2017.10.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

中須賀太神楽 駅前御旅所に舞う @ 小鎚神社例大祭

さて、本日は、大槌町の小鎚神社例大祭から中須賀太神楽です。

って、本題に入る前にブログ主の世迷い言です。

今から30年程前に大槌に4年間住んでいたった。
仕事とはいえ、独身寮みたいなアパートに住んでいたので、毎週土曜日の夜ともなると、同じくアパート住民で集まって酒やツマミを持ち寄っての話しかだり。
そして1次会が終われば、安渡橋を歩いて渡って大町だの須賀町だのの飲み屋に突撃したもんでした。
そんな中で、大槌駅前通りはパラダイスで、平時ははしご酒をする場所、祭りの日には虎舞が舞い込んでくるという賑やかな世界が広がってだず。

震災以降は更地だらけの大槌の「まぢ」だったけんと、今年はようやく「屋敷」のある町になってきたことが、うれしくもまぶしい。




そんな中を、これまた震災以来初めて小鎚神社の神輿が巡幸をして、グルグルと荒ぶる神様を載せてました。

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と、ようやく中須賀太神楽の由来について「大槌町郷土芸能」より

大神楽の権現が製作された年代は正確確には不明ですが、屋号長兵エ屋、菊池長兵エ氏(三代目)の時代、回船間屋を営んでいた頃(推定)1,730年頃に製作され家宝として拝まれておりましたが田中家(八代目|)兵作は大槌代官所の依頼にて奥州盛岡国を代表し豊作祈願として伊勢皇大神宮内宮拝殿において相馬流四本固めの舞を奉納。時に天保14年4月朔日であります。
その後大槌代官所より部落民に時を知らせる太鼓を受け中若組火消鳶連中が主体となって大神楽の組織をつくり江戸時代末期より今日に至っている。
尚、昭和7年、権現二頭を元中須賀の住人、大工棟梁三浦栄太郎氏が製作し現在は三頭権現となっている。」


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四本固め(四方固め)は神前に奉納する舞で、東西南北の四辺に悪魔がいることを想定して、その悪魔を追い出し、最後に剣をもって切り払い、退治することを現している。

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大槌の祭りの芸能につきものの甚句踊り

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動画でどうぞ。


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2017.10.06 |

2017.07.12 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

中須賀太神楽と吉里吉里太神楽 @ 大槌町郷土芸能祭

さて本日からは、7月9日に行われました大槌町郷土芸能祭の様子についてです。

昨年までは、2月に大槌町の城山体育館を会場に行われていましたが、今回からは諸般の事情で場所をマストの屋上に移しての開催となりました。
少々規模が縮小された感じはありますが、嵩上げ地に立ち始めた民家の建築風景を眺めながらの郷土芸能鑑賞となり、また意義のあるものになりました。

その中から、今日は二つの太神楽について。

一つ目は中須賀太神楽です。

由来については「大槌町郷土芸能」より

大神楽の権現が製作された年代は正確確には不明ですが、屋号長兵エ屋、菊池長兵エ氏(三代目)の時代、回船間屋を営んでいた頃(推定)1,730年頃に製作され家宝として拝まれておりましたが田中家(八代目|)兵作は大槌代官所の依頼にて奥州盛岡国を代表し豊作祈願として伊勢皇大神宮内宮拝殿において相馬流四本固めの舞を奉納。時に天保14年4月朔日であります。
その後大槌代官所より部落民に時を知らせる太鼓を受け中若組火消鳶連中が主体となって大神楽の組織をつくり江戸時代末期より今日に至っている。
尚、昭和7年、権現二頭を元中須賀の住人、大工棟梁三浦栄太郎氏が製作し現在は三頭権現となっている。」



先の大津波で獅子頭を始め、全ての道具、装束、山車が流失し、伝承しているメンバーも町内外の仮設住宅などに転居しているが、祭りと大神楽には集まって活動しているということです。

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四本固め(四方固め)は神前に奉納する舞で、東西南北の四辺に悪魔がいることを想定して、その悪魔を追い出し、最後に剣をもって切り払い、退治することを現している。

