2012.10.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

陸前高田市 月山神社 

一昨日の日曜日に陸前高田市の月山神社で本吉太々法印神楽が奉納されるいうことで出かけた。
夜神楽が始まるまで時間があったので社務所にお邪魔して話を伺ったので、本日はその内容について書いてみる。
従って、肝心の神楽については明日以降に掲載いたします。

まづは、月山神社について由来を「岩手県神道青年会HP」より引用


正治二年(1200)、出羽国飽海郡月山神社より、荒木出雲の先祖月光院なる者により、当地に遷座される。
天明六年(1786)、羽黒山より月読神社分霊を証明する申渡書を交付され、以来、神霊の稜威とともに、長部村の総鎮守となる。
仙台藩主の敬神篤く、毎年七月十七日の大祭には幣帛が供進される、嘉例があった。
享保年間(1716~1739)伊達吉村公が封内巡視の途中、当社境内の桜の木にて憩い、国風一首を詠む。
寛永年中(1624~1644)検地書に、当社境内並びに西北の地を月山と記される。これにより、長部村開発よりの古社であるとが伺える。
明治五年(1872)江刺県治中長部村の村社となる。同8年(1875)町村合併により無格社となるが、氏子崇敬者の敬神の念厚く、大正13年(1924)再び村社となる。
昭和49年(1974)伊勢の神宮より御遷宮後の古材の譲渡を受けて、本殿を造営し、併せて、弊殿、参集殿、社務所を建設する大造営を行った。
近年では、神道墓地を造成して、氏子・崇敬者に提供している。





以下は当社禰宜の荒木真幸氏に伺った内容を参考に記す。(荒木氏は広田の黒崎神社、気仙町の今泉天満宮の宮司さんも務めておられます)

月山神社の建つこの地は北緯39度に位置し、真西に行くと山形県の鳥海山麓にある吹浦の大物忌神社がある。
そこの祭祀で太鼓を打つ役目をしていたのが荒木氏の祖先ということだ。
その後、月山(つきやま)神社の勧請をしながら雄勝・栗駒・平泉・室根と東へ辿り、太平洋岸の気仙の地にたどり着いたのでは。従って、神楽も鳥海山でのものから直接伝わったとのこと。

法印神楽については相当古くからあるが、現在の形になったのは五代前の荒木けんご時代に大沢の賀茂神社宮司と月山神社とで始めたとのこと。
以来盛衰があったが、伝承をしっかりとやろうということで気仙沼・本吉地方の神社仲間?で修成会を結成して、平貝の八雲神社の神職の指導を得て、神官(旧修験者の末裔)だけで修練・奉納上演を行う本吉代々神楽を結成し今日に続いている。
この、近在の法印だけで神楽組を構成し、互いの神社の例祭に奉納する「ヨエトリ神楽」は現在では非常に貴重な古い形を残したものとなっている。

DSC06503.jpg

伝える演目としては初矢、両矢、三天、岩戸開き、五矢、日本武、釣弓、魔王退治、二の矢、所望分、叢雲、蛭児の12番となっている。

舞の特徴としては「かいな(腕)指し」「乱聲」「翁の寅踏み」などにあるという。

神楽舞台は可搬式の掛け舞台で二間四方。舞台の周囲に萱の葉で作った「八重垣」を回していたが手数がかかるということで今年から梯子状の欄干を作成して代用し、正面にのみ御幣を立てている。

秋の例祭の宵宮は仲秋の名月(旧8月15日)におこなっている。


本吉代々法印神楽HPを参照ください。⇒http://houinkagura.kitanojinjya.jp/

DSC06497.jpg

テーマ:お祭り&行事 - ジャンル:地域情報

2012.10.02 |

2012.06.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

真城寺の晋山式

本日は晴天のもと奥州市水沢区真城にある浄土宗観音院真城寺の住職の晋山式が行われた。
第43世圓誉義教上人が正式名称とある。
晋山式とは、寺院に新たな住職が就任する際の儀式を言う。真城寺の山号は法王山、その山に晋むという意味がある。

実はこのお寺さんは、現在地にあったのではなく、以前は同じ真城地区の栗林という所にあったそうだ。
それが、今は民家になっているので、晋山式のスタートはこちらの家の仏間から始まる。

