2021.01.30
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カテゴリ民俗
今日は朝から猛吹雪、折角溶けて乾いた道路も一面真っ白。
そんなホワイトアウト状態の道を一路えさし郷土文化館へと行ってきました。
目的は昨日のブログに引き続いて「蘇民祭」
えさし郷土文化館では、旧正月から節分までの間に行なわれている胆江地方の蘇民祭に焦点をあててコーナー展をやっていると聞いて出かけた次第。
題して荒ぶる祈り

蘇民祭は正に荒々しくやればやるほど蘇民祭の神=牛頭天王(スサノオノミコト)の御加護が得られると信仰されている。
その祭りに使用される事物(本物!)が関係者から借用して展示しているということでした。
蘇民袋(無事なまま)、駒木、テギ、角灯、カツノキ

様々な蘇民将来符

帰り際に野坂学芸員さんとあれこれ話していたら、今回の展示はコーナー展ですが、時期をずらして規模を大きくして「蘇民祭展」を考えている?ようです。
コロナ禍ですべての蘇民祭が神事のみとなっている中で、蘇民祭の大規模展示やフォーラムなんてあったらいいなと勝手に思った次第です。
えさし郷土文化館HPでは蘇民祭についての詳細な資料もUPしていますのでご参考に → えさし郷土文化館
展示期間は2021年1月23日(土)~3月7日(日)

2021.01.30 |
2021.01.23
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カテゴリ民俗
例年ですと小正月行事やら神楽の舞初めで忙しく走り回る1月中旬ですが、今年は感染症対策ですべて中止、あるいは関係者だけの神事のみといった感じです。
こういった中では「演じる側」ばかりでなく、「見る側」も閑居せざるをえないのであります。
しかしながら現代文明は「映像録画」「ネットワーク」という術を身に着けていました。
簡単にいうと「youtube」です。
これのお陰で、見知らぬ土地の見知らぬ風景現象や、見たいと思いながら行くことが困難な催事を目の当たりにすることができる。
で、この度、岩手県からの依頼でかねて暦年訪問していた陸前高田市の七夕行事の映像編集をし、それを岩手の文化情報大事典に掲載することとなった。
東日本大震災から丸10年
本当は様々な追悼行事が行なわれることだろうが、規模縮小などの措置が取られるのだろう。
しかしながら、祭りはなくとも皆の心の中は追慕の念でいっぱいだろう。
そんな気持ちを込めてDVD編集をした1日でした。

岩手の文化情報大事典はこちらです
https://www.youtube.com/channel/UCwjCsLc4urrG9IXZyQ5-iDg?view_as=subscriber
テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2021.01.23 |
2020.01.12
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カテゴリ民俗
さて本日は、大震災以降毎年訪問している陸前高田市高田町の川原地区で正月に斎行されている権現舞に行って参りました。
ここの権現舞は、昭和54年に大船渡市の船河原という地区に権現舞があり、その地区で姻戚関係があった者が伝えたということです。
それまでは、この高田町川原町内会にはうごく七夕の祭り組はあったが、旧盆の行事としての繋がりはあるものの、正月に集まったときには祀るものがないということと、夏の七夕行事の資金集めのためにも権現舞を回しての御花集めは重要な行事でとしたこと。
しかるに震災以降は、もともとの町内会にいた人たちがバラバラに分散して住んでいるため、この門付けも困難を究めていました。
そこに沢山の善意の加勢があって、震災後も途切れること無くこの祭りが続いてきました。

祭りの要素は、歳の初めにあたって住民の災厄消除や五穀豊穣、大漁満船を祈願して権現様の力を借りて祈祷するものです。

震災後の数年は仮設住宅などを回っていましたが、今は、住宅再建した旧町内会の方々の新築祝いを込めた門付けが目立ちました。
ところで、アバッセたかたエリアではいろいろな店が沢山できていますので、皆さんおいで下さい。
今日も蕎麦屋、ラーメン屋、お菓子屋さんなどには行列がたくさんできるほど賑わっていました。

動画でどうぞ
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2020.01.12 |
2019.01.10
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カテゴリ民俗
さて本日は、第57回 北上みちのく芸能まつり 詩歌の森公演からじゃんがら念仏踊りです。
この日の出演は福島県からの招待団体で、磐城じゃんがら彩志会の皆さんです。

じゃんがら念仏踊りは、 いわき市を中心とした念仏踊り。 現在はいわき市各地区の青年会や保存会を中心とした100前後の団体が、 それぞれの形でじゃんがら念仏踊りを継承しているという。
太鼓の胴に南無阿弥陀仏と染め抜いた布を巻いているとおり、念仏踊りであるが、より一層風流化して歌と踊りと太鼓が主になっている。

