2018.05.02 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

伊勢太神楽 平成30年さくら祭り

さて本日は4月29日に開催されました常龍山天照御祖神社の式年大祭から小白浜地区に伝承される伊勢太神楽です。




東日本大震災後の祭りでは行うことの出来なかった芸能ですが、今回はオカメの復活とともに巡幸できたということです。

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ちなみにこの伊勢太神楽は、唐丹町の小白浜地区に伝承されていて、藩政時代には伊達と南部の境にあったことから、様々な交流と反目があったことでしょう。


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伊勢太神楽は藩政時代には伊勢神宮までの代参が主目的で、そこに至ることのできなかった民衆が金銭を積み立てた上に代表が参拝するというシステムをとっていたもの。

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そこで、代表として参拝したも者が神仏のご利益を伝えるという習わしがあったと。
それが今日に続く祭礼の中に残されています。

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動画でどうぞ。



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2018.05.02 |

2017.12.15 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

中田太神楽 獅子舞、松の舞 @ 江刺民俗芸能フェスティバル2017

さて本日は、江刺民俗芸能フェスティバル2017から、梁川の中田太神楽についてです。

その前に中田太神楽の由来については当日パンフレットより

「明治22年頃に現在の花巻市東和町より伝授されたと伝わり、伊勢信仰代参が当地に及んだことを示す民俗学的にも意義深い芸能です。梁川中田部落に悪疫が流行した時、無病息災を祈願して始めたものと伝えられている。昭和30年代頃までは大人たちで伝承していましたが、40年代後半より後継者育成も考えて小学生を中心に伝承してきました。」

ということです。



いわゆる伊勢の太神楽系統の芸能は、旧南部藩盛岡の七軒町のお駒太夫の一座が広めたものが、さらに広範囲に広まったものです。
本来は、伊勢の払いの御札を配るために獅子舞を携えて廻村した芸能が、正月などの祝の舞として村々の芸達者な人々によって執り行われたのが今日に伝わる太神楽である事象が多く見られます。


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しかし、形式としては獅子が諸厄病魔を退散させ、更には獅子舞の場に居た人々の所願成就をも叶えるという絶対的な利益享受を約したものとなっている。
これこそが信仰の発露であるが、それとともに芸能を楽しむことが太神楽を今日まで続いた所以といえる。

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獅子舞の後は囃し舞でめでたく囃し立てます。

本来は、子どもたちによる囃し舞ですが、この日はご婦人方の優雅な松の舞となりました。

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動画でどうぞ。

2017.12.15 |

2017.10.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

中須賀太神楽 駅前御旅所に舞う @ 小鎚神社例大祭

さて、本日は、大槌町の小鎚神社例大祭から中須賀太神楽です。

って、本題に入る前にブログ主の世迷い言です。

今から30年程前に大槌に4年間住んでいたった。
仕事とはいえ、独身寮みたいなアパートに住んでいたので、毎週土曜日の夜ともなると、同じくアパート住民で集まって酒やツマミを持ち寄っての話しかだり。
そして1次会が終われば、安渡橋を歩いて渡って大町だの須賀町だのの飲み屋に突撃したもんでした。
そんな中で、大槌駅前通りはパラダイスで、平時ははしご酒をする場所、祭りの日には虎舞が舞い込んでくるという賑やかな世界が広がってだず。

震災以降は更地だらけの大槌の「まぢ」だったけんと、今年はようやく「屋敷」のある町になってきたことが、うれしくもまぶしい。




そんな中を、これまた震災以来初めて小鎚神社の神輿が巡幸をして、グルグルと荒ぶる神様を載せてました。

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と、ようやく中須賀太神楽の由来について「大槌町郷土芸能」より

大神楽の権現が製作された年代は正確確には不明ですが、屋号長兵エ屋、菊池長兵エ氏(三代目)の時代、回船間屋を営んでいた頃(推定)1,730年頃に製作され家宝として拝まれておりましたが田中家(八代目|)兵作は大槌代官所の依頼にて奥州盛岡国を代表し豊作祈願として伊勢皇大神宮内宮拝殿において相馬流四本固めの舞を奉納。時に天保14年4月朔日であります。
その後大槌代官所より部落民に時を知らせる太鼓を受け中若組火消鳶連中が主体となって大神楽の組織をつくり江戸時代末期より今日に至っている。
尚、昭和7年、権現二頭を元中須賀の住人、大工棟梁三浦栄太郎氏が製作し現在は三頭権現となっている。」


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四本固め(四方固め)は神前に奉納する舞で、東西南北の四辺に悪魔がいることを想定して、その悪魔を追い出し、最後に剣をもって切り払い、退治することを現している。

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大槌の祭りの芸能につきものの甚句踊り

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動画でどうぞ。


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2017.10.06 |

2017.07.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

中須賀太神楽と吉里吉里太神楽 @ 大槌町郷土芸能祭

さて本日からは、7月9日に行われました大槌町郷土芸能祭の様子についてです。

昨年までは、2月に大槌町の城山体育館を会場に行われていましたが、今回からは諸般の事情で場所をマストの屋上に移しての開催となりました。
少々規模が縮小された感じはありますが、嵩上げ地に立ち始めた民家の建築風景を眺めながらの郷土芸能鑑賞となり、また意義のあるものになりました。

