2018.06.23 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

神楽伝承本について考えるvol.2 蓬田神楽

昨日に続いて蓬田神楽の伝承本「風流御神楽詠儀本」についてです。

蓬田神楽の由来は次のとおりですが、

「舞草神社は一時期舞草穴倉地内に社地があった頃、神職が大権院神楽を奉納していた。
当時の神楽の師匠は、穴の倉の佐藤円吉、次いで蓬田大助であった。
明治初期、蓬田一族の氏神天神様に神楽を奉納するため、蓬田大助が庭元となり、東磐井郡長島村南部神楽の流れをくむ赤伏神楽の指導を受け、蓬田神楽を創設した。
初代庭元蓬田大助、二代伊藤寅之助、三代蓬田清吉、四代佐藤松治、五代蓬田稔である。」

蓬田神楽の前身ともいえる大権院神楽は宮城県金成町の普賢堂周辺にあった法印神楽を伝承していた可能性があるもので、元々は法印神楽であったと思われる。
その後、一関市の笹谷神楽の指導を受けた平泉町の赤伏神楽から南部神楽を伝授されたということなので、蓬田神楽の伝承本では明治以降の南部神楽の演目が並ぶが、演目内容によっては法印神楽の影響を残しているものも見受けられる。



尚、この詠儀本は蓬田佐代治が書いたとされる蓬田神楽演義台本を昭和54年に伊藤四郎が翻刻したものです。
かなり達筆で読みやすい字で書かれています。

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演目を目次通りに列挙すると


1 三番叟
2 天の岩戸入り
3 岩戸開き
4 安倍保名
5 瓊々杵之尊
6 地神四代の帝 彦炎出見之尊
7 続 豊玉姫之尊之産小屋
8 続 竜宮出現
9 三熊大人
10 五代理(ママ)
11 水神明神
12 羽衣
13 叢雲
14 宝剣納
15 神通虎の巻
16 屋島合戦九郎判官義経
17 一の谷
18 黒塚
19 小敦盛
20 八岐大蛇退治
21 田村将軍利春
22 田村中将利通
23 田村将軍純友
24 勢州鈴ヶ山立烏帽子田村三代将軍純友
25 鞍馬山騒動虎の巻の始め
26 橋弁慶
27 日光権現序幕
28 曽我兄弟の仇討
29 金巻道成寺
30 金巻狂言
31 掃部長者の巻
32 狂言 山ノ神宝剣舞
33 狂言 猿引き

現在では演じられなくなったものもあるというが、神代ものが豊富であることと、演目をアレンジした狂言を行っていたことなどが理解できる。

この本の奥付には「漏洩を防ぐためにもみだりに関係者以外には公開すべきではない、しかしながら芸能は大いに公開することを希望する」と結ばれている。
これはかつての神楽団体すべての思いと共通だったことだろう。
しかしながら、現在では南部神楽の研究も進んできていて、こうして公設図書館に所蔵されることによるメリットはあります。
引き続き神楽本も収集していこうと思います。

神楽本シリーズはまたいつかお目にかけたいと思います。

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2018.06.23 |

2018.06.22 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

神楽伝承本について考えるvol.1 達古袋神楽

古今東西の芸能、神祇であると民間であるとを問わず、その芸態を伝授するために何らかの所伝をもって伝えてきた。

しかしながら、わけても神楽の場合は神聖な祈祷舞を根本に持っているため、資格の無いものや他所の者には明かさないということが通例であったため、芸能を伝える詳細な書物は多くは残ってはいない。

とはいえ、特に幕末以降はそのことを伝えるべく努力した後が伝承本に表れている。
基本的な舞い方や詞章は伝本に記しながら、肝心の部分は「ロイ」すなわち口伝として記し残している。

こういった状況の延長線上に南部神楽の伝承本の形態がある。

南部神楽は、文化文政~弘化年間に民間に移譲が進んだ芸能で、その頃の祈祷神楽の演目と明治以降に娯楽演目として発達したものとが混在し、その後の評価が分かれる元となった。

ところが、明治以降に伝わる神楽本を見ると、幕末以前の神楽の姿を留める演目などが記述されており、このことから南部神楽のルーツを探ることも可能であると推察されます。

ということで、まずは達古袋神楽の神楽本です。

これは一関市図書館などで閲覧することができます。

題名は「風流御神楽詠儀本」です。

この本は、もともとあったものを平成4年に達古袋神楽の阿部孝氏が現代文に翻刻したものです。




その内容は、神楽演目ばかりでなく神舞の手次が記されてある等貴重な資料となっています。

演目を列挙すると

三番叟
岩戸入り
岩戸開き
岩長化身の舞
魔王退治
瓊々杵命
彦炎出見尊
八岐大蛇退治

羽衣
田村一代
田村二代
田村三代
安倍保名
屋島合戦
一の谷
日光権現
五條の橋
鞍馬山合戦

宝剣納め
喜一法眼
三熊大人

山神舞
八幡舞
明神舞
五代龍

老松若松
西の宮太神由来

となっています。

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ところが、もう一つこの伝承本には神楽の所作が書かれています。南部神楽では手ゴト等と呼ぶ手次のことです。

この本には山の神舞、八幡舞、明神舞の手次が書かれています。

山の神舞を読み解くと

一二 山の神
三  幕いん
四  東方蓮花
五 鶴のサギ足
六 五行フミ
七 米を取れ
八 米を播け
九 島廻り
十 立って ナニトタダ
十一 六三
十二 扇でデンチク
十三 扇を逆にデンチク
十四 腰より刀を取る トトトトセ
十五 刀を抜く この太刀は
十六 刀で デンチク
十七 刀を逆に デンチク
十八 終わって演芸
十九 雲空で立つ みこ足 東西に廻る
二十 雲空鉾にて南北
二一 鉾にて デンチクに廻る

山伏神楽由来のものと思われる手次の呼称が並びますが、鶴のサギ足や雲空は?です。
現在の大森神楽などの山の神舞からこれらの所作は大体想像できますが、十八の演芸というのは「詠儀」のことで、ここで山の神の本地を説く詞章を述べることだと思います。

できうることならば達古袋神楽の山の神舞が見たいと願うものです。

いずれ、伝承本が残っているということは現在の神楽につながるものがあるはず。
そういったものをこれからも発掘していこうと思う。

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2018.06.22 |

2018.06.21 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

達古袋神楽 田村二代 @ 第14回神楽共演石越大会

さて本日は第14回神楽共演石越大会からトリで達古袋神楽さんの田村二代です。

その前に、達古袋神楽さんの由来について定本より

「明治二年の火災で記録を失ったので資料はないが伝える所によれば、八幡神社は田村麻呂公の勧請といい、康平五年(一○六二)八月一五日再建の棟札もある。
八幡山常学院は、京都本山派の相模坊が、文明一○年(一四七八)開設し、古くから八幡神社の奉納神楽として法印神楽が舞われて来た。
なお弘化年代(一八四四)に神楽も盛んになり、明治以降には、胆沢地方、宮城県北、栗原郡、玉造郡等にも伝えられた。
明治以前は常学院が宮元となり指導に当ったが、以降の歴代師匠は、明治一一年小野寺伊三郎、明治二○年阿部徳太郎、明治二五年小岩勝蔵、明治三○年小岩利右エ門、小岩彦三郎、大正九年~昭和三八年まで阿部長治、以降阿部孝が指導に当り後継者の養成に当った。」

とあります。現在の代表は小岩恭一さんです。



南部神楽の田村モノは奥浄瑠璃の「田村三代記」からの台本とみられているが、その「田村三代記」も御伽草子の「鈴鹿の草子」や古浄瑠璃の「坂上田村丸誕生記」などの影響を受けているという。
これらは室町期の成立とされ、奥浄瑠璃はその後の江戸時代に入って仙台領内に根付いて盲人の門付芸として大衆に愛された。

その田村三代記を三人の主人公ごとに一段ずつに語りモノと同形式で神談議本を創生してできたのが、田村一代(利春)、田村二代(利光)、田村三代(利仁)である。

幕だし唄は

〽 センや~はー 利光はよー 加茂川さしてぞ急ぐなりホー  急ぐなりホー

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その田村二代さんです。
勅命で山城国の今瀬が淵に住む悪龍退治に、供を連れ、神通の鏑矢を携えて出陣します。

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霞の源太です。

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海老名源八です。

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今瀬が淵には悪龍がいて、恐ろしい形相で利光らを威嚇します。
この幕を使った演出は怨霊などにも使われます、昔は本当に怖かったと思います。

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供の海老名源八が遂に悪霊を討ち止めます。

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晴れて退治を成し遂げて、千代の御神楽宮くずしです。

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動画でどうぞ

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2018.06.21 |

2018.06.20 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

館下神楽 一の谷敦盛首取りの場 @ 第14回神楽共演石越大会

さて本日は第14回神楽共演石越大会から館下神楽さんで 一の谷敦盛首取りの場です。

その前に館下神楽さんの由来について

「昭和五三年四月、田中安雄が庭元となり神楽愛好者数人が、志波姫の刈敷神楽佐藤典雄師匠の指導を受け、舘下神楽を創設した。刈敷神楽は、栗駒町栗原神楽の佐藤正吉師匠の指導により復活したという。
初代庭元田中安雄、二代目は曽根英寿である。」

保持する演目で代表的なのは御所の五郎丸陣屋巡りの場、法童丸庭園の場、安倍保名一代記 等となっています。

現在の代表者は柳澤良夫さんです。



さて、演目は一の谷での源平合戦の場面です。

平家方の無冠の太夫平敦盛は、源氏に追われて海上を船で逃れる味方と離れて忘れ物の青葉の笛と巻物を取りに戻ります。
そこへ源氏方の猛将熊谷次郎直実が落ち武者捜しをしていて敦盛を見て呼び止めますが、年の頃が我が子直家と瓜二つ。
首を討つに討たれず、沖に逃してやります。

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そこを、戦将軍、平山武者所が敵将を見逃すとは二心あるに相違なしと責め立てます

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直実は泣く泣く敦盛を呼び戻します

敦盛は和歌を詠じつつ現れます

〽 ほのぼのと 明石が浦の朝霧に 島影ゆく  舟をしぞ思ふ          
  駒を進めし後山 ただ波もろともに 戻れ戻れとの 声がする 

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熊谷が敦盛に思い残すことは無いかと問うと、妻と身ごもっている子が気がかりなので、愛用の青葉の笛を渡してほしいと頼みます。
観念した敦盛が彌陀の浄土に座れるようにと、四方に祈ります。
そして泣く泣く熊谷次郎直実が敦盛の首を落とします。

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直実は、致し方なく平山判官に敦盛の首を差し出し、逆心無いことの証を立てます。

しかるに敦盛の首を抱えながら、自ら出家してその菩提を弔うことを誓うのでした。

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動画でどうぞ


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2018.06.20 |

2018.06.19 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

鶯沢神楽 敦盛・玉織姫別れの場 @ 第14回神楽共演石越大会

さて本日は第14回神楽共演石越大会から鶯沢神楽さんで敦盛・玉織姫別れの場です。

その前に、鶯沢神楽さんの由来について定本より

「明治初年、玉井豊之助、小野寺久五郎の両人が世話人となり、岩手県西磐井郡萩荘村達古袋神楽の師匠を招き、神楽の伝授を受け日向神楽を創設した。
戦前、戦後舞方が少なくなり中断していたが昭和三九年、町教育委員会が郷土芸能後継者養成講習会を開催した。講師は小野寺捨男、小野寺東策の両師匠の指導であった。
これを機に鴬沢神楽保存会を組織し現在に至る。
なお、明治一八年、二○年の二回にわたり、伊勢神宮に神楽を奉納したという。
また、大正年間、田谷神楽(江刺市愛宕)の指導をしたともいわれている。
初代庭元玉井豊之助、現在の庭元岸湊は六代目である。」

ということです。現在の代表者は高橋長人さんです。



源平の雌雄を決する戦場一の谷の陣屋に、若き夫の平敦盛を尋ねきた妻の玉織姫

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無冠の太夫平敦盛は戦場に女が来ることは武士の道に悖ると帰そうとします

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ところが、若妻玉織姫には七月半の身籠りありと聞かされ、せっかく断ち切ったこの世への未練がいや増すことになってしまう。
そこで子供が男の子なら黄金造りの短剣を、女の子なら十一面観音菩薩を肌の守りとするようにと渡します。

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この度の戦に遅れては後日の不覚末代の恥辱なり、よって先陣つかまつる、汝我が討ち死にと聞きなば何処へとも逃れ落ち延びて安産なすべし、とて縋り付く玉織姫の手を払って出陣していきます。

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動画でどうぞ


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2018.06.19 |

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祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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