆さんの並々ならぬ意気込みと努力に敬意を表します。

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三頭の激しい応酬が続きますが、相当体力を使うと思います。

〽 からかねは 天に昇りて刃をつけて 松にからまる蔦を打たばや

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とにかく最高のできだったと思います。
次のフル演目も楽しみにしてますよ都鳥の皆さん。

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動画でどうぞ。

https://youtu.be/rke8Kbwwj5c

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2017.09.27 |

2017.09.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

土渕しし踊り @ 土渕まつり

さて本日は、8月20日に開催されました遠野市の土渕まつりから土渕しし踊りです。

由来については遠野文化研究センター刊「遠野の郷土芸能」より

「江戸時代末頃から伝承。はじめ駒木鹿子踊りの系統を伝えていたが、いつの頃からか、附馬牛町張山から師匠を招いて教えられ、現在では張山しし踊りの系統である。文化13年に書かれた鹿踊濫觴巻が残されている」

ということです。



この日は様々な行事が重なっていたらしくて大人も子供も人数が揃わなかったものの、地元のしし踊りということで、沢山の声援がかかっていました。
やはり遠野の風景にはカンナガラ獅子がよく似合う。

柱がかり

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先の資料によれば、遠野市土渕町には江戸時代から土渕しし踊り、足荒川しし踊り、和野しし踊り(野崎・和野・山口・栃内)が伝承されていたという。
毎年常堅寺で踊りを競ったが、踊りの主体となる人々が次々と亡くなったので、現在では柏崎しし踊りだけが伝承されているということです。

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もうすぐ遠野祭りです。今年は馬場巡りでも見に行こうかな。

H29遠野まつり


動画でどうぞ。

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2017.09.06 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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