その中から、今日は二つの太神楽について。

一つ目は中須賀太神楽です。

由来については「大槌町郷土芸能」より

大神楽の権現が製作された年代は正確確には不明ですが、屋号長兵エ屋、菊池長兵エ氏(三代目)の時代、回船間屋を営んでいた頃(推定)1,730年頃に製作され家宝として拝まれておりましたが田中家(八代目|)兵作は大槌代官所の依頼にて奥州盛岡国を代表し豊作祈願として伊勢皇大神宮内宮拝殿において相馬流四本固めの舞を奉納。時に天保14年4月朔日であります。
その後大槌代官所より部落民に時を知らせる太鼓を受け中若組火消鳶連中が主体となって大神楽の組織をつくり江戸時代末期より今日に至っている。
尚、昭和7年、権現二頭を元中須賀の住人、大工棟梁三浦栄太郎氏が製作し現在は三頭権現となっている。」



先の大津波で獅子頭を始め、全ての道具、装束、山車が流失し、伝承しているメンバーも町内外の仮設住宅などに転居しているが、祭りと大神楽には集まって活動しているということです。

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四本固め(四方固め)は神前に奉納する舞で、東西南北の四辺に悪魔がいることを想定して、その悪魔を追い出し、最後に剣をもって切り払い、退治することを現している。

何よりも、大槌の祭りの雰囲気を感じさせる芸能です。

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次は吉里吉里の大神楽です。

由来について

「今から約268年位前の江戸時代、江戸や大阪の大商人と対等にわたりあい、膨大な富を築いた豪商前川善兵衛が交易を盛んにやっていた頃で、一方では交易の主役である造船業も活況を呈していた。当時は木挽き、船大工、鍛冶屋が代表的な職業とされており、腕利きの船大工が仕事の合間に彫刻したという説もあり定かではないが、安政2年(1781年)の二代目前川善兵衛江富永氏の三男前川善右衛門氏が、善兵衛の御抱え業者である「鍛冶屋」現三浦義男宅に獅子頭を寄贈したものだと代々口伝えに語られてきました。また踊りの教え主については特定人物は解りませんが、獅子頭の寄贈年代は浪板大神楽の記録とほぼ一致している事から、近隣の交流によって伝授されたものと推察しています。また「鍛冶屋」の家人からの伝い聞きによれば三浦大吉氏の長男三浦駒吉氏(嘉永3年生)が鍛冶屋で保存していた獅子頭を川原地区(現1丁目)に寄贈し、自ら大神楽の普及(踊りも教えながら集団指導)に奔走したとも伝えられ代々それを受け継ぎ、吉里吉里天照御祖神社の丁印として現在に至っている。」

ということです。

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演目の四本固めは四方固めともいい、門付けした家の庭の東西南北四辺の悪魔を祓う祈祷舞である。
江戸時代に武家屋敷に門付けする際は舞い手以外は裃を着たということです。

舞納めは

〽 やっときた お先は舞いて この後は
   当年中の悪魔祓い その後はオカメ様の一生笑い

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続いては余興の本甚句です。


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動画でどうぞ。

■中須賀太神楽



■吉里吉里太神楽

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2017.07.12 |

2017.02.03 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

上平沢権現舞 金ケ崎町の権現舞

さて、本日は節分であります。
冬と春の境目に邪気を祓うために祈祷をする日であります。
恵方海苔巻きは関西地方の習俗なので東北地方の集落には関係のないことですが、最近の商業マチックなプロパガンダによって、日本国民ならなべて恵方をしてきたという誤解が生ぜられています。全き誤解の産物で取り合うべきもないものです。

それはさておき、正月から春彼岸にかけて春祈祷と称して獅子頭を奉じて祈祷をする信仰習俗があります。

全国的なものではありますが、こと東北地方では修験山伏の影響が強かったため、平成の現在までも権現の祈祷行事が残っていますがその形態や斎行時期も種々であります。

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これは、秋の金ケ崎町北方集落の文化祭で出演した際の上平沢権現舞です。

二人立ての獅子舞に、刀を持った獅子祓いが付きます。
これは、羽黒派の獅子舞の系統であることが歴然としていて、囃子方の太鼓笛の奏楽も同様です。

旧伊達藩領内の内でも、胆沢地方は旧南部藩領と境を接しているため、双方の祈祷権現舞がないまぜになっている上に、明治初期の修験廃止以降に形態が崩れて元々が何であったかが判然としないものもあります。

しかしながら、一時期の凋落を憂いた現在の自治会の皆さんが「権現舞をもう一度」という熱意で、このところ復活してきているのが心強いです。

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上平沢権現舞も、5~6年前に一時中断していたのを地域の若者たちで復活しているものです。
現在は、古い住民とサンライズの新しい住民とが同じコミュニティとして活動する中で権現舞に加入するメンバーも加えて継承活動ができるものということです。

ともあれ、磐井・胆沢地方の獅子舞と権現舞はこれからも引き続き解明していかなければならない課題であります。



動画でどうぞ。

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2017.02.03 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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