何よりも、大槌の祭りの雰囲気を感じさせる芸能です。

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次は吉里吉里の大神楽です。

由来について

「今から約268年位前の江戸時代、江戸や大阪の大商人と対等にわたりあい、膨大な富を築いた豪商前川善兵衛が交易を盛んにやっていた頃で、一方では交易の主役である造船業も活況を呈していた。当時は木挽き、船大工、鍛冶屋が代表的な職業とされており、腕利きの船大工が仕事の合間に彫刻したという説もあり定かではないが、安政2年(1781年)の二代目前川善兵衛江富永氏の三男前川善右衛門氏が、善兵衛の御抱え業者である「鍛冶屋」現三浦義男宅に獅子頭を寄贈したものだと代々口伝えに語られてきました。また踊りの教え主については特定人物は解りませんが、獅子頭の寄贈年代は浪板大神楽の記録とほぼ一致している事から、近隣の交流によって伝授されたものと推察しています。また「鍛冶屋」の家人からの伝い聞きによれば三浦大吉氏の長男三浦駒吉氏(嘉永3年生)が鍛冶屋で保存していた獅子頭を川原地区(現1丁目)に寄贈し、自ら大神楽の普及(踊りも教えながら集団指導)に奔走したとも伝えられ代々それを受け継ぎ、吉里吉里天照御祖神社の丁印として現在に至っている。」

ということです。

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演目の四本固めは四方固めともいい、門付けした家の庭の東西南北四辺の悪魔を祓う祈祷舞である。
江戸時代に武家屋敷に門付けする際は舞い手以外は裃を着たということです。

舞納めは

〽 やっときた お先は舞いて この後は
   当年中の悪魔祓い その後はオカメ様の一生笑い

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続いては余興の本甚句です。


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動画でどうぞ。

■中須賀太神楽



■吉里吉里太神楽

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2017.07.12 |

2017.02.03 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

上平沢権現舞 金ケ崎町の権現舞

さて、本日は節分であります。
冬と春の境目に邪気を祓うために祈祷をする日であります。
恵方海苔巻きは関西地方の習俗なので東北地方の集落には関係のないことですが、最近の商業マチックなプロパガンダによって、日本国民ならなべて恵方をしてきたという誤解が生ぜられています。全き誤解の産物で取り合うべきもないものです。

それはさておき、正月から春彼岸にかけて春祈祷と称して獅子頭を奉じて祈祷をする信仰習俗があります。

全国的なものではありますが、こと東北地方では修験山伏の影響が強かったため、平成の現在までも権現の祈祷行事が残っていますがその形態や斎行時期も種々であります。

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これは、秋の金ケ崎町北方集落の文化祭で出演した際の上平沢権現舞です。

二人立ての獅子舞に、刀を持った獅子祓いが付きます。
これは、羽黒派の獅子舞の系統であることが歴然としていて、囃子方の太鼓笛の奏楽も同様です。

旧伊達藩領内の内でも、胆沢地方は旧南部藩領と境を接しているため、双方の祈祷権現舞がないまぜになっている上に、明治初期の修験廃止以降に形態が崩れて元々が何であったかが判然としないものもあります。

しかしながら、一時期の凋落を憂いた現在の自治会の皆さんが「権現舞をもう一度」という熱意で、このところ復活してきているのが心強いです。

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上平沢権現舞も、5~6年前に一時中断していたのを地域の若者たちで復活しているものです。
現在は、古い住民とサンライズの新しい住民とが同じコミュニティとして活動する中で権現舞に加入するメンバーも加えて継承活動ができるものということです。

ともあれ、磐井・胆沢地方の獅子舞と権現舞はこれからも引き続き解明していかなければならない課題であります。



動画でどうぞ。

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2017.02.03 |

2016.12.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

渋民伊勢神楽 第37回大東町郷土芸能発表会

さて本日は、第37回大東町郷土芸能発表会から大トリで渋民伊勢神楽「お上り、廻り曲、デンコデンコデン 他」です。

渋民伊勢神楽の由来については「大東町の民俗芸能」より

「渋民伊勢神楽は大太鼓を交互にアヤ(両端に房を付けた撥)で叩いて踊る神楽で、これは二見ヶ浦から昇る太陽を太鼓に見立てて、アヤに祈りをこめて叩き遥拝することを意味する踊りである。
渋民伊勢神楽の発祥は記録がないが、約110年くらい前、小山文七郎、熊谷松治郎、の指導によって今日の原型が定着した。
それから菊池仁助、熊谷巻雄(熊谷松治郎長男)を代表とする時代を経過した後中断されていたものを昭和55年菊池昭二(菊池仁助長男)の指導を受けて渋民讃互会が復活させて今日に至っている。」

