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2023.03.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

舞川善楽流獅子舞「親子獅子舞」@2023第35回一関民俗芸能祭

さて本日は、2023年3月12日に行なわれた第35回一関民俗芸能祭から舞川善楽流獅子舞で親子獅子舞です。

善楽流獅子舞の由来について

「この獅子舞のはじまりは、舞川字不動塚にあった不動院に伝わったもので、その時代は江戸時代初期の寛永年間である。
安永四年の風土記書上によれば、この不動院は中興となったおりこの時代は十一代となっている。
紀州の熊野修験、出羽の羽黒修験等によって開院されている。
後数代を経て同村字河岸に遷座熊野権現と号す。別当は一明院が主流をなしている。
この熊野権現も大正三年十二月十七日に村社舞草神社に合祀された。
建物は同社の奥院として現存している。
これ等一連の流れの中で当然のことながら獅子舞もその行動範囲は広くなっていきました。
以来昭和四十年頃まで旧暦の二月一日に舞草地区全域をまわり諸悪根源を門毎に祈祷してきた。」

ということです。現在の保存会代表は熊谷秀雄さんです。

スクリーンショット 2023-03-20 194856

善楽流獅子舞の演目は、隆盛時には12種類あったが神社の火災とともに焼失して、現在は口伝で継承している8種類ということです。

・腕(かいな)差し ・お脇払い ・三の足 ・六の足 ・錫杖御神楽 ・扇御神楽 ・柱隠し ・世の波

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この親子獅子という演目は、つい最近復演されたものです。
親子獅子は宮城県では塩釜神楽等の十二座神楽にしかなく、岩手県内では皆無(個人的知見ですが)と思われます。
3年前の3月に獅子舞巡行を採訪に言った際に会長さんが演目復活を目指しているとのことでしたが、実現できたようです。

6年前の獅子舞巡行の様子は、過去ブログを参照ください。⇒一関市舞川の善楽流獅子舞巡行記 前編

スクリーンショット 2023-03-20 195139

動画でどうぞ


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2023.03.20 |

2023.02.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

登米地方のおいとこ踊・甚句@2023第16回登米市民俗芸能大会

さて本日は、2023年2月12日に行なわれた第16回登米市民俗芸能大会から手踊りの芸能をまとめました。
巻おいとこ踊、森邑おいとこ踊そして嵯峨立甚句です。

おいとこ踊りは千葉県下総地方が発祥地と言われ、江戸時代に伊達藩から印旛沼の干拓工事に稼ぎに行った農民が見て覚え、故郷に帰って広めたもののようです。今では宮城、岩手、山形、秋田に伝承され踊り継がれている。

一説によると、器量よしで評判の白桝村の粉屋の娘、お小夜に一目惚れした若い僧侶が修行の後に粉屋に寄ってみると娘は亡くなっていたもので、これを憐れみ追慕した歌を作って供養としたという。それが広まり、踊りもつけられて盆の踊りなどになったという。下総地方では白枡粉屋おどりとして親しまれ、千葉県指定無形民俗文化財となっている。

ということで、巻おいとこ踊については次のとおり

「江戸時代末期に中田町浅水長谷山に伝えられた踊りの一つで、明治10年頃に長谷山から巻へ婿養子に入った佐々木吉兵衛が伝えたもので、その後、大正時代に長谷山 から千葉寛蔵を師匠に招き「おいとこ」「願人」 「甚句」などを習い覚え、祝宴の席などに演じてきた。 戦前まで盛んに演じられたこの踊りも、戦後の高度経済成長による社会情勢の急激な変化に伴い、次第に忘れ去られてしまった。 平成の世となり「おいとこ踊」を復活させようという気運がたかまり、 平成2年(1990) に地元有志が集まり女性を中心に練習を積み 「巻おいとこ踊」として復活した。平成4年(1992)には保存会も設立され、 「浅水コミュニティまつり」 や 「なかだの秋まつり」などに出演し現在に至っている。」