孟蘭盆の8月13日から15日に、 新盆の家を回って供養をが行われている。
としては、 鉦や太鼓を鳴らし、 独特の掛け声をかけながら男女が輪になったり列になったりして踊ることが挙げられる。
また、いわき市遠野地区や茨城県北茨城市大津地区では、 鉦や太鼓の他に横笛 も用いられている。
(じゃんがら念仏踊りの発祥と伝承過程について 齋藤 りぼん著より抜粋)

太鼓の撥の先にはウサギの白い毛をつけているという。
唄は「ナァハァハァー、モォホホホーィ...」といった念仏に節を付け崩したとされる唄に続き「盆でば米の飯、おつけでば茄子汁、十六ささげのよごしはどうだ...」などと唄われる。

動画でどうぞ
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2019.01.10 |
2018.08.20
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カテゴリ民俗
さて本日は、平泉町長島地区で8月15日に行われた田頭讃念仏の念仏申しの様子についてです。
この念仏申しは以前当ブログでも取り上げた隣地区である一関市舞川の舞川鉦太鼓念仏と同じ念仏供養の民俗行事で、かつてはこの地方に沢山あったということで、知人から聞いた話では奥州市前沢赤生津にもあったということですから、平泉を中心に伝播していったのではないかと推量されます。
由来については保存会所有の「田頭讃念仏申集」から
「お念仏の由来
天明年間、小島村三草作の佐内という剛力の若者がいて、束稲山の桜森へ朝草刈に行ったところ、石山の穴に隠れようとしている大蛇を見つけ、力比べをしようと大玉石を取っては投げして穴を大きくして大蛇の尾を掴み満身の力をこめて引っ張ったところ、半分から千切れて殺してしまった。帰り道喉が乾いて泉で水を飲もうとしたところ、湧き水が全部小さな蛇になり水を飲むことができなかった。家に帰ってからも毘沙門堂の辺りにも蛇がうようよ地面一杯で歩くこともできなかったという。
寝ても毎夜大蛇の夢に悩まされるので、これは大蛇のたたりと思い、西国信州長野に寺参りに行き、そこで習得して帰り伝えたといわれている。
その若者の剛力さは、畑を開墾するときは煤竹を麻引きのように引いて片付けたり、生家の東岳の日向の通門の渡り石を素手で持ち上げて運んできて敷いたというのが今も現存している。そのくらい力自慢だったという話が今でも伝えられている」
ということなそうです。長野には念仏踊りはあるものの大分様相が違います。
おそらくそれと当地方の大念仏が習合したものかと。

この盆行事は毎年8月15日に行われていて、庭元宅で笠揃いした後に、請われた初盆宅をまわり、夕方には地元の満福寺と東松寺を廻って墓回向をするというものです。
田頭讃念仏の初代は三草作の浅利佐内で、現在はその子孫にあたる浅利和昭さんが第9代となっている。
ちなみに、この庭元宅は赤伏にあるので、赤伏神楽というのがありましたねと伺ったら「家が庭元です。道具もあります」という返事。すごい発見をしてしまいました。後日その辺の話を伺うため再訪することにしました。
ということで、最初は庭元宅にて笠揃い 太鼓を打つ女の子たちがかぶる笠には山と鳥居が飾ってあります。まさに大念仏といった感じですが、これは重いので他の場所では花だけを付けた軽い笠で踊ります。

初盆宅に庭入りです。
太鼓、笛、ササラを鳴らしながら道から庭に入り、最初に庭で一踊りします。
念仏の順番は、後生楽、問念仏、参り来て~、留念仏、後生楽、回向、回向太鼓、問念仏です。

次に縁側から仏間に入り、初盆で集まっている親族が見ている前で念仏申しです。
念仏の順番は、あわれ様や~、回向です。
その後、家主から酒食をご馳走になりますが、それが終わると礼踊りというべき念仏があります。
念仏の順番は、蓮華や朱膳朱椀にみがき箸~、回向です。

初盆宅での念仏申しが終わると、菩提寺の満福寺に行き、最初に本堂にて念仏申しです。
念仏の順番は、お寺様や千畳たたみを走らせて~、回向です。

そして、墓地に移動して請われた初盆のお墓で念仏申しです。
墓前に提灯を提げるのはこの地域の特色です。
墓の前での念仏は いにしえの恋しき人の墓に来て 見るより早く濡るる袖かな 南無阿弥陀仏~、回向です。

最後に東松寺です。ここでは施餓鬼棚の前で念仏申しをしました。
念仏衆はともかく、踊りての女の子たちは今までは地区内の子どもたちでしたが、少子化のため他地域からも募集しなければと庭元さんが話していました。
長く続いていくことを祈ります。

動画でどうぞ
テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2018.08.20 |
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