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2011.12.29 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

水沢のケライ神信仰

水沢では古くより「家来神」「ケレェ神」と称して、生まれ年に因む守護神を信仰する風習があった。
南部領では「御一代様」といい、天台宗の言葉で人の一代限りの守り神ということらしい。

で、水沢での家来神は次のとおり

子  千手観音( 縁日十七日 現在は七月第三土曜日) 三本木  三十三観音堂(現在は大林寺境内に移転)
丑寅 虚空蔵菩薩( 十三日 現在は六月十三日)   上町   虚空蔵堂(水沢小学校西隣)
卯  文殊菩薩( 二十五日 現在は八月第四土曜日)    東中通  雲峰神社(明治以前は寺小路にあった)
辰巳 普賢菩薩( 二十四日)     〃
午  勢至菩薩(二十三日)     〃
未申 大日如来(八日)      不断町  大日堂(樋口医院南隣)
酉  不動明王(二十八日 現六月二十八日)    宮下町 不動明王堂(旧大内美容院敷地内)、成田不動尊
戌亥 八幡大菩薩(十五日 現九月十五日 )  高麗八幡(新小路) 八幡(勝手町) 等

「語り伝え水沢」の中で、ある天台宗の僧侶にケダイ神について質問し、その答えが紹介されているので、抜粋すると。

「(ケダイ)それはカリ、假という字。それからダイは諦。だから天台語と日本語の合まぜが假諦神さん。人生観と言うような、いわゆる止観という天台哲学。天台では人生を三つに分けて、過去、現在、未来ですね。真諦、假諦、中諦と三つに分けるんだそうですよ。過去が真諦、現在が假諦、未来が中識と。だから人生即天台で言う假諦、仮りの諦め。まあ姿と言ったふうにみればいいかもしれない。(中略)天台で言うその三観の概略を。そう言われれば、ケダイを守って下さる現世の幸福を守って下さる神様と言うことになる。」

と、つまりこれは天台の考え方であるらしいのだ。がしかし、上にあげた家来神さんたちはお寺さんなのに表に鳥居があったり、または神社だったりと、要するに両部なのである。

で、ご利益を得るために明治期まではそれぞれの縁日にお賽銭を握ってお参りしていたらしいが、その後は元朝参りは一年間の幸福を願いに行くのだということで元朝の恵方参りに家来神を参拝するようになってきたと言うわけである。
私の祖母は、この家来神をいたく信仰していて、酉年だったから近所の成田不動尊を大事に思ったのか石灯籠まで寄進している。(今も祠の前に立っているが、高価なものだったろうに)
もっとも、今では家来神だろうがケライ神だろうが知っている者はどれだけいるのか。
という訳で、私は今年も元朝参りは「ケライ神めぐりウォーキング」をしようと思っている。


これは、私の家来神である高麗八幡神社。
この社の由来は、
「文禄二年(一五九二)伊達政宗が、豊臣秀吉の命で高麗に出陣するに際し、水沢城主の留守政景もこれに従った。その時、京都の僧智学を伴い、護身のため崇信する近江八幡から分霊を奉持し、任を終えて無事帰国することが出来た。
留守家では、その後ますます崇敬を強め、高麗八幡と尊称し、政景の後継ぎである初代水沢城主宗利が、寛永六年(一六二九)に社祠を建立し、高麗八幡宮と称した。」
とある。
私の子どものころはここでの縁日には夜店が立ち並び、神楽もかかったものですが、今は衰退しております。

DSC00177.jpg


因みに仙台では「けたいがみ」「けでーがみ」というそうである。
各干支の守り本尊と参拝社は次のとおり

子  千手観音( 縁日七日)   元寺小路  観音堂
丑寅 虚空蔵菩薩( 十三日)   向山    虚空蔵堂
卯  文殊菩薩( 二十五日)    茶屋町  文殊堂
辰巳 普賢菩薩( 二十四日)    向山   愛宕神社
午  勢至菩薩(二十三日)    北目町 二十三夜さん
未申 大日如来(八日)      柳町    大日堂
酉  不動明王(二十八日)    三滝―新伝馬町 不動堂(明治四年新伝馬町に移す)
戌亥 阿弥陀如来(十五日 )  八幡町   大崎八幡
〔中略〕阿弥陀は八幡の本地仏なる故同じとされた。
これらの神仏には真言宗・天台宗の寺院か修験が別当をしており、祭礼にはその生年に当る者がよく参詣した。』

