2017.05.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

鶯沢神楽 弁慶安宅の関@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽からトリを務めました鶯沢神楽さんの弁慶安宅の関です。

その前達に鶯沢神楽さんの由来について

「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創股した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者盤成識習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」

ということなそうです。現在の代表者は高橋長人さんです。



演目は、源義経が武蔵坊弁慶らとともに奥州藤原氏の本拠地平泉を目指して通りかかり弁慶が偽りの勧進帳を読み義経だと見破りはしたものの関守・富樫左右衛門泰家が武士の情けで通したという場面です

義経さんです。

義経公が弁慶ともども都落ちする場面です。
「しかるに兄頼朝殿は 誰の讒言か知らねども、今はこの判官をなきものにせんと 
 これが血を分けし兄弟か ああ口惜しや 無念なり 涙が先んじ 情けなや」

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弁慶さんです

〽 しからば御前様の命に従いて、平泉までお供申さんやのう

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義経一行が山伏姿に身をやつして密かに北陸路を抜けて奥州へと行く道すがら、安宅の関にさしかかります。
関守の富樫左衛門泰家の検分を受けます。

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関守に義経主従と怪しまれ、疑いを晴らすため、弁慶が東大寺建立の勧進帳を空読みします。

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富樫の家来が、剛力姿をしたもの判官殿によく似たりと進言したため富樫は義経の顔改めをします。
これに危機を覚えた弁慶が、涙を呑んで義経を未熟者めと強打します。

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数々の疑問はあるものの、山伏一行を義経主従と見破った富樫左衛門尉ですが、武士の情けで通すことに気めます。
山伏先達を武蔵坊弁慶と見破りながらも大法師と呼びかける心遣いに神楽の観衆も惜しみない拍手を送ります。

「彼も武士なら我も武士。ここで、判官殿に縄をかけるのは容易けれど、ここが武士の情けのかけどころ」

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からくも関所を抜けた義経主従ですが、弁慶が主人に手を上げたことを詫びて切腹しようとします。
義経それを押しとどめ涙ながらに諭します。

〽 屋島の戦に継信が、吉野の山では忠信が いずれも我の身代わりに死せり  この判官 汝に命を託すなり

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演目が終わったところで、最後の〆として、胴取の阿部先生が撥車を披露してくれました。

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動画でどうぞ。

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2017.05.21 |

2017.05.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

富沢神楽 那須与一扇の的@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から富沢神楽さんの那須与一扇の的です。

その前に富沢神楽さんの由来については定本から

「明治二○年頃、蕎麦沢の佐藤林之丞が庭元となり、西磐井郡金沢村飯倉神楽の小野寺忠七師匠(飯倉から真滝小林に婿養子に来た人)を招き、部落の若者達に神楽の指導を行ない富沢神楽を創設した。
明治時代、初期の人達が二期、三期と舞人の養成を図ったが大正初期に絶えた。
昭和三年、佐藤民治が発起人となり佐藤甚之助が庭元となり、飯倉神楽より高橋衛師匠を招き佐藤民治と共に神楽の指導を行ない、富沢神楽を再興した。
初代庭元佐藤林之丞、二代三代佐藤甚之助、四代佐藤利男、五代千葉清人、六代佐藤登である。」

とありますが、現代の代表者は佐藤徹さんです。

胴取りは渡辺篤さんです。



屋島の浜に立つ義経さんです。
平家が小舟に女官を乗せて源氏方の陣の沖に浮かべた真意を図りかねています。

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沖に浮かぶ小舟の様です。
この扇と竹竿には特殊な仕掛けがあります。

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義経の家臣後藤兵衛実基が那須与一宗高を推挙し義経の前に呼び出します。
義経は那須与一に扇の的を射て平家武者に見せつけよと命じます。

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那須与一は、折からの強風と波立つ海を前にして弓を射ることをためらいます。

〽 船は木の葉の舞う如し

しかしながら、後にひくこともできないため、八幡大菩薩と故郷の日光権現那須の大明神に願をかけます。

〽 波よ静まれ 風よ凪げ 世の神々よ助けたまえと祈るなり

すると、神のご加護か風おさまり、波静かになる

〽 東より四国屋島のもとに来て 扇の的に会うぞうれしや

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乾坤一擲 見事矢は扇の的を射抜くのでした。

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動画でどうぞ。


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2017.05.20 |

2017.05.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

岡谷地神楽 屋島合戦 忠信継信尋ねの場@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から岡谷地南部神楽さんで屋島合戦より忠信継信尋ねの場です。

その前に岡谷地南部神楽さんの由来について

「明治三二年、工藤清右エ門(東和町嵯峨立から養子に来た人)が庭元兼師匠となり、修験道賀田羽流剣舞神楽を部落の若者達に指導し、岡谷地南部神楽を創設した。
また、大正時代に中田町宝江新井田から師匠を招いて笹流新井田神楽や加茂流舘神楽の芸風も取り入れた。
発足以来、地元の旧県社登米八幡神社の秋季例祭に奉納されてきた。
法印神楽の影響をよく残しており、笹結や宇賀玉等の演目を保持している。
初代庭元工藤清右エ門である。」