次に森邑おいとこ踊について

「森邑おいとこ踊は、明治初め、迫町森南平の「飯塚志を」という女性が絶妙な振りを付け、これに唄上手の佐藤兵之助が加わり座敷踊りとして定着。 この踊りは、地元の青年たちに伝えられ、次第に近隣に広まり、現在、結婚披露や祝いごとの席には欠かせない座興として演じられている。
平成3年(1991) には子どもたちを生かした地域づくりと活性化を目的に「おいとこ踊り宮城県大会」を 森上行寺境内で開催、 平成4年(1992) から 「伊達なおいとこ踊り宮城大会」に名称変更し、第3回大会か らは森公民館に会場を移し11月上旬~中旬に開催、保存会を中心に運営している。この大会には市内はもとより栗原市や岩手県一関市などからの出場がある。 平成4年3月、 「おいとこ踊り」 発祥地とされる千葉県山武郡芝山町を訪問、ルーツ探しの調査を兼ね「白桝粉屋踊り保存会」 との交流を果たした。」

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最後に嵯峨立甚句について

「甚句は、五百年前から農作業唄として地域の人々に親しまれてきたもので、古く元唄としたものと言われ、二百年前の文化年間(1804~1818)には、現在の「嵯峨立甚句」としてその定着を見ている。 素朴な中にも哀調を秘めた歌詞と曲調をもつ甚句唄は、民謡研究家の等しく認めるところであり、唄に連れて踊られる優雅な振りは、一番から五番まで異なっているところから大変珍しい踊りとされる。 昭和54年(1979)、全国民踊連盟指導種目に選ばれている。 「嵯峨立甚句」 は、 民放各社のテレビ出演は もとより、全国各地で開催される大会に出場するなど、 宮城県内の民舞としては、 栗原市栗駒の「文字甚句」 と並び称されている。」というものです。

伝承歌詞は次のとおり

一番 唄いなされや 声張りあげて 唄は仕事のホンにはずみもの

二番 お度に聞こえし嵯峨立薪は 広い世間でホンに飯となる

三番 花の三月 十九日の祭り 錦飾りて ホンに駒勇む

四番 嵯峨立娘は 愛嬌もよいが 山に住むせいか ホンに声もよい

五番 たとえ細くも 煙をたてて 同じかまどでホンに暮らしたい」

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2023.02.21 |

2023.02.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

小島願人踊@2023第16回登米市民俗芸能大会

さて本日は、2023年2月12日に行なわれた第16回登米市民俗芸能大会から小島願人踊です。

小島願人踊の由来については、「登米市伝統・伝承芸能記録保存」誌より引用します。

「江戸時代の中頃、願人坊と呼ばれる半僧半俗の遊行僧たちが、伊勢神宮参詣の代参をしながら諸国を巡り歩いたとき、伊勢音頭や住吉踊りを主体とした唄や踊りを演じていたのが「願人踊」と言われています。
江戸時代末期、小島地区に滞在した願人坊たちから習い覚えた芸能の一つで、五穀豊穣を祈る踊りとして演じられてきましたが、時を経るにつけ次第に信仰心から離れ、座敷芸へと変遷し、現在は酒席の余興芸として「甚句」や「おいとこ」などとともに踊り継がれてきました。」
ということです。



願人踊はもともと放浪の門付け芸ではあったが、時が経るにつれて様々な芸能がや語り物(早物語)が積み重なっている感じがする。
更には、この芸能はもともと門付けでやっていたものが、幕末明治に至って座敷芸(宴席芸)に変遷し、華やかで洒脱な音曲歌詞を伴うようになった姿が見える。

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歌詞の6番目の「伊勢はな」と7番目の「道者願人」との間に「ちょぼくれ」が入る。

ちょぼくれ(節)とは、関西ではチョンガレと呼ばれている。
チョンガレ節は一般に浪花節の前身とみられて、説教祭文から変化してきたと解されたが、特徴は節(フシ)が早口で軽快になり、冗談を交じえて人を笑わせ、独特の台本もできた。ときに浄瑠璃の一部を口説きにしたものが語られ、台本は古いもので、節だけチョンガレのものもあった。
チョボクレ チョボクレ、チョンガレ チョンガレのはやし言葉も入るが、その発声法は「へばり声」と言われて、祭文も、チョンガレも、浪花節も同じとされている。また浪花節の節廻しは義太夫、祭文、歌舞伎の声色にも取り入れられ、近畿地方の盆踊り「江州音頭」にも取り入れられた。

