2018.02.13 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

供養塚・都鳥鹿踊 @ 第29回全日本農はだてのつどい

さて本日は、2月10日に開催されました奥州市胆沢区の恒例イベント、全日本農はだてのつどいから鹿踊です。

農はだてのつどいは、「1年の農業の豊作と農業の安全を祈って行われていた年中行事「農はだて」を再興し、日本古来の文化の素晴らしさを見直すことを目的として、平成2年から開催しています。」ということのようです。

この秋田の左義長に似た大松明に豊作祈願の点火すると農はだてのつどい夜の部開始となる。



供養塚鹿踊さんと都鳥鹿踊さんの組踊で礼舞です。

供養塚と都鳥はともに平泉町の達谷窟から伝わった麓行山流の鹿踊です。

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雪景色の中での鹿踊は、ここでしかお目にかかれません。

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踊り手の皆さんの足元は藁沓を履いてました。農はだてのつどいに相応しい出で立ちといったところです。
両組の皆さん、寒い中ご苦労様でした。

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動画でどうぞ。


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2018.02.13 |

2017.12.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

金津流伊手獅子躍 女獅子隠し @ 江刺民俗芸能フェスティバル2017

さて本日は、江刺民俗芸能フェスティバル2017から、金津流伊手獅子躍で女獅子隠しです。


金津流伊手獅子躍の由来は、明治36年(1908)、江刺郡梁川村栗生沢(現奥州市江刺区梁川)の佐藤亀治等から伊手村曽木田の渡辺八百吉等が伝授されて創始した。
平成7年に現踊り組が七代目として相伝され、現代表は稲田文夫さんです。



この日の踊り手には高校生や中学生も混じり、元気のよい弾けた踊りが目を見張るものがありました。

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雌獅子を隠した側鹿に迫る牡鹿の迫力ある踊りも気魄が篭っていました。

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雌獅子を踊ったのは小学6年生です。こちらも燕返しに烏跳ねと上出来です。

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迫力ある雌獅子隠しでした。今後も楽しみです。

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動画でどうぞ。

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2017.12.19 |

2017.12.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

奥山行山流内ノ目鹿踊 「礼庭」 @ 江刺民俗芸能フェスティバル2017

さて本日は、江刺民俗芸能フェスティバル2017から、奥山行山流内ノ目鹿踊で礼庭です。


奥山行山流内ノ目鹿踊の由来について「江刺の芸能」他より

「明治14年(1881)、東磐井郡東山前田野村、佐々木新左衛門、菊池源右衛門らの指南により、玉里村角掛の後藤養之助ほかに伝授され、後藤養之助が初代庭元となり、奥山行山流内ノ目鹿踊として創始された。
以来、二代庭元養之助、三代四代千代吉、五代六代梅吉と踊り継がれた。
戦前戦後の二十年程は中断されていたが、昭和37年8月に庭元当主後藤次雄、世話人菅野守治両氏の提唱によって第六代踊り手の後藤次雄、及川庄治、後藤幸行、後藤慶一の諸氏を師匠として第七代目として再興した。
平成23年に活動休止していたが今回の公演が活動再開となる」

ということです。現在の代表は佐藤雅夫さんです。



前田野からの伝授ということで、行山流山口派の系統ということになるかと思いますので、中立の流しには「陸奥濃信夫牡鹿能牝鹿乃里聲遠曽呂邊天遊婦鹿加毛』(みちのくのしのぶおじかのめじかのさとこえをそろえてあそぶしかかも)」とあります。
絵は菊慈童です。

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側鹿の流し絵は山姥に金時が描かれています。

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この辺は、行山といった感じです。
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しばし中立の一人踊りがあり、その後に四人での狂いがあります。

この日はメンバーが一人欠けていたようですが、何より再興できたことは喜ばしいことです。

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動画でどうぞ。

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2017.12.18 |

2017.12.14 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

金津流梁川獅子躍 礼庭(+幼児)@ 江刺民俗芸能フェスティバル2017

さて本日からは、12月10日に奥州市江刺区で開催されました江刺民俗芸能フェスティバル2017のリポートとなります。
今回は、ステージでの上演の他に施設内に体験コーナーを設けて、神楽や鹿踊の衣装などを試着して民俗芸能への理解を深めるという工夫もされていました。

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という訳で、トップバッターは金津流梁川獅子躍です。

由来について

宮城県旧志田郡次橋村より江刺の石関に伝わり、文政11年(1828)に石関の小原伊右衛門から梁川栗生沢の菊池太蔵へ伝授されて始まった。
平成6年に第10代目に相伝された。

とあり岩手県指定無形文化財となっています。現在の代表は11代目及川俊一さんです。




さて演目は礼庭です。
礼庭は、獅子踊の全ての基本となる所作等が入っているだけでなく、儀礼の舞として品格のある演目です。

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が、この日はいつもと少し雰囲気が違いました。
鹿踊が大好きということで今年入門したばかりの6歳児が2人入っての上演となりました。
地元新聞等で事前に幼児が真剣に鹿踊に取り組む写真が掲載されたせいか、それを目当てに来場したお客さんもいたようです。


中でも、雌獅子を踊ったこの子(写真中央)には沢山の拍手と声援がかかりました。
雌獅子狂いは大人でも難しい技ですが、つばめ返しや烏跳びも難なくやり遂げ、驚嘆の声も聞かれました。
お見事です!末恐ろしい。

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また新たな後継者が現れたことで、江刺金津流の大黒柱として今後の活躍が期待されます。

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動画でどうぞ。


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2017.12.14 |

2017.12.09 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリシシ踊り

富士麓行山細野鹿躍 @ 第37回金ケ崎町郷土芸能発表大会

さて本日は、第37回金ケ崎町郷土芸能発表大会から、富士麓行山細野鹿躍で一番庭、狂い躍りです。

細野地区と言うのは金ケ崎町の中でも西部地区にあたり、胆沢町から県道37号線に沿って北進した位置にある。
さらに北に行くと千貫石堤があるが、この千貫石は金ケ崎地方の鹿踊の大元になる。

由来について「行山流鹿踊」(及川宏幸氏著)より抜粋

細野鹿踊の系譜は不明とするが、明治末頃に上永沢から伝授された。
系統は衣川古洞⇒胆沢町小山笹間⇒上永沢⇒細野と伝わったと想定される。
昭和32年頃から復活し、昭和54年に再び復活した。

とあります。(千貫石⇒永徳寺⇒上永沢という説もあるが)



富士麓行山流というのは、富士麓行山獅子踊之秘巻によれば、慶安二年(1649)七月に、駿河の飛鳥川常利が富士山麓で遊ぶ鹿を見て始めたという鹿踊を、三つの流派に分けて伝授したという。
すなわち、麓行山の踊りを小川利春に、流行山の踊りを青田利久に、そして源行山の踊りを石亀利具に伝授した。
そして仙台領本吉郡水戸部村の伊藤伴内持遠が行山流を広く伝授し、その弟子・入谷村の四郎兵衛から伊達領内に伝承されたものの内の一系統になる。

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行山流の巻物にある鹿踊の絵を見ると、権現頭に刳り貫き太鼓をつけ、背中にはササラが無い代わりに五行幣らしきものを刺している。

この細野の出で立ちを見ると、頭は鹿というよりも正に権現頭に近く、しかも背中には五行色の布を下げている。

これは中立の流しで五穀成就の文字が入ります。

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様々な要素が入ったこの一番庭は、展開がおもしろくて見応えがあります。

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後半で激しく狂い踊りが展開される様は、正しく獣性を現すが如くです。

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動画でどうぞ。

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2017.12.09 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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