以上「宮城県仏教史」より抜粋

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2011.12.29 |

2011.12.16 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

千葉神社に行って参りました。

昨日と本日、仕事の関係で千葉県千葉市に行ってきた。
で、偶然であるが宿泊先のホテルから目と鼻の先に鎮座ましますのが
妙見本宮 千葉神社←オフィシャルサイト
でございます。

何故、二日酔いの頭を抱えながらも朝の6時にお参りしたのはいうまでもなくここが
北辰妙見尊星王を主祭神とする妙見信仰の総本宮であるからである。
妙見信仰の元は仏教の北辰妙見菩薩であり、道教の星辰信仰、また神道においては天之御中主神に習合しているという、非常に複雑な経緯を辿っている信仰であり、特に東国では修験道との関わりも大きいと聞く。

豪壮な門(福徳殿)には、五行の御幣が掲げられ、その下には八方位の守護を象った柱が真ん中に立っている。非常に奇異な眺めだ。

NEC_0497.jpg

門を入って左手方向に進むと妙見池から流れる川に朱塗りの橋がかかり、その向こうには沢山の末社が連なっている。

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拝殿も唐風の朱塗りで、扁額には大きく「妙見」の二文字が。
そして、前幕と賽銭箱には千葉家の紋章である三光紋と十曜紋が。
・・・って、つまりこの十曜紋のことが言いたくてわざわざ千葉神社に来たのが本音かもしれない。
十曜紋とはもともと妙見信仰につながるもので、十曜紋はここの妙見宮のみが使用出来る紋章で、これに連なる分社及び千葉一族の支族は一つ減じた九曜紋を使用するということなようだ。

NEC_0498.jpg

下の画像は、午後6時頃の拝殿での神事の模様です。
この神社の主な祭りは。夏越の大祓から7月7日までの間の七夕祭りと8月16~22日の妙見大祭とがあります。

NEC_0485.jpg

相殿として千葉天満宮が祀られております。
この神社の土地はもともと香取神社があったが、千葉氏がここに妙見社を立てるため経津主神は境内末社に追いやられたということか。
さらに、菅原道真公が祀られるとは。。。賽銭箱の三光紋と梅鉢紋が並びたつところに妙味がある。

NEC_0501.jpg

末筆ながら、わが町の日高神社は言わずと知れた「日高妙見社」であり、宮司は千葉氏である。
鎌倉御家人の千葉氏と同関係があるのかは、今度宮司さんに借りていた本を返しに行く時に聞いて見ることにする。


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2011.12.16 |

2011.10.27 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神社仏閣

南無大聖不動明王

神社仏閣というカテゴリを作ってしまった訳である。が、私は御朱印帳持って神社を回ったり、ナンとか三十三観音巡りをするといった殊勝な心がけは無い。
が、何故か寺社の佇まいといったことに興味が惹かれる時がある。日本人なのである。

で、朝のウォーキング途中にあり、四季折々に眺めてはなかなか風情のある御堂だと感心していたのがここ「お不動さん」である。

NEC_0194.jpg

奉納幡には「南無大聖不動明王」詳しい由来は後で掲載する。(いつもこのパターンだ)
この日(10月25日)前を通りかかると近所の親子らしい方々が奉納幡の準備や御堂まわりの掃除をしていたので聞いてみると、縁日は旧暦の3月28日と9月28日で、近所の方々がお参りにくるとのこと。
特に祭礼はないということだが、御堂の姿が美しいですねとお伝えした。
ここは正に産土神なのである。飾らない真摯な信仰が伝承されている。
で、いろいろと撮ってみた。(ケータイ写真なのでお見苦しいがご勘弁を)

NEC_0116.jpg  NEC_0169.jpg

ところで、このお不動さんから北へ200mほど行くと「岩手県最古の剣舞供養碑」がある辻に出る。
この碑については後日改めて詳述したい。

NEC_0171.jpg

2011.10.27 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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