そして小島願人でのちょぼくれでは阿呆陀羅経が唄われる。
阿呆陀羅経とは 願人坊主が時事風刺や言葉遊びなどを早口に節を付けて口上する俗謡であり、「阿弥陀経」をもじった経文まがいの文句を小さな二つの木魚をたたいて拍子を取りながらうたって、銭を乞い歩いたというものである。
後に早物語などに変化し、田植え踊り等の中入り口上にも使われるようになる。

小島願人では木魚の代わりに両手に四ツ竹を持って踊りながら阿呆陀羅経を叫ぶ。
(以下に文句を掲載するが、動画からの書き起こしなので間違いがありましたらご指摘願います)

エー恐れながら、勿体ながら、そろそろ繰り出すお経の文句。
何は何と申したならば、
今の世の中、四方逆様で石が流れて木の葉が沈む。
嫁が姑で姑が嫁だ くるりしぶくれて背中にデベソ
ハェー ワンつぐ 吠えつぐ 喰らいつぐ
喰らいつきなら傷がつぐ 傷が付いたら痛みつぐ
痛みついだら医者がつぐ 医者がついだら薬つぐ
薬ついだら治りつぐ 治りついだら跡がつぐ

エーおよそ世の中 赤いものだらけ
****国の花 ****平家の赤い花
あの蔵の看板 女郎屋の看板 これも赤い
赤いものだらけはまだまだある
猿のけっつに 牡丹の花 これも赤い

尚、囃子方の合いの手は「スチャラカポコポコ」であり、これもチョンガレの系譜を感じさせる。

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小島願人踊 歌詞

1番 願人はじまり
オイ ハア願人はじまり(ソオダンヨオ ツガアイナ)
キテ ササーヤァートーコー セエーエー ョォィヨー ナァー
(ハア アリャリャンノ)キテ 平レハノ ナアー アッササー
ヤハン サンノオ セエーエー(太鼓)(ハァ マダマダ)

2番 目出度な
目出度なァー 目出度のー若殿様がな― (ハア ョイコイ)
御巡業なアー 益― 々 ハア やんで御目出さ―
キテササー ヤアートーコー セエーエー ョォィーヨ ナアー
(ハア アリャリャノ)キテ コレワノ ナアー ア ササー
ヤハレ サンノオー セエィエー(ハア マダマダ)

3番 奴さん
奴さんよ― どちら行く(ハア お旦那お迎えに)
さ―ても 寒いのに わしぃ一人
ハァ 雪の降る夜も 厭わずに(お供はつらいね)
いつも 裾のほうが寒ざらし
アリャハン キテション コリャハン トコトン
何としょうぞうえなぁ― (ハア マダマダ)

4番 姉さん
姉さんよー 本懐な(ハアヨイヨイ)
きぬぎぬのー 言葉モ 交わらさんの 明日の夜に
裏の窓から わし一人― (合図はよおすか ハア ヨイヨイ)
首尾をよくして― 会いに来るぞえ―なあ―
アリャハン キテション コリャハン トコトン
実に 本懐なァー(ハア マダマダ)

5番 お客さん
お客さんよ― どちら行く(お女郎買いに参じます)
さあても― 綺麗な―身の回し― ぁ―だな 深川の 送り船
(いづくなりとも 行かしゃんせ)
桟橋― 苦もなく― 昇るじゃないか―ぃな
アリャハン キテション コリャハン トコトン
こけな 女郎買いなァ(ハァ マダマダ)

6番 伊勢はな
伊勢は―なァ 津で持つ 津はい_せぇ_で持つな(ハァ ヨイヨイ)
尾張― ナーァー 名古屋は ハァ ャンデ城で持つ
キテ ササー ャァ_卜_コー セェ_ェー ョォィーョ ナァー
(ハア アリャリャンノ)
キテ コレヮノ ナァー ァッササー ャハレ サンノオ セェーェ_
7‐ 5・5・7(スチャラカ ポコ ポコ)

7番 道者願人(オィ ピーで声)
ハア 道者さんはじまり(ソォダンヨオ ツガアイナ)
伊勢のなァー道者さん はばかりながらも 泊まらんせ―
二階もどんどん 開いている―
畳の表も良いそぅだぁ 続いてぁんどん 張り替えて―
お茶も―なぁ― 新茶で― 旅籠銭もヤスゥィナ ソリャ
お泊りい ャート_コー セェ_ ョォ_ィョー ナァー
(ハア アリャリャンノ)キテ コレワノー ナァー
アツ ササー ャハレ サンノオー セィェー

