2023.08.06
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カテゴリ太神楽
さて本日は、2023年8月5日に行なわれたみちのく芸能まつり如意輪寺奉納から黒岩太神楽です。
黒岩太神楽は名称を伊勢流黒岩太神楽とし、北上市指定無形民俗文化財となっています。
南部藩お抱えの七軒丁太神楽の流れをくむ太神楽です。

2019年7月には伝承40周年を記念して黒岩地区センターで地域住民にお披露目会が催されたということです。

南部藩お抱えの七軒丁由来の太神楽は、南部藩内に広く敷衍しましたが、ここ黒岩地区や立花地区が伝播の南限といえます。
(伊達藩領内の梁川にある中田太神楽は明治になっての伝承なので別扱いとしますが)

獅子舞が終わると子どもたちによるめでた舞です。
地元の子供達(旧黒岩小学校)の児童たちに昭和54年(1979)から舞を指導して後継者育成にも力を入れてきたということです。

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2023.08.06 |
2023.07.30
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カテゴリ太神楽
さて本日は、2023年7月23日に行なわれた第5回宮野目地区郷土芸能鑑賞会から細屋太神楽で太神楽です。
細屋太神楽の由来について当日パンフレットより
「細屋太神楽は、田力柳田家の雄獅子権現社及びその元宮(田力細屋に鎮座)の祭礼に奉納するものである。太神楽の最初の言い立ては、〽さ~らば悪魔祓いにさ~しかかり~ 中略 ~やっと来たる~お先に立ったるは~御屋敷の中の悪魔祓い と胴前と掛け合います」ということです。

こちらの獅子頭はたいそう立派で、これで身固めしてもらったら無病息災、身体堅固が叶いそうです。

.細屋太神楽は花巻市北東部の田力地区にあり、田力神楽の権現舞とともに地域の安寧を祈祷する芸能として伝承されているようです。

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2023.07.30 |
2023.07.29
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カテゴリ太神楽
さて本日は、2023年7月23日に行なわれた第5回宮野目地区郷土芸能鑑賞会から東野袋太神楽で大黒舞です。
東野袋太神楽の由来について当日パンフレットより
「明治43年(1910)に現在使用している神楽本が編集され現在に受け継がれ、花巻漫才、御宮舞など各種の漫才や舞があります。家の新築祝や結婚式などに演じられています。毎週木曜日の夜、公民館で練習をしております。」
ということです。

花巻地方では神楽とともに太神楽も集落ごとに伝承され、その由緒起源の伝えでは明治初年から中頃に近隣から習得したとあり、それらの師匠格の太神楽では石鳥谷新堀から六角流の太神楽から伝授されたとある。

太神楽の大黒舞は、獅子舞の余興芸ではあるが、祈祷を目的とする獅子舞の間に娯楽的な漫才や種々の祝舞をなすことによって門打ちの家人を楽しませたり、あるいは太神楽の囃子に集まった人々へのパフォーマンスであった。
大黒舞の他に恵比寿舞、松の舞、才取り舞などがある。

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2023.07.29 |
2023.06.29
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カテゴリ太神楽
さて本日は、2023年6月18日に行なわれた大槌町郷土芸能祭から吉里吉里大神楽です。
由来について
「今から約268年位前の江戸時代、江戸や大阪の大商人と対等にわたりあい、膨大な富を築いた豪商前川善兵衛が交易を盛んにやっていた頃で、一方では交易の主役である造船業も活況を呈していた。当時は木挽き、船大工、鍛冶屋が代表的な職業とされており、腕利きの船大工が仕事の合間に彫刻したという説もあり定かではないが、安政2年(1781年)の二代目前川善兵衛江富永氏の三男前川善右衛門氏が、善兵衛の御抱え業者である「鍛冶屋」現三浦義男宅に獅子頭を寄贈したものだと代々口伝えに語られてきました。また踊りの教え主については特定人物は解りませんが、獅子頭の寄贈年代は浪板大神楽の記録とほぼ一致している事から、近隣の交流によって伝授されたものと推察しています。また「鍛冶屋」の家人からの伝い聞きによれば三浦大吉氏の長男三浦駒吉氏(嘉永3年生)が鍛冶屋で保存していた獅子頭を川原地区(現1丁目)に寄贈し、自ら大神楽の普及(踊りも教えながら集団指導)に奔走したとも伝えられ代々それを受け継ぎ、吉里吉里天照御祖神社の丁印として現在に至っている。」
ということです。

演目の四本固めは四方固めともいい、門付けした家の庭の東西南北四辺の悪魔を祓う祈祷舞である。
江戸時代に武家屋敷に門付けする際は舞い手以外は裃を着たということです。

祝い唄
〽 祝いの世を押し開く いざや神楽も舞い遊ぶ トウトウトウ

続いては余興の本甚句 最初はこどもたち

そして大人組 層が厚いなぁ

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2023.06.29 |
2023.06.26
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カテゴリ太神楽
さて本日は、2023年6月18日に行なわれた大槌町郷土芸能祭から中須賀大神楽です。
中須賀太神楽の由来について「大槌町郷土芸能」より
「大神楽の権現が製作された年代は正確には不明ですが、屋号長兵エ屋、菊池長兵エ氏(三代目)の時代、廻船間屋を営んでいた頃(推定)1,730年頃に製作され家宝として拝まれておりましたが田中家(八代目)兵作は大槌代官所の依頼にて奥州盛岡国を代表し豊作祈願として伊勢皇大神宮内宮拝殿において相馬流四本固めの舞を奉納。時に天保14年4月朔日であります。
その後大槌代官所より部落民に時を知らせる太鼓を受け中若組火消鳶連中が主体となって大神楽の組織をつくり江戸時代末期より今日に至っている。
尚、昭和7年、権現二頭を元中須賀の住人、大工棟梁三浦栄太郎氏が製作し現在は三頭権現となっている。」
ということです。

また「ある時、船が嵐に遭いかすかな笛の音を感じ、それを頼りに無事寄港したことや、戦時中に戦場で権現が夢枕に立ってその日の難をのがれたこと等の霊感を受けた人たちもおり、部落民に神的に崇拝されているもので、現在でも祭典が終了すると巫女によって権現の神霊を降ろし、部落の変わり事や災難などを聞くことを続けている」ということです。
今でも大槌には巫覡がいるのだろうか。

太神楽の芸態について、四本固め(四方固め)は神前に奉納する舞で、東西南北の四辺に悪魔がいることを想定して、その悪魔を追い出し、最後に剣をもって切り払い、退治することを現している。

続いては余興の甚句で舞納めます。

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テーマ:伝統芸能 - ジャンル:学問・文化・芸術
2023.06.26 |
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