とありますが、現在の代表は佐久田和尋さんです。



元暦2年2月、平家を屋島に追い込んだ源氏の大将源義経は、その股肱の臣佐藤継信、忠信兄弟とともに奮戦する場面です。

平家方の猛将平教経が、世に聞こえし強弓に、配下の菊王丸が差し出した管矢をつがえて立ち向かいます。
源平入り乱れての戦闘が終わり、義経が継信の姿が見えないことを案じ、弟忠信に捜索を指示します

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忠信は夕闇迫る浜辺に兄を探しに行きます

〽 頃は弥生の晦日の晩 暗さも暗いよ ここは何処ぞ皆敵のくに これよりは兄を尋ねるによって 抜いたる太刀を頼りに兄を尋ねに参るなり 

すると、遠くから矢負いの継信が息も絶え絶えに呼びかける。

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忠信は手負いの継信に

〽 昔鎌倉権五郎景政という人は、矢傷を受けながら戦場を駆け回って敵兵を討ち散らしたという
   情けもないぞよ兄上よ

  と励ましますが、すでに深手を負って虫の息

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負傷した兄を背負って、弟忠信が主君義経の待つ高松城へと急ぎます

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最後に、若手胴取さんが撥車の披露です。

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動画でどうぞ。

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2017.05.19 |

2017.05.18 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

赤谷神楽「一ノ谷合戦首取りの場」@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から赤谷神楽さんで一ノ谷合戦首取りの場です。

その前に、赤谷神楽さんの由来について

「明治二六年、鈴木築吉が庭元となり岩手県西磐井郡花泉町、上油田神楽の佐藤和三郎師匠の指導により、橋向神楽を創設する。
昭和二六年、工藤文市が庭元となり内容の充実を図り、赤谷神楽と改称した。
初代庭元鈴木蕊吉、現在の庭元工藤貞夫は五代目である。」

ということなそうです。現在の代表は小野寺和夫さんです。



演目は一の谷で平敦盛の首を熊谷次郎直実が討ち取る場面です。

熊谷次郎直実が味方の舟に乗り遅れた若武者敦盛を見つけて呼び止めます

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平敦盛です。
戦いになり直実に組み伏せられるも、直実は我が子と同じ年頃の敦盛を不憫と思い逃します。

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そこへ、同じく早駆けしてきた平山判官秀重に呼び止められ、敵に二心ありと責められます。
やむなく熊谷次郎直実は涙を飲んで敦盛の首を取らざるを得なくなります。

念仏口説きがかかります

〽 西は西方弥陀如来、東は東方南無三宝、南は南方薬師如来、北は北方八幡大菩薩
   中に立ったる敦盛が極楽浄土に参るように

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最後の場面では敦盛の面と采を持って討ち取ったことを表現している。

〽 迷わず成仏いたされよ

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動画でどうぞ。

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2017.05.18 |

2017.05.17 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

狼ヶ志田神楽 宝蔵破り@平泉熊野三社奉納神楽

さて本日は、平泉熊野三社奉納神楽から狼ヶ志田神楽さんで宝蔵破りです。

狼ヶ志田神楽さんの由来について(南部神楽系譜調査報告書より)

「狼ヶ志田神楽は、文久元年神楽の祖、菅原甚太郎、菅原新右エ門、菅原今朝吉、小野寺長蔵等が、小山、中沢神楽の本庄板太郎より山伏神楽を伝授された。
明治二十五年十一月、菅原甚太郎が上昼沢佐藤家を通して達古袋と縁組をしたことから、西磐井郡萩荘村達古袋阿部徳太郎、小岩彦三郎両師匠より達古袋神楽を伝授された。
達古袋神楽は、達古袋に永住した羽黒山系山伏一七代元道常学院相模坊が指導したと言われる。
大正五年二の台、養ヶ森、大正八年恩俗、衣川雲南田等に狼ヶ志田神楽を伝授している。
明治二五年初代庭元菅原甚太郎より昭和四四年九代庭元青沼松男に引継がれている。」

現在の代表jは高橋先雄さんです。



宝蔵破りは源平物語の一節である。
牛若丸の父義朝が平氏に敗れた際に源氏伝来の八十四巻の兵法書「多神通虎の巻物」を四国は熊山城主鬼一法眼に略奪された。藤原秀衡にこれなくして源氏の再興あるまじと諭され、単騎で熊山城に乗り込み鬼一法眼の娘である皆鶴姫を謀略して宝のありかを聞き出し、ついに巻物を奪還するというもの。

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牛若丸が宝蔵の中を必死で探す様が表現されています。何が飛び出すかハラハラドキドキして観客は釘付けです。
そして、多神通虎の巻物を見事取り出します。

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牛若丸が
皆鶴姫に書き置きをして去ろうとするところへ、皆鶴姫が寄ってきて自分も奥州平泉へ連れていってほしいと請います。
しかし、牛若丸は源氏の天下になったなら、汝を妻に娶るので待っていてほしいと言い残して立ち去ります。

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そこへ鬼一法眼が帰ってきて巻物が無くなったことに驚き、探しだすと牛若丸の姿が目に入ります。

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兵法争いの場面、お互いに秘術の限りを尽くしますが、多神通虎を所持する牛若丸は三寸草隠れの法や大山九つ之法などを繰り出します。

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戦いに敗れた鬼一法眼は、牛若丸にたぶらかされた皆鶴姫の耳鼻を削いで船に乗せ沖の小島に流し、自らは熊山城もろとも焼き討ち自害して果てます。

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動画でどうぞ。

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2017.05.17 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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