DSC09851.jpg

雅楽の先導で立派な長屋門を通って進む。

DSC09856.jpg

50人のお稚児さんと記念撮影

DSC09869.jpg

山門は閉じられています。

DSC09894.jpg

新住職になられる義教さんが作法に則り開門式をとり行います。
伴の僧侶が扉を叩くと中から山門が開けられます。
これでお寺が開かれたことになるそうだ。

DSC09918.jpg DSC09925.jpg

父親である前住職から檀家の過去帳と払子等を受け継ぐ儀式のあと本山である東京 芝の増上寺から任命書を受け取って名実ともに就任しました。

DSC09953.jpg

檀信徒の皆さんと授与十念(南無阿弥陀仏を新住職と檀信徒が交互に唱え、第10念目は同唱する)

DSC09938.jpg

テーマ:お祭り&行事 - ジャンル:地域情報

2012.06.02 |

2012.02.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

一ノ矢八坂神社

これは散歩していて参拝した神社、一ノ矢八坂神社である。
神社の由来は一ノ矢八坂神社様のHPより

「大昔九州地方からカラスが飛んできて田畑を荒らすので、これを退治しようと天に向かって矢を放ち、第一の矢で射落とした処に御鎮座したのが、この一ノ矢八坂神社(一ノ矢天王様)だと言われています。
カラスは足が三本あり玉を持っていたので、射落とされた地域を「玉取村」としたとされております。また現在でも矢を射たところは「天矢場」、玉を埋めた処は「玉塚」という地名で呼ばれております。」
ということである。



社殿に向かってご挨拶しようとしたが、鈴緒が見あたらない。
とにかく神名を称えて参拝する。
2012022206580000.jpg

それにしても、何故天王社なのか。
社の由来によれば貞観年間の建立とあるが、
場所柄鹿島神ではないのか。
このあたりに時の為政者の変遷による崇神の摺り替えが窺われる。

ところで、社務所に「ニンニク守授与所」と張り紙がなされていた。
ニンニク? 何だそれ?

こういうことである。
同社のHPによると

「祭りの時に疫病除けに効力のあるニンニクが魔除けとして神社から頒布され、また境内にはニンニクの露店が立ち並ぶので、「ニンニク祭り」と呼ばれ広く一般に知られております。」
ここまではなるほどと得心する。
次に、
「ニンニクは、尊が朝鮮にお渡りになり採鉱・冶金・植林・医薬品等について学ばれた多くの技術や木種と共に、薬用の効力に優れた霊力があるものとしてお持ち帰りになられたもので、その後病気・病難祓除の強精剤として賞用されたと云う遺風が現在まで伝承されているものと信じられております。」
と、八坂=スサノウが朝鮮にお渡りになりとある。
そもそもスサノウ=武塔神は唐土~朝鮮半島経由で日本に伝来したのではなかったか。
私的には 鹿島(武甕)に後で武塔神が習合したものと捉えていたので、スサノウが朝鮮半島に渡るなどということはありえない。
むしろこの祭りの根源は朝鮮半島からの渡来人が関与したと考えたい。
事実天武持統朝には百済男女214名を武蔵に、高麗人56人を常陸へ配するなど、渡来人を関東などの遠隔地に配するようになったともある。

まあ、そんなことはどうでもいいが、ようするにニンニクを持ち込んだ人々がこいつは体に良いばかりでなく悪魔退散になるよと喧伝したことに始まったような気がする。
ニンニク守・・・欲しい!

平成24 年度の大祭日は、7月25日(水曜日)なそうである。お近くの方はどうぞ。

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.02.23 |

2012.02.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

道陸神

散歩していてこんな石碑をみつけた。
「道陸神」とある。

WEBLIO三省堂 歴史民俗用語辞典によれば
読み方はドウロクジンで、道路の悪霊を防いで旅人を守護する神ということだ。
別名は、いわゆる道祖神で、塞の神とも岐の神とも呼ばれている。
普段はあまり目にすることがなかったので携帯で撮影したが、石碑の前には丁重に踏み石が連なり、水も添えられている。
往古はここは村境であったことが偲ばれる。


テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

2012.02.21 |

2011.12.29 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

水沢のケライ神信仰

水沢では古くより「家来神」「ケレェ神」と称して、生まれ年に因む守護神を信仰する風習があった。
南部領では「御一代様」といい、天台宗の言葉で人の一代限りの守り神ということらしい。

