2017.02.03 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

上平沢権現舞 金ケ崎町の権現舞

さて、本日は節分であります。
冬と春の境目に邪気を祓うために祈祷をする日であります。
恵方海苔巻きは関西地方の習俗なので東北地方の集落には関係のないことですが、最近の商業マチックなプロパガンダによって、日本国民ならなべて恵方をしてきたという誤解が生ぜられています。全き誤解の産物で取り合うべきもないものです。

それはさておき、正月から春彼岸にかけて春祈祷と称して獅子頭を奉じて祈祷をする信仰習俗があります。

全国的なものではありますが、こと東北地方では修験山伏の影響が強かったため、平成の現在までも権現の祈祷行事が残っていますがその形態や斎行時期も種々であります。

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これは、秋の金ケ崎町北方集落の文化祭で出演した際の上平沢権現舞です。

二人立ての獅子舞に、刀を持った獅子祓いが付きます。
これは、羽黒派の獅子舞の系統であることが歴然としていて、囃子方の太鼓笛の奏楽も同様です。

旧伊達藩領内の内でも、胆沢地方は旧南部藩領と境を接しているため、双方の祈祷権現舞がないまぜになっている上に、明治初期の修験廃止以降に形態が崩れて元々が何であったかが判然としないものもあります。

しかしながら、一時期の凋落を憂いた現在の自治会の皆さんが「権現舞をもう一度」という熱意で、このところ復活してきているのが心強いです。

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上平沢権現舞も、5~6年前に一時中断していたのを地域の若者たちで復活しているものです。
現在は、古い住民とサンライズの新しい住民とが同じコミュニティとして活動する中で権現舞に加入するメンバーも加えて継承活動ができるものということです。

ともあれ、磐井・胆沢地方の獅子舞と権現舞はこれからも引き続き解明していかなければならない課題であります。



動画でどうぞ。

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2017.02.03 |

2016.12.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

渋民伊勢神楽 第37回大東町郷土芸能発表会

さて本日は、第37回大東町郷土芸能発表会から大トリで渋民伊勢神楽「お上り、廻り曲、デンコデンコデン 他」です。

渋民伊勢神楽の由来については「大東町の民俗芸能」より

「渋民伊勢神楽は大太鼓を交互にアヤ(両端に房を付けた撥)で叩いて踊る神楽で、これは二見ヶ浦から昇る太陽を太鼓に見立てて、アヤに祈りをこめて叩き遥拝することを意味する踊りである。
渋民伊勢神楽の発祥は記録がないが、約110年くらい前、小山文七郎、熊谷松治郎、の指導によって今日の原型が定着した。
それから菊池仁助、熊谷巻雄(熊谷松治郎長男)を代表とする時代を経過した後中断されていたものを昭和55年菊池昭二(菊池仁助長男)の指導を受けて渋民讃互会が復活させて今日に至っている。」

とあります。現在の保存会代表は佐藤幸一さんです。

隣接する丑石集落では文政八年に伊勢参りから帰った者達が伊勢神楽を持ち込んだという口承があり、その伝播とみることができると考える。



渋民伊勢神楽は一関市大東町渋民に鎮座する渋民八幡神社の秋季例祭に供奉する芸能でもあります。
祭りの様子は拙ブログ参照ください⇒渋民伊勢神楽 @ 一関市大東町  渋民八幡神社例祭

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伊勢神楽は文字通り伊勢の太神楽を模倣して始まったと思いますが、太神楽の方には二本から六本までの綾撥を取り分ける(ジャグリングする)投げ物芸があります。
「日本太神楽事典」によると、曲芸の元祖で天の岩戸を開いた時に喜んで松明を投げ取りしたのが最初であり、そのため(撥の)先を赤く染めて松明の代わりとしていると説明している。
また太神楽では火焔撥の曲という松明を採り物としている芸もあるということです。

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渋民伊勢保存会さんは20~40代を中心に20人くらいいて、祭りの際には幼稚園児から中学生も練習に参加しているそうです。
岩手県南部では、大人と子どもが階層になって芸能を構成するという形態は中々ありません。
そういった意味合いでも、この伊勢神楽は地域を繋ぐ大事な絆となっているようです。

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動画でどうぞ。

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2016.12.17 |

2016.12.11 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

下猿沢伊勢神楽 @ 第37回大東町郷土芸能発表会

さて本日は、第37回大東町郷土芸能発表会から下猿沢伊勢神楽についてです。

下猿沢伊勢神楽さんの由来については、「大東町の民俗芸能」より抜粋

「元文年間(1736~1741)、鳥海村丑石部落に3名の兄弟があり、西国66箇所を巡礼の途上で駿河国に泊まったところ、川止めにて数日を暮らす。その時、同地にて秋祭りのため数名よりて指南しているのを見て、3兄弟はこれぞ故郷への土産にすべしと数曲を習い覚えて帰る。
これが下猿沢に伝わったのが今から140年くらい前、沖田の堀合部落から猿沢の岩の下へ婿養子に来た忠吉という人が、小向、板倉の若者を誘って村祭りに舞ったのが初めといわれている。」



〽 伊勢に行きたや 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも  というとおり、江戸時代には東磐井地方でも伊勢代参が盛んだったようで、この伊勢神楽が沢山伝承されている。

下猿沢の他に、大原(内野、上大原)、興田、渋民、猿沢、奥玉ということです。
他に「大東町の民俗芸能」によれば、丑石、曽慶にもあったようです。

各地の伊勢神楽の伝承によれば、駿河で見て覚えたとありますが、これは神楽というよりも田囃子に近い感じです。
壬生の花田植に代表される田囃子は、西日本に多く分布し、綾撥で太鼓を曲打ちしながら賑やかに囃しながら田植をします。
これにも音頭取り役のササラが付きます。