とあります。現在の保存会代表は佐藤幸一さんです。

隣接する丑石集落では文政八年に伊勢参りから帰った者達が伊勢神楽を持ち込んだという口承があり、その伝播とみることができると考える。



渋民伊勢神楽は一関市大東町渋民に鎮座する渋民八幡神社の秋季例祭に供奉する芸能でもあります。
祭りの様子は拙ブログ参照ください⇒渋民伊勢神楽 @ 一関市大東町  渋民八幡神社例祭

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伊勢神楽は文字通り伊勢の太神楽を模倣して始まったと思いますが、太神楽の方には二本から六本までの綾撥を取り分ける(ジャグリングする)投げ物芸があります。
「日本太神楽事典」によると、曲芸の元祖で天の岩戸を開いた時に喜んで松明を投げ取りしたのが最初であり、そのため(撥の)先を赤く染めて松明の代わりとしていると説明している。
また太神楽では火焔撥の曲という松明を採り物としている芸もあるということです。

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渋民伊勢保存会さんは20~40代を中心に20人くらいいて、祭りの際には幼稚園児から中学生も練習に参加しているそうです。
岩手県南部では、大人と子どもが階層になって芸能を構成するという形態は中々ありません。
そういった意味合いでも、この伊勢神楽は地域を繋ぐ大事な絆となっているようです。

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動画でどうぞ。

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2016.12.17 |

2016.12.11 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ太神楽

下猿沢伊勢神楽 @ 第37回大東町郷土芸能発表会

さて本日は、第37回大東町郷土芸能発表会から下猿沢伊勢神楽についてです。

下猿沢伊勢神楽さんの由来については、「大東町の民俗芸能」より抜粋

「元文年間(1736~1741)、鳥海村丑石部落に3名の兄弟があり、西国66箇所を巡礼の途上で駿河国に泊まったところ、川止めにて数日を暮らす。その時、同地にて秋祭りのため数名よりて指南しているのを見て、3兄弟はこれぞ故郷への土産にすべしと数曲を習い覚えて帰る。
これが下猿沢に伝わったのが今から140年くらい前、沖田の堀合部落から猿沢の岩の下へ婿養子に来た忠吉という人が、小向、板倉の若者を誘って村祭りに舞ったのが初めといわれている。」



〽 伊勢に行きたや 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも  というとおり、江戸時代には東磐井地方でも伊勢代参が盛んだったようで、この伊勢神楽が沢山伝承されている。

下猿沢の他に、大原(内野、上大原)、興田、渋民、猿沢、奥玉ということです。
他に「大東町の民俗芸能」によれば、丑石、曽慶にもあったようです。

各地の伊勢神楽の伝承によれば、駿河で見て覚えたとありますが、これは神楽というよりも田囃子に近い感じです。
壬生の花田植に代表される田囃子は、西日本に多く分布し、綾撥で太鼓を曲打ちしながら賑やかに囃しながら田植をします。
これにも音頭取り役のササラが付きます。

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伝承している曲目は、お登り、お降り、曲、宇平殿・茂平殿・平作殿、一拍子、岡崎、矢車、打止となっています。

曲という演目は、踊り手が輪になって回りながら太鼓を順繰りに打つ演目である。
踊り手は丸く回りながら手に持った綾撥を高く放り投げて受け取る妙技を披露する。
ここが見せ場であるが、実に華やかな感じがしている。

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そして、この神楽組の特徴といえるのがこの「ささら摺り」である。
道化であり踊り組の先達であると説明しているが、太鼓の囃子にささら摺りとは秋田県鳥海地方のシャギリに付くささら摺りを思わせる。

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動画でどうぞ。


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2016.12.11 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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