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2023.02.20 |

2023.02.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

増沢寿舞@2022江刺民俗芸能フェスティバル2022

さて本日は、2022年11月27日に行なわれた江刺民俗芸能フェスティバル2022から増沢寿舞です。

奥州市江刺区増沢では、神楽や鹿踊等の伝承を増沢郷土芸能保存会として継承活動しているのが特色です。
なので、増沢地区の人達がそれぞれ別の芸能に複数関わっていきながら伝承が途絶えないようにとの工夫なのだと理解できます。
その取組に敬服します。



寿舞は同じ江刺区の広瀬の一二三之関太神楽の大黒舞が増沢に伝わり、広瀬から婿入した菊池栄により大黒舞を習得したことに始まるという。

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戦争によって一時中断したが、増沢の宝として昭和41年からは増沢郷土芸能保存会として活動を継続しているとのことです。

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2023.02.07 |

2022.12.31 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ諸芸

雁舞道七福神@2022大槌産業まつり

さて本日は、2022年10月16日に行なわれた大槌産業まつりから雁舞道七福神です。

雁舞道七福神の由来は「大槌町の郷土芸能」より

『アーなに舞か出そうだ。なに舞か出そうだ。なに舞、かに舞と囃しやれもうすもおしようす―』の唄い文句で始まる七福神舞は、明治の頃、大船渡市で踊り伝えられていたものを、大正の初め同市の師匠二人によつて気仙郡三陸町の佐々本長左衛門氏(当時8歳)宅を宿にして踊られていた。
この踊りはめでたい座敷踊りとして旧の小正月に、浜は大漁、陸は満作、そして家内安全を祈願して一戸一戸を門付けをして歩いた。
昭和14年、仕事の都合で釜石市に移り住んだ佐々木長左衛門氏は、東前青年会の依頼で子供たちに教えたのが東前七福神の始まりと言われている。
私ども雁舞道の七福神は、昭和28年当地区の青年連中のたっての希望により、発起人佐藤清太郎氏、小国仁右衛門氏、田代金三郎氏、野田得三氏(共に故人)の働きかけで同年9月に釜石市東前の師匠畠山隆男氏を招いて指導されたのが始まりで、踊りは座敷踊りであつたものを、テンポの速い囃子にアレンジし、雁舞道七福神として毎年9月の大槌稲荷神社や小鎚神社の例大祭、又結婚式等で男子小学生を主体として踊り継がれている。



子どもたちによる祝福芸として出発したであろうこの七福神も、一時期衰退したこともあった。
子どもたちを巡る環境も昔と変わりスポ少や部活などで踊り手がままならなくなったが、絶やしてはならないと尽力した方がいて、今日まで継承されてきた。

雁舞道は地名で、大槌町町方方面から来ると安渡地区の最初に通る地区です。
地名の由来は、かつて安渡にいたころに聞いた話では、昔は安渡地区は大槌湾に注ぎ込む大槌川の湿地帯が広がり、そこに野鳥が沢山生息していた。そこで雁が舞い飛んで遊ぶ地だったことから命名されたという。

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大黒様から

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蛭子三郎 めでたくも鯛を釣る

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福禄寿は福禄と寿命の神様

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七つで何事ないように で、毘沙門天

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蓬莱様と寿老人 個人的には七福神の中で一番好きですね

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弁財天は芸能と福徳除災を祈る神様

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門付けの際には、最後に大黒様が当屋の旦那様打ち出の小槌を授けて舞い収めます。

〽 これ程の宝を 誰さ譲るべ~ 
   この屋の旦那様にも万々棟も譲るべ 柳のようにこれ永く 扇子のように末広く 
   
 なに舞とも申するも かに舞とも申するも 七福神はこればかり

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最後になりましたが、今年も好き勝手なことを並べ立てた一年でした。
来年も郷土の祭り、東北の民俗芸能を盛り上げるため東奔西走いたしますので、よろしくお願い申し上げますと共に、皆々様にとっても佳き年が舞い込むよう祈念申し上げて大晦日の挨拶と致します。
来年は卯年、勢いよく跳ね上がる年廻りとか。悪疫退散そして祭や民俗芸能の飛躍を祈願したいものです。


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2022.12.31 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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