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伝承している曲目は、お登り、お降り、曲、宇平殿・茂平殿・平作殿、一拍子、岡崎、矢車、打止となっています。

曲という演目は、踊り手が輪になって回りながら太鼓を順繰りに打つ演目である。
踊り手は丸く回りながら手に持った綾撥を高く放り投げて受け取る妙技を披露する。
ここが見せ場であるが、実に華やかな感じがしている。

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そして、この神楽組の特徴といえるのがこの「ささら摺り」である。
道化であり踊り組の先達であると説明しているが、太鼓の囃子にささら摺りとは秋田県鳥海地方のシャギリに付くささら摺りを思わせる。

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動画でどうぞ。


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2016.12.11 |

2016.06.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

八沢木獅子舞 @日本の祭りinあきた2015

さて本日は、日本の祭りinあきた2015から八沢木獅子舞です。
これは、横手市大森町八沢木地区で8月14日に盆の門付けを行っているものだということです。

由来について当日パンフレットより

「はじまりは、江戸時代で300年の歴史があり、由来は保呂羽山、波宇志別神社の祭典の一部という説と300年前伊勢講連中が、伊勢の神楽をヒントに作り出したとの二つの説があります。
現在は八沢木獅子舞といってぃますが音は本木神楽と言われており、踊りは第1部 御幣舞(御幣を持ち舞う)、第2部 剣の舞(剣をもつ)、第3部狂い獅子と3部構成となっています」
ということです。

確かに、獅子舞とは名がついていますが芸態は伊勢の太神楽です。
しかしながら、シコスリという名のひょっとこがササラを擦りながら獅子児の役を担う点では神楽の影響もあるようです。



また、八沢木獅子舞は本木神楽と称して本木(旧大森町)の菊地家と関わりがあるとされ、同家には参宮日記が遺され、伊勢信仰と深い関わりを持っているといわれているという。

本来h、正月とお盆に、この獅子舞とおかめ踊、幸とり舞、万歳も行われていたようですが今は獅子舞のみ演じられている。

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さて、日本の祭りinあきた2015のリポートも以上で終わります。

動画でどうぞ。

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2016.06.06 |

2016.04.29 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

吉田浜獅子舞 門付け風景

さて本日は、先週日曜日に涌谷町の古式獅子舞を見て、その後矢継ぎ早に七ヶ浜町へと直行して、かねてより採訪を目論んでいた吉田浜獅子舞の追っかけをしたリポートです。

この吉田浜獅子舞の詳細は、3年前に仙台市のイベント「伊達な杜舞台」で上演した際の当ブログもご参照ください。
→http://maturinookkake.blog.fc2.com/blog-entry-508.html

吉田浜は宮城県宮城郡七ヶ浜町の塩竃湾に面した半島にあり、塩釜神社の末社である吉田神社がある。

毎年旧暦3月17日の吉田神社の祭礼に吉田浜獅子舞が奉納されるが、その日は神社での奉納と直会だけで終わる。
近年の吉田浜は漁師家庭よりもサラリーマン家庭が増えたため、1日掛けて門付して歩くには土日でなければ不可能となり、吉田神社での祭日後直近の日曜日に行うようになった。

それにしても、門付けにはやはり海を臨む風景がよく似合う。



この日の大筋はこうだ。

朝の6時に吉田神社に集合参拝し、一舞して6時半頃に出発する。
その後、二頭の獅子が二手に分かれて吉田の集落を上(高台)と下(浜)へと繰り出す。

この日は、黒色獅子頭で緑色の幌幕を付けた組を追いました・・・というと、準備万端の採訪になりますが、実態はとりあえず吉田神社に行って宮司に聞けばなんとかなるだろうという行動でしたが、運良く神社下に差し掛かったところで太鼓の音が聞こえてきたので、その方向へと走って行って何とか遭遇した次第です。(これを称して無計画という)

閑話休題

1軒の門付けが終わると、次の家に向かう・・・って、ほとんど隣家です。まさに一軒一軒の門付けです。

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後日、保存会の方と電話で話したインタビューから

吉田浜獅子舞が行われるのは

・1月最終日曜日の春季例祭
・七ヶ浜国際村のお正月イベント
・7月の塩釜港祭り
・地区の夏祭り

なのだそうです。
特に今年の鹽竈神社の夏祭りにはしばらくぶりで招待されているということなので、必見です。


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吉田浜獅子舞は明治の初め頃に大曲浜(東松島市)から伝わったとされる。
獅子舞は大漁祈願、家内安全、悪魔祓いを祈念し、神社を出発して吉田浜地区内を門付して歩く。
吉田浜では先の震災で250戸のうち28世帯が流され、高台移転等が計画されている。
吉田浜獅子舞は、隣村である矢本町に伝承される大曲獅子舞の流れであるという。

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神社付属の春祈祷の獅子舞ではあるが、冒頭に「タンブツ」という田植の予祝唄が歌われるのが陸前浜地方の特徴だ。

ここ吉田浜獅子舞でも、最初に歌かけが「正月の悪魔祓い、一万一千八百人ばかりまかりこしました」とかけてから舞い始める。
これは、春になっての田植の予祝祈祷を表している。

浜なのに田植予祝とは、と思えるが実はここに陸前浜の獅子舞の謎が隠されている。
その解答はいずれ後日記述することといたします。

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場所はここです。



動画でどうぞ。

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2016.04.29 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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