で、水沢での家来神は次のとおり

子  千手観音( 縁日十七日 現在は七月第三土曜日) 三本木  三十三観音堂(現在は大林寺境内に移転)
丑寅 虚空蔵菩薩( 十三日 現在は六月十三日)   上町   虚空蔵堂(水沢小学校西隣)
卯  文殊菩薩( 二十五日 現在は八月第四土曜日)    東中通  雲峰神社(明治以前は寺小路にあった)
辰巳 普賢菩薩( 二十四日)     〃
午  勢至菩薩(二十三日)     〃
未申 大日如来(八日)      不断町  大日堂(樋口医院南隣)
酉  不動明王(二十八日 現六月二十八日)    宮下町 不動明王堂(旧大内美容院敷地内)、成田不動尊
戌亥 八幡大菩薩(十五日 現九月十五日 )  高麗八幡(新小路) 八幡(勝手町) 等

「語り伝え水沢」の中で、ある天台宗の僧侶にケダイ神について質問し、その答えが紹介されているので、抜粋すると。

「(ケダイ)それはカリ、假という字。それからダイは諦。だから天台語と日本語の合まぜが假諦神さん。人生観と言うような、いわゆる止観という天台哲学。天台では人生を三つに分けて、過去、現在、未来ですね。真諦、假諦、中諦と三つに分けるんだそうですよ。過去が真諦、現在が假諦、未来が中識と。だから人生即天台で言う假諦、仮りの諦め。まあ姿と言ったふうにみればいいかもしれない。(中略)天台で言うその三観の概略を。そう言われれば、ケダイを守って下さる現世の幸福を守って下さる神様と言うことになる。」

と、つまりこれは天台の考え方であるらしいのだ。がしかし、上にあげた家来神さんたちはお寺さんなのに表に鳥居があったり、または神社だったりと、要するに両部なのである。

で、ご利益を得るために明治期まではそれぞれの縁日にお賽銭を握ってお参りしていたらしいが、その後は元朝参りは一年間の幸福を願いに行くのだということで元朝の恵方参りに家来神を参拝するようになってきたと言うわけである。
私の祖母は、この家来神をいたく信仰していて、酉年だったから近所の成田不動尊を大事に思ったのか石灯籠まで寄進している。(今も祠の前に立っているが、高価なものだったろうに)
もっとも、今では家来神だろうがケライ神だろうが知っている者はどれだけいるのか。
という訳で、私は今年も元朝参りは「ケライ神めぐりウォーキング」をしようと思っている。


これは、私の家来神である高麗八幡神社。
この社の由来は、
「文禄二年(一五九二)伊達政宗が、豊臣秀吉の命で高麗に出陣するに際し、水沢城主の留守政景もこれに従った。その時、京都の僧智学を伴い、護身のため崇信する近江八幡から分霊を奉持し、任を終えて無事帰国することが出来た。
留守家では、その後ますます崇敬を強め、高麗八幡と尊称し、政景の後継ぎである初代水沢城主宗利が、寛永六年(一六二九)に社祠を建立し、高麗八幡宮と称した。」
とある。
私の子どものころはここでの縁日には夜店が立ち並び、神楽もかかったものですが、今は衰退しております。

DSC00177.jpg


因みに仙台では「けたいがみ」「けでーがみ」というそうである。
各干支の守り本尊と参拝社は次のとおり

子  千手観音( 縁日七日)   元寺小路  観音堂
丑寅 虚空蔵菩薩( 十三日)   向山    虚空蔵堂
卯  文殊菩薩( 二十五日)    茶屋町  文殊堂
辰巳 普賢菩薩( 二十四日)    向山   愛宕神社
午  勢至菩薩(二十三日)    北目町 二十三夜さん
未申 大日如来(八日)      柳町    大日堂
酉  不動明王(二十八日)    三滝―新伝馬町 不動堂(明治四年新伝馬町に移す)
戌亥 阿弥陀如来(十五日 )  八幡町   大崎八幡
〔中略〕阿弥陀は八幡の本地仏なる故同じとされた。
これらの神仏には真言宗・天台宗の寺院か修験が別当をしており、祭礼にはその生年に当る者がよく参詣した。』

以上「宮城県仏教史」より抜粋

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

2011.12.29 |

«  | ホーム |  »

プロフィール

祭りの追っかけ

Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -