2017.08.14 | Comments(1) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

大宮神楽 綾遊び @ 第七回三陸海の盆

さて本日は、第七回三陸海の盆のから大宮神楽の子供たちによる綾遊びです。

由来について

大宮神楽は昭和年代までは地名をとって和野神楽と称していた。
旧田野畑村の村社である大宮神社(大宮大権現)は田野畑村の羅賀地区に鎮座し、創建は延元2年(1337年)となっている。
別当の田野畑氏は元は羽黒派山伏の栄福院であり、代々山伏神楽を伝えてきた。
正月に二頭の権現頭を奉じて村内を祈祷して歩いたが、その際、舞立ちには舞立神楽と称して別当家で全演目を舞うということをしたということです。

ところで大宮神楽は、普代村の鵜鳥神楽と構成人員(神楽衆)がほぼ同じメンバーであるということです。
大宮神楽として活動する場合は大宮神社の権現様を奉じて、霞である田野畑村内の集落で神楽を演じる。一方、鵜鳥神楽として活動する場合は、鵜鳥神社の権現様を奉じて、霞である久慈市~釜石市の範囲を隔年で訪れているということです。
このことは、他の地方でも見られる「寄り合い神楽」の形であり、神楽が法印・神官によって行われていた頃からの影響といえるかもしれません。



この日のステージは、大宮神楽が指導している田野畑小学校の羅賀地区の子供たちによる神楽となりました。
ここにも学校統合の影響が表れています。統合前は羅賀小学校の学習の一環で児童が踊っていたということです。

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先の大震災では、この羅賀地区では標高25mまで津波が到達し、地区内の家屋では全壊 99 戸、半壊 14 戸の被害だったということです。

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ところで、和野神楽は黒森神楽から伝わったとありますが、本田安次著「山伏神楽・番楽」の「和野神楽 付記」にはこうあります。
「・・・黒森神楽では、中入狂言に、在来はなかった剣舞や手踊り等をも交えて演じているので、それらが目新しく感ぜられるのかもしれない。こうした工夫のことは黒森自身でも申していた」と、つまり和野神楽は古い形を残しているということか。

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沿岸部は過疎化の上に震災被害による人口流出が続いていますが、高台移転による住宅建設もそちらこちらに見られるようにりました。
子供たちの笑顔いっぱいの熱演に未来が見える気がしました。

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動画でどうぞ。

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2017.08.14 |

2017.08.07 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

薬莱神社三輪流神楽 「叢雲」

さて本日は、薬莱神社三輪流神楽の篝火神楽から叢雲(むらくも)です。八岐の大蛇退治です。

神楽秘伝鈔には「叢雲 一号す 霊劔出現」とあります。
三種の神器の一つである天叢雲剣の由来を説く重要な演目ですので、古今東西の神楽に伝わる演目です。
ですので、演目の構成も前段と後段に分かれて詳しく演じられます。

最初に足名椎手名椎と一人娘の櫛稲田姫が出ます。



次に一首の歌を詠じた後に素戔嗚尊が出ます。

〽 盛りなる 花をば風に誘われて 蕾ひとつ守る悲しき

素戔嗚尊の面ですが、凄まじい程に恐ろしい蛇面

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足名椎手名椎の願いにより八岐の大蛇退治をすると宣言した素戔嗚尊は

〽 左様に候はば 十握の劔にて難叶候とも あら御待ち候へ

と、一度舞台より退出した後に装束を改めて出てきます。

現在の南部神楽等では、襷掛け等をして場面変換としていますが、三輪流神楽では面を変えた上に結袈裟を懸けた装束で出ます。


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大蛇退治ですが、これは吊るし大蛇でもなく蛇面の責め舞でもありません。
中国九州地方と同じように注連縄を大蛇に見立ててこれを切り落とすという表現です。


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大蛇を切り落とすと、櫛稲田姫の祝の舞となります。

宮城県の神楽ですが、見ている内に出雲神楽を見ている錯覚に陥るような芸態です。

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動画でどうぞ。



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2017.08.07 |

2017.08.06 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

薬莱神社三輪流神楽 「小弓遊」

さて本日は、薬莱神社三輪流神楽の篝火神楽から小弓遊(こゆみあそび)です。

小弓遊とは、天孫瓊々杵命の天降りに際して、その先駈をつとめた天忍日命と天津久米命の二神の舞です。



この二神は,鬱蒼たる原始大和の国土を開く導きとして、まつろわぬ民たちを平定するために天之石靫を取り負い、頭椎の太刀を取り佩き、天のはじ弓を取り持ち、 天の真鹿児矢を手挟んで進軍したということです。

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大崎八幡の能神楽では、子供たちがこれを演じていましたが、演目の意味合いは同じだと思います。

これが山伏神楽になると八幡舞にとって替わるのでしょうか。
その成立過程は解明しようがないので断言できませんが、この演目を組み込んだ後に意味付けとして八幡神を引き充てた可能性を推量します。

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動画でどうぞ。

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2017.08.06 |

2017.08.05 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

薬莱神社三輪流神楽 「洲棲楽」

さて本日は、薬莱神社三輪流神楽の篝火神楽から洲棲楽(すせいがく)です。

三人の太刀舞ですが、神楽秘伝鈔では、武甕槌尊と経津主尊の二神の舞と記されています。
原文を引用します

「両神葦原中つ国に垂迹し玉へ 四海泰平を祝する楽也。
 洲棲は則ち我が国に降臨垂迹の義也。
 洲は国也。棲は状也、又息也。

 装束は赤熊に縫結大口を着し、太刀を肩負出 二神共に同断

 先二方堅 護身法より折入寅まで如前
 次御神楽二方かかり 次もみ手
 次両神劔を持ち合い 七度つつくくる 但し一神は立ち一神は片膝立
 互いに替わるがわる立ち 替わるがわる片膝を居る
 次に立ち御正楽 大脇祓小脇祓にて引き込む」
とあります。



これは先に演じた「鹿島楽」では武甕槌尊と経津主尊の二人で太刀舞をしたのに対して、こちらは三人舞となっていますが、神楽秘伝鈔ではむしろ逆になっています。

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筋立てとしては、鹿島楽で大己貴命から国譲りを受け、その後に国を平けく鎮めて国造りした。その国造りの部分がこの洲棲なのだと思います。

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また、鹿島楽では二人で刀潜りをしましたが、洲棲楽では三人での刀潜りということで、山伏神楽でいえば龍殿と勢剣ということでしょうか。

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動画でどうぞ。

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2017.08.05 |

2017.08.04 | Comments(0) | Trackback(0) | カテゴリ神楽

薬莱神社三輪流神楽 「宮鎮楽」

さて本日は、薬莱神社三輪流神楽の篝火神楽から宮鎮(みやしずめ)です。

その前に、薬莱神社三輪流神楽の由来について書いていませんでしたので、とりあえず


「薬莱榊社春秋二回の祭典に奏すされる三輪流神楽は正しくは「三輪流両部習合神楽」とよばれるもので
法印神楽の系統に入りますが、宮城県内にあって同一、類似の神楽は存在しないので、貴重な文化財と言・われています。
起源は推古朝秦川勝が六十六番の仮貌をもって紫震殿の前で舞を奏し、これを三輪流と称したのに始まるといい、泰川勝の
遠裔である円乗坊教存は坂上田麻呂征夷の軍に従つて此の地(小野田)に至り、薬薬三社及び大宮・八王子五社の師官・別当となり伝えられたという。
最初は大宮明神社前にて行われた神事も明治以降には神仏分離令のために「薬莱神社三輪流神楽」と改称して引き継がれることとなったと。
この神楽は江戸時代までは、大宮明神社前で行なわれましたが、明治時代薬莱神社へ合祀されるに及んで、神楽もまた「薬莱神社三輪流神楽」と改めて現在に至っております。
明治41年に近くの諸社とともに薬莱神社に合祀されるまでは、大宮太神社によって三輪流神楽が斎行し伝承されてきたもので、現当主の祖へ円乗坊教存五十四世である大宮家の九代前の法印長宥なる人が、天保二年(1831)に編まれた台冊の「三輪流両部習合神楽秘抄」上、中、下、三巻が伝来しており、これに依ると、この神楽は貞和年(1345~50)以前にさかのぼれる記述があります。当時の奥州探題であった大崎家兼により薬茉神社に能面五面が奉納されたと伝えられ、慶長九年(1604)に火災があつたものの、その当時から整えられた古面17面(すべて能面)と獅子頭は現存し、秀作であり現在においても神楽に用いられます」



宮鎮ですが、これは思兼尊の神楽としています。

この演目は法印神楽では広く行われていて、その系譜を嗣ぐ南部神楽でも主に胆沢地方の神楽団体では現在も踊り継がれています。
その日の神楽上演に先立って、その場を祓い清めて神々を招請しせめんために舞うものとしています。

ですので、三輪流神楽でも宮鎮楽は思兼尊の舞としています。
神楽秘伝鈔には次の如し

「宮は至尊居所の称なり。鎮は安重鎮の義也。
 ある書に曰く、古は貴賎の居所皆宮と称せしと・・・」

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ゆっくりと四方を踏み鎮める舞ですが、明治以降の南部神楽では、この演目は荒々しい神となって、刀や験力で場を鎮める舞になっています。


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この舞は祈祷舞なので神諷はありませんが、これに続く演目のために場を清め祓う感じが強く感じられます。
最後は太刀を持って御神楽で舞い納めます。

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動画でどうぞ。


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2017.08.04 |

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Author:祭りの追っかけ
祭・・・それは祈り、畏れ、そして縋り付くばかりの信仰、神人共生の歓びの象徴。さて、明日のエネルギーの糧を求めに彷徨おう。

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